ポーカー①
この街には伝説が息づいている。「死者と踊る道化師」の伝説だ。私は一度だけ、奴の姿を目撃したことがある。彼が私を覚えているかどうかは分からないが、私の記憶の奥底にはその時の光景が今も深く焼き付いている。
渦巻く青い炎が形成する獄舎、体を蝕む熱波からくすんだ白い煙が薄霧のように立ち込め、その朦朧とした中で一人の大男が私の前に立ちはだかった。そして、彼は迫り来る爆炎から私を保護したのだ。彼が何をしたのか詳しくは分からないが、炎は少しずつその熱を失い、代わりに炎に飲まれ消えたはずの者たちが、まるで魔法でも使われたかのように私の前に再び現れた。そして、生前と同じ色彩を持つ彼らが私に微笑みかけたのだ。
それは、深い霧の中をさまようような不思議な情景だった。あの光景を一度でも見たら、決して忘れることはできないだろう。私は絶対に忘れない。私の命を救った恩人を、『ジョーカー』と呼ばれた怪人を――。
ファントムウッズの隠れ家的酒場。店前の看板に「挑戦者歓迎」と大々的に書かれ、店内に一歩足を踏み入れると、橙色の照明が店内全体を包み込む。その内装は、完璧に行き届いた掃除から清潔感を漂わせ、だがいくつも設置された円卓には、さほど客は座っていなかった。
客入りが悪いわけではない。まだ酒を楽しむには早い時間なのだ。
一台の円卓を占拠し、トランプ遊びに興じるゴロツキをのぞけば、カウンター席に客人の姿は二人だけ、都市の街酒場といえど出だしはこんなものだろう。
「マスター、トランプはお好きですか?」
フードマントを身に纏い、その深さに頭を隠した謎の客人が、カウンター席から問いかける。その声は、マスターが丁寧に磨き上げるファッショングラスに反響し、静かな店内にこだまする。
「ほう、あんたもかい。やめておいた方がいい、何たって俺は強いからな」
「やけに自信があるんだな。まだ遊ぶゲームだって決めてないのに」
「ゲームを楽しむだって? そんなの悪知恵を働かせる奴のセリフだ。そうやって代金を踏み倒そうとする客人の相手はさんざっぱらやらされて来たからな。今ではどんなゲームにだって対応できるようになったぜ」
完璧に磨き上げたグラスを手元に持ちながら、マスターと呼ばれた男は、電灯の明かりを反射させ、その輝きを瞳の奥に宿しながらグラスをカウンターテーブルの隅に置いた。テーブルの隅には、何段にも重ねられたグラスが美しい塔を築き、その上で整然と並べられたグラスの騎兵隊が待機している。
「それで何にするんだ? ブラックジャックか? 大富豪だって相手になってやるぞ」
「ブラックジャックはディラーが有利だ。大富豪なんて二人でやるようなものじゃない……」
「それはそうだ、両方とも二人でやるようなものじゃない、おれと戦いたいなら、もっと大勢つれてきな」
「その必要はない。私ひとりで十分だ」
マスターは客人の得意げな声を聴くや、満面の笑みを浮かべ、口髭をくねらせながら、トランプデッキをテーブルに置いた。
そして、そのトランプデッキを目の前に置かれた客人は、自分の後ろを親指で示した。
その指示の方向には、円卓を囲んでトランプを散乱させている男女四人組の姿が見える。皆、確かに5枚のカードをしっかりと握りしめている。
「マスター、ポーカーだ。ポーカーで勝負をしよう」
「いいだろう、ベット無しの『ファイブカード・ドロー』勝てば食事の代金は免除してやるが、負ければ二倍払ってもらう。そして……代金を払えなかった時はどうなるかわかっているんだろうな」
「……かまわないさ、その時は好きにすればいい」
客人の言葉が合図となり、マスターはトランプを手際良くシャッフルする。その速度は目を見張るもので、マスターの手元から飛び出すカードが酒場のざわめきを掻き消す。まもなくカードは交互に配られ、カウンターの上で整然と並んだ。その洗練された配り方だけでも、マスターが一流のプレイヤーであることを客人に示すには十分だった。
「フフッ……さっきの言葉はどうやら嘘じゃないらしい」
「嘘をつく事にメリットを見いだせないのでな。あまり歳はとりたくないものだな、私も君くらいの頃は街頭で大風呂敷を広げていたよ――」
言葉を途中で止めると、マスターは自分の手元に置かれたカードに目を落とし、にっこりと微笑んだ。
「ふふっ。マスター口元がゆるんでいるぞ。表情を隠せない奴はポーカーでは勝てない。常識だ」
「そんな事はないさ、現実に勝ってきた。強運でな!!」
「運か。どうやら私は強運を呼ぶ道化師に見放されたみたいだ。2枚のカードを交換してくれ」
「役がブタなら助かるんだがね」
客人が手元のカードを二枚カウンターに放り投げると、直ぐに新たなカードがテーブルを滑り、手元に届いた。
「残念ながら、その願いは叶いそうに無い」
「ほぉ。準備が整ったようだな。一斉にオープンといこうじゃないか」
「望むところだ!!」
「「オープン!」」
「私の役はスペードの『フラッシュ』だ。君が勝つためには最低でもフルハウス以上の強力な役がなければ勝てないぞ!!」
「マスターの親切心に感謝するよ。だが、私の手は『エースのファイブカード』だ。これに勝る役はない」
「ナニィィィィィッ!!」
マスターは、客人の役を確認するや否や、驚きと共に一瞬で手中のカードをばら撒いた。その姿に気を良くしたのだろう、深々と被るフードの奥で今まで微動だにしなかった客人の口元が少しだけ綻んだ。
フードを被った客人の手元には、確かにきらめく3枚の絵柄があった。数字こそ同じだが、各カードに刻印された紋章は一致していなかった。だが、何よりもマスターを驚かせたのは2枚だけ数字の描かれていないカードが混じっていた事だった。羽飾りの先に奇っ怪な球体をぶらさげた帽子を被る道化師の絵札。明らかに異才を放つジョーカーの姿にマスターは驚愕していたのだった。
白髪を鷲掴みにし無念そうにうずくまるマスターの隣で、先刻の取り決め通りに、代金も置かずに、客人は席を立つと、人の疎らな店内を出口へ向け歩き始めた。
無銭飲食に鼻歌を重ねて。
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