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【もや恋】シリーズ

【もや恋9】親友の夫に、秘密の片思いをしています

作者: 水上栞

どこにでもいそうな主人公の、ちょっとモヤモヤする恋愛を描きます。基本、登場人物はダメな人が多いです。予めご了承のうえお読みください。

 


 私はどこにでもいる、アラサーの平凡な会社員だ。私には大学時代からの親友がいる。彼女は東谷さやかといって、清楚な美人さんで勉強もできて、それでいて気取らない、とっても素晴らしい女性である。


 そんなさやかに、私は絶対に知られたくない秘密がある。いや、さやかだけではない。親にも兄弟にも、匿名のSNSにだって書きこめない、墓場まで持って行くべき秘密である。



 私はさやかの夫、東谷幸弘さんに恋をしている。彼らが付き合い始めたころ、行きつけの居酒屋で紹介され、その瞬間に一目ぼれした。それからもう6年。二人の恋人時代を傍で見守り、結婚してからも想いを胸の中に閉じ込め、そっけない「嫁の悪友」を演じてきた。






 幸弘さんは、ぱっと目立つタイプではないが、小ざっぱり系の好男子である。寄りそうと、清潔感のある香りが漂いそうな、と言えば想像しやすいかもしれない。


 彼は背がすらりと高く、指がきれい(高ポイント)。そして、声がちょっとハスキーで色っぽいのだ。にっこり笑うと、目尻にシワが寄るのもたまらない。爽やかなブルーのストライプシャツ、色落ちしていないストレートのブルージーンズ。地味なのにこなれている服のセンスも含めて、全方位的に私のタイプだった。



 最初のうちは、私もあんな彼氏が欲しいなと羨むだけであったが、そのうち何度かさやかを通じて顔を合わせるうちに、自分の中で彼への好意が膨らむのを感じた。


 高校生ならいざ知らず、とっくに20代の坂を超えた女なので、それがどういうことかは理解していた。もともと私は略奪や浮気が大嫌いで、人の彼氏に手を出す女など、踏んづけて粗大ごみに出したいくらい軽蔑している。それなのに親友の相手に横恋慕するなど、自分で自分が許せなかった。


 だから、彼のことは忘れようと必死にもがいた。こんな馬鹿げた感情は芽のうちに摘み取って、笑い話にしてしまうのが賢明だ。そう思って、自分を制御しようと躍起になった。



 しかしそのうち、己に抗うことに疲れてしまい、「誰にも知られない限り、気持ちは自由だ」と、開き直るようになった。それからずっと、薄暗い秘密を抱えたまま今に至っている。



 もちろん、私だってお年頃の女だ。その間にも、恋人の一人や二人はいたし、前の彼氏とは結婚話も出た。しかしどうしても、幸弘さんと比べてしまうのだ。彼氏とうまくいっていても、幸弘さんに会うと感情が蘇ってしまう。それが原因で彼氏との仲がこじれてしまい、お陰でいまだに自業自得の独り身である。






 そんな私の秘密の恋を、一撃で粉々に打ち砕く大事件が起きたのは、ある蒸し暑い夏の夜だった。取引先との接待でちょっと遅くなった帰り道、いつもは通らない繁華街の外れを歩いていた私の前を、見覚えある姿が横切った。



「幸弘さん」と声をかけようとして、私は咄嗟に喉に蓋をした。よく知っている、すらりとした背中と青いシャツ。そして彼の美しい指に絡められた、誰かのマニキュアの指。


 なんと彼の隣には若い女性が寄り添い、手を恋人繋ぎにして歩いていたのだ。どう見ても、会社の同僚や友人には見えない。私は気が動転して、しばらく彼らの背中を眺めていたが、はっと気を取り直して後を追った。頭の中に、さやかの顔がフラッシュして滝のように汗が流れ落ちる。



 やがて二人はホテルと思われる建物の中へ消えていった。いかにも、という佇まいではないが、エントランスに「Rest 2H/4500〜」と書いてあるから、そういうことなのだろう。


 彼らが消えたエントランスを睨んでいる私を、酔っ払った中年男性がニヤニヤしながら見ているのに気づき、半ば走るように道を引き返し、駅へと急いだ。


 あまりにショックで、何が起こっているのか情報が整理できない。とりあえず家に帰ってから考えようと思ったが、改札が見えて来たあたりで少し冷静になってきた。周囲を見渡すとチェーンのコーヒー屋があったので、飛び込んでアイスコーヒーのラージサイズを頼んだ。


 半分くらい一気飲みして、今の状況を確認してみた。得意先を接待して、駅へ向かう途中で幸弘さんを見かけ、女性とラブホに入る現場を目撃し、驚いて引き返し駅前でコーヒーを飲んでいる。イマココである。



