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第二章 ~『夕食と薬』~


 夕陽が窓から差し込み、室内を柔らかな光が満たしている。空腹を感じ始めた翠玲(すいれん)は、伸びをしながら腹の虫を鳴らす。


「お腹が空いたわね」

「少し早いですが夕飯にしましょうか」

「いいわね」


 琳華(りんふぁ)たちは後宮内の大食堂へと向かう。その道中、軽い冗談を交えながら仲を深めていた二人は、朱色に輝く庭園前で立ち止まった。


「綺麗ですね……」

「この景色が見られたのも琳華(りんふぁ)のおかげね」

「私のですか?」

「休暇なのに、私の仕事を手伝ってくれたでしょ。おかげでいつもより早く業務を終えられたわ。だから私が庭園の景色に感動できるのも琳華(りんふぁ)がいたからよ」


 ありがとうと、翠玲(すいれん)は感謝を口にする。


「気にしないでください。ただ予定がなくて暇だっただけですから」

「でも……」

「それに私が困ったら、翠玲(すいれん)様はきっと助けてくれますから」


 人生とは助け合いだ。琳華(りんふぁ)が困難に直面した際に、翠玲(すいれん)の力を借りることもあるだろう。助けられるのが先か後かの違いでしかないと伝えると、翠玲(すいれん)から優しい微笑みが返ってくる。


「私、本当に良い部下に恵まれたわね」


 感慨深げな賞賛が、夕陽に照らされた庭園に柔らかく響き渡る。その声は空間全体を温かな雰囲気で包みこんだ。


(やはり翠玲(すいれん)様は素晴らしい人ですね)


 素直に部下に感謝できる人間性は地味だが優れた能力の一つだ。立場が下の者に対して横柄な態度を取る者が多い中で、翠玲(すいれん)はしっかりと琳華(りんふぁ)のことを尊重してくれている。それだけで十分に尊敬できる上司だった。


「食堂が混む前に急ぎましょうか。琳華(りんふぁ)の大好きな桃饅頭が売り切れたら困るものね」

「ですね」


 琳華(りんふぁ)たちは夕陽を背にして廊下を進み、大食堂へと到着する。後宮の中でも特に壮大な空間の一つで、その広さは一目見ただけで圧倒される。


 壁面には細かい彫刻が施され、床には美しい模様が描かれた石畳が敷き詰められている。その上には長い木製のテーブルが整然と配置され、天窓から差し込んだ夕陽によって朱色に照らされていた。


 普段は宮女や女官たちの話し声で賑やかなこの場所も、今はほとんど人がおらず、静かな雰囲気が漂っている。


「早めに来た甲斐がありましたね」

「こんなに静かな大食堂は久しぶりだわ。食事も並ばないで済みそうだし、取ってくるわね」

「なら私も……」

琳華(りんふぁ)は席でゆっくりしていて。仕事を手伝ってくれたんだもの。これくらいは私に任せてくれないと」


 それだけ言い残して、翠玲(すいれん)は料理の提供所へ向かう。


 遠目で眺めていると、翠玲(すいれん)は値札を見ずに多種多様な料理に手を伸ばしている。後宮では中級女官より上の役職者の食事代が無料になるためだ。


 彩り豊かな野菜の炒め物に、蒸し鶏、そして琳華(りんふぁ)の好物である桃饅頭が丁寧にトレイに載せられていく。


(食べるのが楽しみですね)


