禰宜眞鍋
夜分ではあるが状況が状況である。取り敢えず彩の母、靜は彩から話を聞いた。と言っても彩に報告出来るのは、宗織が2人を結婚(正しくは結魂なのだが)させた事、宗織がこの世を去った事、悠と2人で魍魎を退治した事以上の事はない。
「そうですか… 宗織殿が… でも、消えたのであって亡くなられた訳ではないのよね? 」
彩と悠は魍魎が宗織を喰らうという話の件は聞いていない。そして亡くなるところを見た訳でもなく遺体も無いのだが、靜に変な期待を持たせてもいけないと返答に困った。
「取り敢えず、悠くんは九条家に婿に入ってくれるのよね? 」
唐突な靜からの問いと言葉遣いに悠はきょとんとした。考えてみれば劉焔という男の話しの流れからすれば九条というのは名家なのだろうと悠も思った。彩が一人娘だとすれば、そういう話になるのかもしれない。それに、どう考えても此処は悠の居た世界ではない。であれば天涯孤独のようなものだし行く宛も無いので婿に入るのは構わないと思ったが悠には気掛かりな事もあった。
「婿に入るのはいいんですけど… 禰宜っていうのが、よくわからないんですけど? 」
「えぇ~!? 彩ちゃん、どういう事っ? 」
靜の驚きように悠の方が驚いた。彩としても説明のしようがない。
「いやぁ。突然、空間から伸びてきた腕に掴まれて連れてこられたもんで、まだ状況もよくわかってないんですよ、ハハハ… 。」
悠の乾いた笑いに靜は顔を曇らせた。
「それは困りましたね。宗織殿が決めたと言うなら、二人の結婚に反対は出来ないもんね。そうだ、星の宮が再建されるまで悠くんには禰宜の修行に行ってもらいましょ。うん、それがいいわ。禰宜眞鍋として九条家の婿になってもらうの。それなら、きっと余所の禰宜からも文句は出ない筈だわ。」
修行と聞いて悠の頭の中には部活の練習のようなものとテレビでしか見たことの無い滝行や座禅が浮かんで、気が重くなった。しかし、断ればこの世界で居場所が無くなるだろう。
「わかりました。旦那様、修行に参りましょう。」
先に口を開いたのは彩の方だった。しかし、靜は眉を顰めた。
「えぇ~。彩ちゃんは私とお帰りを待ってましょ~よ~。」
「いいえ母上。祝言はまだと申せど、わたくしは旦那様の妻にございます。旦那様が行かれるのであれば、どのような所にでも御一緒いたします。」
あまりにも彩が毅然と答えたので靜は口を尖らせた。
「んもぉ… ちょっと前まで母様、母様って私にくっついてたのになぁ。でも、お嫁さんになったんだから仕方ないわよね。」
靜は少し寂しそうだった。
「さ、今日は遅いしお話しの続きは明日にしましょ。」
切り替えが早いのか無理に明るく振る舞っているのか靜は笑顔だった。いや、もしかすると本気で宗織が死んだと思っていないのかもしれない。悠が彩に案内されて寝所に行くと2組の布団がピタリと並べて敷かれていた。さすがに悠は慌てて布団を離した。悠の中の常識と倫理観が拙いと訴え掛けていた。彩としても親が決めた結婚であれば逆らえない御時世とは云え、出逢ったばかりの日というのは心の準備も出来ていなかったので少し安心した。翌朝、当たり前のように何事もなく悠が目を覚ますと隣の布団は既に片付けられ、奥の方から彩と靜の声が聞こえてきた。
「おはようございます。」
「旦那様っ! 厨や台盤所は殿方の来るような場所ではありません。今、お持ちいたしますので身舎にてお待ちくださいませ。」
悠は時々、彩の言っている意味が解らない時がある。古典の授業でも聞いたか怪しいような言葉だが、なんとなくニュアンスで察するしかなかった。昨晩、食事をした部屋へいくと座布団だけがが並んでいた。厨で彩たちが膳を用意していたのでテーブルのようなものが無いのは理解したが、問題は何処に座るかであった。本来、宗織が居れば上座なのだろう。靜が宗織の死を信じていないのであれば、空けておくべきか。彩の旦那とはいえ祝言は未だだ。靜や彩の席次は何処になるのか。
「おや婿殿、早く席にお座りくださいな。」
靜の悠の呼び方がいつの間にか変わっていた。
「旦那様、上座へどうぞ。」
彩の方はそのままのようだ。郷に入らば郷に従えと言うが、悠としても判らない事ばかりなので、ここは彩の言うとおり上座へと移動した。
「悠くんて呼ぶと彩ちゃんが怒るのよ。」
「母上っ! わたくしの事も彩とお呼びくださいと申したではありませんか。」
悠に言いつけるように、ひそひそと話し掛けた靜を彩は睨んでいた。
「婿殿ぉ、彩ちゃんが睨むぅ~。」
「は~は~う~え~っ! 」
「じょ、冗談よ。うん、彩ちゃんから婿殿、盗ったりしないから。だって、わたくしの心の中には宗織殿が居るんだもの。」
靜の態度に彩は少し肩を落とした。子離れ出来ないというよりは宗織が帰らぬ寂しさを誤魔化そうとしているのかもしれないと思えたからだった。
「そんな事より、朝餉を摂り終えたら支度なさいね。行者様には書簡を送っておいたから、受け入れてくださる筈よ。」
いつの間に書簡など送ったのだろうか。靜は、ふざけているようで意外としっかりしているのかもしれないと悠は感じていた。