 さて、どうするか。さやかに言うか、言わないか。言えば大騒ぎになるだろうが、言わなければ親友を欺くことになる。ただし私ひとりの胸に収めれば、何もなかったことにできる。そもそも、証拠だってないんだし。そう思ったとき、ある事が頭にひらめいた。



「ああ、証拠ね、そうだよね」



 それからしばらくして、私はさっきのホテルの前で、探偵よろしくスマホのカメラを構えていた。さやかに言うかどうかは後で考えるとして、証拠は今しか手に入れられない。


 今日は平日だし、幸弘さんに限って泊まりはないだろう。だったら終電に間に合うようご休憩の2時間で出てくると踏んだ。そして、その予想どおり彼らは揃ってエントランスから姿を現し、お誂え向きに腕まで組んでいた。その様子を私は粛々とナイトモードで撮影し、今度こそ重い脚を引きずって家路についたのだ。




 それから数日間は、頭の中が混乱して散々だった。最初にやってきた感情は怒りで、浮気相手の女性に対するものだった。幸弘さんに手を出した事が許せないし、彼を一時的にせよ手に入れたことに、強烈な嫉妬を覚えた。私は幸弘さんに関して何の権利もないのだが、まるで泥棒に遭ったような気がする。


 次にさやかに対して、裏切られて気の毒だという思いと同時に、いい気味だという意地悪な気持ちもわずかながらあった。親友として最低だと思うが、幸弘さんを独り占めにする彼女が妬ましかったのだ。


 そして最も卑しい感情が、「なぜ、私ではなかったの」というタラレバである。どうせ妻を裏切るのなら、なんで私を選んでくれなかったのか。もしも積極的に彼にアプローチしていたなら、彼の美しい指に絡んでいたのは、自分の指だったかもしれない。理性や倫理観で押さえこんでいたが、私の深層心理にはそんな薄汚い欲が渦巻いていたのだ。



 そんな思案を延々と繰り返し、カオスが少しずつ整頓されるにつれ、私の心に変化が起こった。なんと、不治の病と思われた恋心が枯れたのだ。すると私はたちまち不倫が大嫌いなモラリストに戻り、幸弘さんを気持ち悪く思うようになった。


 私はきっと、さやかの隣で笑っている彼が好きだったのだ。幸せそうに寄りそう、二人の姿が憧れだった。なのに、現実の彼は若い女に鼻の下を伸ばす、だらしない三十路の浮気男である。なんであんな男が好きだったんだろう。私もさやかも見る目がない。



 結局、私の中で最終的に残ったのは友情だった。さやかとはずっと友人でいたいと願っているし、今回のことで彼女はいちばんの被害者だ。私は強烈な自己嫌悪と、贖罪したい気持ちに追い立てられるように、さやかに連絡して私の家で会う約束を取り付けた。きっと彼女は泣いてしまうだろうから、人目につかない場所がいい。






「……そうじゃないかな、って思ってた」



 さやかも薄々、夫の様子が怪しいことに気づいていたらしい。ここしばらく飲み会や出張が多くなり、夫婦の会話も少なくなっていたという。例の写真を見せるとさやかは少し涙を浮かべたが、思ったより気丈に現実を受け止めた。証拠としてはいささか弱い、暗い中のぼやけたロングショットだが、彼女にはそれが夫だと確信できたようだ。



「で、どうするの?」


「離婚……すると思う」


「幸弘さんが、やり直してくれって言ったら?」


「無理、もう彼を信じられない」



 哀し気に微笑み「子どもがいなくてよかった」と肩を落とす彼女を見て、私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。例え秘密の恋でも、心情的に彼女を裏切っていたことには違いない。そう言う意味では、私も幸弘さんと同類の馬鹿者だ。



「教えてくれて、ありがとう。週末にでも、彼と話し合ってみるわ」



 さやかはそう言って帰ろうとしたが、私は彼女を引き留めた。きっとお人好しのさやかのことだ。幸弘さんが事実を認めたら、あっさり身を退いてお終いにするだろう。しかし私は、親友を傷つけた連中に報復しないと腹の虫がおさまらなかった。



「そんな簡単に終わらせてどうするの。不貞行為なんだから、きっちり二人から慰謝料もらわないと。それに、裏切られたんだもん。ちょっとお仕置きをしてやらないとダメよ」


「……お仕置き?」






 それが決行されたのは、約半月後。私はまた、例のホテルの前にいた。約2時間前、幸弘さんと相手の女が中に入って行ったのは確認済みだ。彼らの行動パターンは、ほぼ決まっている。食事をしてホテルに入り、2時間で出て終電の少し前に帰る。さやかの話では、会社の同僚や友人と飲んでいたことになっているそうだ。爽やかな笑顔でさらっと嘘を吐く幸弘さんを想像して、吐き気を催しそうだった。


