水妖館
「鉄火真希っ、裏切るってのかい? 」
真希が用心棒の売り込みをしている相手は野盗が通行料をせしめようとしていた相手だ。それも那津からすれば一族の仇くらいに思っている禰宜である。面白い筈がない。
「だから、省略し過ぎだってぇの。日向の里に居た頃は、そんなやさぐれてなかっただろ。あんきもに拾われてから、すっかり変わっちまったな。」
「あんきも? 」
彩と悠が同時に首を傾げた。
「あぁ、那っちゃんの養父の暗道鬼門、略して“あんきも”。」
「義父さんを魚の腸みたいに呼ぶなぁっ! 」
那津が思わず放った霊力の塊を真希は刀で跳ね上げた。
「那っちゃん、今のは決別の意思表示… ってことで、いいかい? 」
真希の目付きが変わった。
「こうなるよう、仕向けておいて、よく言うよ。霊力を刀で弾けるなんて聞いてなかったね。」
「あぁ、言ってなかったよ。聞かれもしなかったしね。これでも水妖館道場の師範代だった事もあるんだ。こんな魍魎が跋扈するような時代に大きな霊力も持たない武家の娘は、このくらい出来ないと生きていけないんだよ! 」
那津に啖呵を切ってから少し困った顔で真希は彩と悠の方を見た。
「で、用心棒の件、どうする? あたしも今さら“あんきも”の鉄火場にゃ戻れないし、かといって他に行く所もないんだよ。助けると思って雇ってくれねぇかな? 」
すると彩が首を傾げた。
「伊達様は名の通った御武家様の御息女なのでしょ? 御家に帰られなくて宜しいのですか? 」
真希は頭を掻いた。
「九条禰宜のお嬢さんも痛いとこ突くね。まぁ、色々とあって帰るに帰れないんだよ。出来れば詮索しないで貰えると有難い。あと、もし雇ってくれるんなら伊達様はやめておくれ。伊達の名前を出すと色々面倒もあるから真希でいい、河童の真希! 」
「河童? 」
悠が不思議そうに聞き返した。
「水妖館ってのは水妖… まぁ水神様が開祖の道場ってことになっててね。水妖の師範代だったから河童って呼ばれてたのさ。」
彩が悠の顔を覗き込むと、悠も無言で頷いた。
「旦那様に御許し頂いたので、真希さんに警護をお願いいたします。」
「何、今の? 以心伝心って奴? 言葉交わさなくても通じ合ってますって? まぁ、いいや。那っちゃん、これであたしも手加減出来なくなった。おとなしく退いてくれねぇかな? 」
真希が刀を構えると那津は顔を顰めた。
「ちっ。仕方ないね。今回だけは通してやるよ。ただし帰りも無事に通れるとは限らないからね。野郎ども、退くよ! 」
那津は野盗たちを引き連れて去っていった。
「伊… 河童真希さんでしたね。助かりました。」
真希に向かって彩は深々と頭を下げた。
「あ… 呼ぶ時は河童、要らないから。それに那っちゃんが退いたのは、多分、旦那さんのお陰だ。」
思わず悠はきょとんとした。
「僕… ですか? 」
「ああ。旦那さん、さっき那っちゃんの霊力、弾き飛ばしただろ。あの子、自分に禰宜みたいな霊力があれば一族を救えたんじゃないかって自力で相当な訓練、積んでたみたいなんだ。それを、あんな虫でも払うみたいに弾かれたら、そりゃ驚いただろうよ。」
真希の話からすれば那津も、それなりに自信を持っていたのだろう。それでも悠からすれば、それがどのくらい凄い事なのか見当もつかなかった。
「それでは、先を急ぎましょう。」
彩としては星の宮が再建されるまでに悠の修行を終わらせたい。修行がどのくらいの期間を要するのかわからないので一日も早く行者の元に辿り着きたかった。
「なんか、すまないな。夫婦水入らずんとこ邪魔したみたいで。」
真希はばつが悪そうに頭を掻いた。
「いえ、こちらも魍魎が相手であれば専門ですが人を相手するとなると真希さんのような方がいてくださるのは助かります。」
これは彩の本音だろう。父、宗織の庇護の元で育った彩には対人の経験がなかった。悠にしても対人などディスプレイ越しにしかない。そんな二人にとって真希の存在はありがたかった。三人は更に山奥へと進んだ。途中、真希の案内で幾つかの滝や沢を渡り歩きながら行くと、急斜面の滝壺に出た。
その底にある岩窟の入口から水の流れる音が聞こえる。
「ここが水妖館だ。次の宿場まで距離はあるし、もうじき日も暮れる。この辺も夜になると魍魎が跋扈しやがるからね。泊まってっておくれ。あたしゃ水神様に挨拶してくるから。」
「それでしたら私たちも御挨拶を致しとうございます。」
いかに禰宜といえども水神に直接会う機会など、そうあるものではない。それに助言なり助力なりが得られれば魍魎討伐の助けになるかもしれないと彩は考えていた。しかし、真希は困ったように考え込んでいた。あまり彩と悠が水神に会う事に乗り気ではなさそうに見えた。
「なにか問題でもございますか? 」
困り果てた様子の真希に彩が尋ねた。彩は仕方なさそうに頷いた。
「わぁったよ。水神様には会わせてやる。けど、いきなり暴れないでくれよ。くれぐれも冷静にな。」
彩には真希の言っている意味がよくわからなかった。