九条禰宜
時に魑魅魍魎が跋扈する映し世。逃げ惑う民草も戦えし兵も疲弊していた。
「彩、逃げなさい。」
「父上を置いては行けませぬ。」
彩と呼ばれたのは歳の頃なら十五ほどの娘であった。裳着、つまりは成年の儀を終え、この世界では大人として扱われる年齢である。そして彩の父親である九条犀星宗織は禰宜、この世界においては神官のようなものを務めていた。
「もはや、この星の宮も長くはもたぬ。これは禰宜としての命令ではない。父としての願いだ。彩よ、生き延びてくれ。」
「父上、危ないっ! 」
父親を突き飛ばすと彩は襲い来た魍魎の放った炎に包まれていった。
「彩~っ! 」
しかし魍魎は待ってはくれない。宗織が哀しみに暮れる間もなく別の魍魎が現れる。何かを言っているようだが宗織には何を言っているのか理解出来なかった。だが、意識が直接頭に響いてきた。
『娘の命を取り戻したいか? 』
「何!? そんな事が出来るのか? 」
すると魍魎は大きく頷いた。半信半疑というのが正直なところだろう。相手は魍魎である。しかし、娘の命を取り戻したい一心で宗織は頭を下げた。
「頼む。この命を喰らわれてもよい。娘を生き返らせてくれっ! 」
すると魍魎は満足そうに頷いた。
『いいだろう。お前の娘は炎に焼かれ離魂し魂因が欠けている。それを取り戻すには別の魂と結魂させねばならぬ。』
「ならば私の魂をっ! 」
食い気味に叫ぶ宗織を魍魎は制した。
『おいおい。お前の魂は俺が喰らうんだ。それに魂には波長ってもんがあってだな。こいつは親子とか他人とか関係なく合う奴は合う。合わねぇもんは合わねぇ。魂儀が整えば娘と、その結魂相手が現れるって寸法だ。結魂相手とは魂が共通だから片方がもう一度死ねば相手も死ぬ。二度目は無い。波長次第なんで、どんな世界のどんな奴と結魂するかも判らねぇ。そもそも、こいつはお前等からすれば禁忌、禁術の類いだ。それでもいいか? 』
宗織は一瞬、戸惑ったが覚悟を決めた。
「構わぬ。娘さえ甦るなら構わぬ。」
自分は魍魎に喰われてしまうのだから親の利己である。それでも宗織は生きてさえいてくれればと魍魎の話しに乗った。
『よし。んじゃ魂結びだ。』
魍魎は左手に欠けた彩の魂を乗せると右手を突き上げた。すると途中から腕が空間に潜り込んでいた。
『お、運がいいな。この魂ならピッタリだ。』
少し話しは遡る。
「悠~っ! 」
病院で女性がベッドの上の少年に泣きついていた。
(なんで母さん泣いてんだろう? ってか寝てるのって僕だよね? なんで上から見てるのかな? )
悠は辺りを見回すと心電図が一直線になっていた。
(あれ? これって幽体離脱ってやつ? 拙くない? 戻らなきゃ。)
しかし、そんな悠の魂は空間から伸びてきた手に掴まれた。
(え!? 僕はあそこに戻らないと。やめてよっ! )
悠は碌に抵抗も出来ず空間に引き込まれていった。
魍魎は引きずり出した悠の魂と欠けた彩の魂をまるで雪玉でも握るように合わせていった。一見、雑にも見えるが宗織は口出しも出来ず、ひたすらに祈るしかなかった。
『おっしゃっ。出来たぞ。俺に喰われる前に大まかに説明して別れてこい。』
「何故、魍魎がそこまでしてくれるのだ? 」
宗織の疑問は無理もない。都を襲い彩の命を奪ったのも魍魎ならば、その魂を繋ぎ止めてくれたのも魍魎なのである。
『俺の気が変わらねぇうちに急げよ。』
魍魎からは答えを得られなかった。諦めて宗織が振り返ると悠と彩は同時に目を覚ました。
「二人とも、時間が無いので手短に説明する。今、魂儀を整え、魂因の欠けた彩と、貴殿を結魂させた。もはや二人は一心同体だ。共に強く生きてくれ。貴殿、名は何と申す? 」
「悠… 眞鍋悠です…。婚儀? 婚姻? 結婚? あのぅ、僕、未成年なんですけどぉ。あ、夢の続きかな? 」
思わず悠が自分の頬を抓ってみた。
「痛っ! 」
しかし、声をあげたのは彩の方だった。
「あ、ごめんね… 。ていうか一心同体って物理的な話? 」
「正確には心というか魂が繋がっているらしい。互いを想い、大切にするのだぞ。そして眞鍋殿、くれぐれも彩の事、御頼み申す。」
そう言い残すと宗織は闇の中に消えていった。
「らしいって、そんな無責任な… 君は… !? 」
悠が隣を見ると彩は三つ指をついていた。
「不束者ですが、宜しくお願い致します。」
そう言うと彩は深々と頭を下げた。この世界では、まだ家長の決めた相手と結婚するのは当たり前であった。
「え? いや、そんな簡単に受け入れちゃうの? ってか逃げた方が良さそうだよ。」
悠は彩の手を取り走り出した。その直後に星の宮を燃やした魍魎が追ってきた。が、彩は足を止めてしまった。竦んだ訳ではなさそうだ。
「どうしたの? 早く逃げないと死んじゃうよ? 」
しかし彩は魍魎の方へと振り返った。
「申し訳ありません、旦那様。嫁いだばかりというのに… ですが、わたくしは九条禰宜の娘、魍魎を見過ごす事は出来ぬのです。先にお逃げくださいませ。」
彩は両手を広げると光の八角方陣が現れた。しかし、どう見ても魍魎を食い止められるようには見えなかった。
「逃げろって言われてもなぁ。」
魍魎は彩を目掛けて拳を振り下ろした。だが、その瞬間に八角方陣は輝きを増して大きくなり、それに触れた魍魎は星屑のようになって霧散していった。この時、彩の手には悠の手が添えられていた。