 料理が届くのを心待ちにしていると、琳華(りんふぁ)の元へ人影が近づいてくる。トレイを手に持った若い宮女で知らない顔だった。


「ここの席に座ってもよいでしょうか?」

「どうぞ」


 笑顔で答えると、若い宮女は琳華(りんふぁ)の隣に腰を下ろす。しばらくすると、両手にトレイを手にした翠玲(すいれん)が戻ってくる。


「私が選別した料理たちよ。美味しそうでしょ」

「素晴らしいチョイスですね」


 先ほど選んでいた料理以外にも、蒸し上がりの点心やお茶も追加されている。早速、蒸し鶏を口に運ぶと、柔らかな感触と肉汁が舌の上で溢れた。


「大食堂はお茶の種類も豊富なのよ。私のオススメはこの白茶ね」

「初めて飲む品種ですね」

「なら期待していいわよ」


 翠玲(すいれん)は飲んでみれば分かると、白茶を注いでくれる。


 優しい香りがほのかに広がる。口をつけると、甘みが残る繊細な味わいが心を落ち着かせてくれた。


 穏やかな時間を楽しむ琳華(りんふぁ)たち。こんな時間がいつまでも続けばと願っていると、見知った顔が近づいてきた。


「こんなところで会うなんて奇遇ね」

映雪(えいせつ)様も食事に?」

「ここの点心は絶品だもの。おかげさまで常連よ」


 映雪(えいせつ)のトレイには肉饅頭が載っている。料理はそれ一つだけだった。


「私のひもじい食事が気になる?」

「いえ、そういうわけでは……ただ少食だなと」

「食べられるならもっと食べたいわよ。でもね、私たち下級女官の給金だと毎日の食費も馬鹿にならないのよ」


 中級女官であれば無料の食事も、下級女官は支払いが求められる。節約のために、彼女は空腹を我慢していたのだ。


「ふん、あなたの顔を見ていると、気分が悪いわ」


 映雪(えいせつ)はそう言い放つと、一人で食べるために立ち去ろうとする。その背中を琳華(りんふぁ)は呼び止める。


映雪(えいせつ)様、このお茶を飲んでいきませんか?」

「施しのつもり?」

「そうでないことは映雪(えいせつ)様が一番分かっているはずでは?」


 そう指摘された映雪(えいせつ)の表情が急に強張る。その反応は琳華(りんふぁ)の疑念を確信へと変える。


「謝罪するつもりはありますか?」

「ないわ」


 なら容赦する理由もないと、琳華(りんふぁ)は白茶を映雪(えいせつ)の顔にかける。


 映雪(えいせつ)は濡れた顔を押さえながら、ジッと睨みつけて無言を貫く。傍にいた翠玲(すいれん)琳華(りんふぁ)の態度の急変に戸惑いを隠せずにいた。


琳華(りんふぁ)、急にどうしたのよ! もしかして反抗期?」

「ある意味では反抗ですね。映雪(えいせつ)様から受けた嫌がらせの報復ですから」

「嫌がらせ?」

「この白茶に毒……いえ、そこまでするとは思えませんから、下剤でしょうか。混ぜてありますよね?」


 琳華(りんふぁ)の問いに映雪(えいせつ)は何も答えない。ただ無言を維持している。


「だんまりですか……では説明を続けましょう。先程まで私の隣に座っていた宮女が消えていますが、あの人は映雪(えいせつ)様のお仲間ですね。なにせ席が空いているにも関わらず、わざわざ私の隣に座ったのです。下剤を仕込む役目を彼女にお願いしたのでしょうね」


 そこまで話せば、翠玲(すいれん)もすべてを察する。映雪(えいせつ)がわざわざ話しかけてきたのは、注意を引いて、下剤を入れるチャンスを作り出すためだったのだ。


「でも琳華(りんふぁ)はよく気がついたわね」

「私も最初は警戒するだけでした。ですが、映雪(えいせつ)様の点心から湯気が出ていなかったことで確信に変わりました。料理を先に購入して、私の気を引くチャンスを窺っていたため、冷めてしまったのです」


 すべてを見抜いた琳華(りんふぁ)に、映雪(えいせつ)は言葉を失う。反論もなく、肩を落としてそのまま大食堂を去っていった。


(これで懲りてくれると良いのですが……)


 再び静寂が訪れた食堂で琳華(りんふぁ)は夕食を楽しむ。好物の桃饅頭を堪能しながら、これ以上トラブルが起きないことを願うのだった。



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