 しばらくすると、不倫カップルがエントランスに姿を現した。私はスマホに向かって「来ましたよ」と声をかけ、二人に向かってダッシュした。この機を逃してなるものか。



「こんばんは!」



 いきなり駆け寄ってきた怪しい女の顔を見て、幸弘さんが硬直した。不倫相手とラブホから出たところを、妻の親友に見つかってしまったのだ。どう反応していいかアタフタしている彼に、追い打ちをかけるように私は質問した。



「珍しい所で会いますね。えっと、こちらどなた? もしかして、今ここから出て来ました?」


「いや、あの、そうじゃなくて……」



 完全にテンパっている。いつも冷静沈着なイメージの幸弘さんが、狼狽えている様は実に滑稽だ。相手の女はヤバいと気づいたのか、隙を見て逃げようとしたので、先を制した。



「逃げてもムダですよ、〇□商事の浜崎怜子さん!」



 ちゃんと調べてあるんだよ。そのために半月を費やしたのだ。彼女は幸弘さんの取引先で営業をしている。幸弘さんが発注責任者だから、色仕掛けで仕事を取ったと思われても仕方がない立場だ。



「お二人とも、ここで何をしていたか、教えていただけますか?」


「君には……、関係ないことだろ」



 どうにかこの場を凌ごうと幸弘さんが私から目を逸らすが、容赦なんかしてやらない。



「ふーん、確かに私には関係ないかもですね。でも、この人たちにはどうかなぁ?」



 そう言って私は、手に持っていたスマホのカメラを切り替えて相手に向けた。画面に映し出される6人の画像を見て、二人がギョッとしている。そう、私は通話アプリで決定的瞬間を実況中継していたのだ。視聴者はさやか、さやかのご両親、幸弘さんのお母さん、そして幸弘さんの上司と浜崎怜子の夫だ。なんと彼らはW不倫だった。爆ぜろ!



 私はあの日以来、落ち込んでいるさやかに代わって弁護士を探したり浮気相手の素性を調べたり、動画がブレないよう固定用のジンバルまで買って万全の準備をした。表向きの理由は、さやかの離婚を圧倒的有利にするためだが、動画配信は私自身のためでもある。


 親友に隠し事をしていた後ろめたさ、愚かな恋を何年も引きずった自己嫌悪、そして大事なさやかを蔑ろにした幸弘さんへの恨みを込めて、お節介な道化を演じようと考えたのだ。



「私、実家へ帰るわ。改めて、話をしましょう」



 さっきまで、親や配偶者からの怒号が飛び交っていた画面が、さやかの声で一瞬にして静かになった。最後まで泣きながら「さやかさん、ごめんなさい」と謝っていた母親の姿を見て、幸弘さんは何を思っただろうか。






 それから二カ月ほどして、さやかと幸弘さんは正式に離婚した。幸弘さんが一方的に有責なので、相場の慰謝料と多めの財産分与で話がついたらしい。浜崎怜子も夫から離婚を突きつけられているが「容赦なく慰謝料をぶんどった」と、さやかが言っていた。それでいい、再出発のための資金は多いに越したことはない。



 さやかは夫婦で4年暮らしたマンションを引き払い、独身向けの小さな部屋で新しい生活を始めた。たまに遊びに行くと、かつて幸弘さんがいたころの家具や食器が目につき何とも言えない気分になるのだが、当のさやかはすっかり吹っ切れたようで、私の独りよがりなお節介にお礼を言われてしまった。



「あの時、いい格好してあっさり別れてたら、今ごろ悔しかったと思うの。でも、コテンパンにやっつけたから、すっきりしてるよ。ありがとうね」



 ああ、照れくさい。我が親友はいい人すぎる。あれは、自分のためにやったことなんだよ。私はずるくて小心者だから、罪悪感をどうにか拭い去りたくて、無言の罪滅ぼしをしたに過ぎない。もちろん、彼女の夫に恋していたことは一生の秘密だし、人生最大の黒歴史だと思っている。


 こんな情けない私だけど、さやかはずっと友だちでいてくれるかな。私がリクエストしたお好み焼きのために、鼻歌まじりでキャベツを刻む親友の後ろ姿を見ながら、私はちょっとほろ苦いビールを、恋の残像と共に飲み干した。






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― 新着の感想 ―
[良い点]  好きになるのは仕方ない。  それで苦しむのも仕方ない。  でも、行動に移してはいけない。  主人公、ちゃんといい人だと思います。
[良い点] いや〜もうよくやったとしか言えないですね 不倫してた相手の女に嫉妬をしてしまったというのは 人間として仕方がないです、でもそこで踏みとどまって 親友のために動けたというのは本当に信頼できる…
[良い点] これはほろ苦い! 前を向く結末で良かったです。 [一言] 好きだっただけに、ヒロインは辛かったでしょうね。
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