神使達
早朝、昨日と同じように身支度を終えクラウディアの元へ向かった。
鳥居を潜り石段を登ると、世話係の女性二人に支えられながら軽装で佇むクラウディアが屋敷の前でルカを出迎えていた。
「よく来たね。今日はお前さんを連れて行きたい場所がある」
クロノがクラウディアに手を添え介助するその背後にルカとレインがついて行く。
「滝に…神域に向かうのですか?」
「昨日は時間が足りなかったからの。私にはもう声が聞こえないが、お前さんは神使と対話が出来るだろう。霧深い中を歩いて行くが、それ程遠くない」
昨日、昼食を摂った蝋梅と池のある縁側の庭を抜けて行くと、小さな小道が続いていた。
道の両側には幹の太い杉の木が連なって生えており、あまりに立派な木々の姿に樹齢の深さと歴史を肌身に感じる。
この大陸は女神ハルペイア信仰が浸透しているが、自然崇拝の神秘的で何人も寄せ付ける事の無い荘厳さには、古代文明の奥深い叡智を感じざるを得ず、畏敬の念を禁じ得ない。
大きな杉の木達に囲まれるようにして暫く進んで行けば行くほど、耳に届く滝の音も大きくなっていく。
一際滝の音が耳に響く頃には、視界の先に見上げる程の崖から流水を滴らせ、ポッカリと深く抉れた滝壺へ水飛沫を上げる美しい滝が見えた。
辺りは水飛沫の影響だけではない濃霧が一面に広がり、人間が踏み入ってはいけないのではないかと息を呑む厳かさに満ちている。
「ルカ、詠ってくれないか」
足元に気をつけながら、滝壺のそばまで近付いたクラウディアがルカへ振り返って言った。
「私の知っている古代語の詩でよろしいのでしょうか」
「ああ、大丈夫だ。聞かせておくれ」
ルカがパヴァリアでよく歌っていたあの詩でいいのだろうか。
クラウディアは詠ってくれと言うが、ただ単に古代語の詩を歌っていただけで、詠いあげていたわけではない。
正しいかは分からないが、子供達の声はよくあの詩をせがんだ。
覚悟を決めて、水飛沫の音に掻き消されないように歌い出す。
「……きょうの ゆうひの くだちの」
正直、この詩の意味は深く理解していない。
「あまつ くにつ みおしえ ひろき あつき みめぐみ」
"あー!ルカが久しぶりに歌ってるー!"
"久しぶり久しぶり!"
"ルカの歌大好きー!"
いつもの子供達の声が頭に響く。
この里へ辿り着いてからは久しく聞いていなかった甲高い声達。
「つみといふつみ はあらじ みちに たがふ ことなく つくさしめたまへ」
"すごくキレイな声ー!"
"なになにー?うたー!"
"うた!久しぶりに聞くー!"
"ルカの歌は気持ちいいんだよー!"
いつもの子供達の声に更に重なる声。
この神域の神使達も騒めき始めたのが分かった。
「はらいたまへ きよめたまへと かしこみ かしこみ もうす」
短い詩を詠いあげると同時に、その場を目も開けないほどの眩い閃光が射した。
光が落ち着くと、滝壺の周囲には手のひらサイズの小さな人型の羽根が生えた子供達がふよふよ浮かんでいる。
数にしてみれば20以上。
小さな子供達は色彩豊かで色とりどりな衣服を纏い、口が"口"の形をしており黒目が点に見える事から明らかに人間ではない。
手のひらに収まる程小さい上に羽根が生えており、空中に浮かんでいる時点で人間ではないのは丸分かりだが。
「……おおっ…初めてだ…顕現なされた…!」
隣に立つクラウディアが感無量の声で口にする。
「これが……神使…」
「本当にいたんだ〜!小さい〜!」
続けてクロノとレインも声を上げる。
皇家の血筋しか声との対話は叶わなかったはずだが、どうやらこの場にいる全員に姿は見えているらしい。
"ルカ!見えてるー?"
"やっと見えたんだー!"
"ぼくたちずっと一緒だったよー!"
"臭い街は無理だったけどー!"
小さな子供達の四体程がルカの周りに纏わりつく。
パヴァリア村からずっとついてきてくれている子達だ。
姿を目に映す事が出来てようやく、この声達が幻覚では無かったのだと安堵の息をつけた。
手を伸ばすと、掌の上に小さな子達が群がる。
「お前達、この里に来てからは静かだったな」
"ここ居心地いいからねー!"
"英気を養ってたーみたいなー?"
"まったりしてたよー!"
"空気おいしー!"
声達がはしゃぎ回る。
「……お前さんの周りに居るのは、パヴァリアの御神木からついてきてくれた子達かい?ずっと、守られておったんだな」
"もちろんー!"
"ルカ大好きー!"
"ぼくらいないとルカ危なかったねー!"
"守ってたー!"
クラウディアの言葉に、ルカの周りに纏わりつく四体は誇らしげに胸を張り、頭や手のひらや肩の上などで踏ん反り返っている。
そんな子達を見て、他の神使達が羨ましそうに宙を飛び回って声を上げた。
"何それ何それー!"
"ズルいー!"
"ルカっていうのー?"
"きれいー!いいなー!"
"うた!うた!"
騒ぎ立てる神使達の挙動が目まぐるしく、ルカは構う事もあしらう事も出来ない。
困り果てたルカを見遣ってクラウディアが間に入り、飛び交う子供達に恭しく礼を取る。
「この子は私の血縁の者でルカといいます。お見知り置きを」
"ルカー!"
"クラウディアと同じにおいー!"
"遊びにきたー?"
「ええ、皆様にご挨拶をと連れて参りました」
"クラウディア全然きてくれないー!"
"さびしかったー!"
「申し訳ございません。体調が思わしくなく、なかなか足を運べませんでした」
クラウディアと小さな神使達の微笑ましいやり取りを横目に、呆然と立ち尽くすクロノと楽しげに見守るレインの会話が耳に入ってくる。
「皇家の血族ではなくても、御姿とお声を賜われるだなんて…」
「オレも流石に驚いた〜。なんでだろ?ルカちゃんの能力?」
「いや、私は何もしていない。ただ知っている詩を歌っただけだ。姿を見たのも初めてだし…」
この場所が神聖なまま保管されているから土地の力と皇家の血筋が影響したのだろうか。
ルカが深い思考の波に飲まれる前に声達が答えた。
"まえは誰でも見えたし聞こえてたよー!"
"ぼくたちを知らないから見えないし聞こえなくなったー!"
"どこにでもいたしー!"
"意識は繋がってるー!"
"これ本当の形じゃないよー!"
"狐だったり亀だったり猿だったりー?"
"いま力ないからこの形ー!"
「昔は誰にでも見えていたし、今のその姿は本当ならもっと違っているのか?」
"そうそうー!"
"みんな知らないからー!"
"しかたないよねー!"
わちゃわちゃ自分勝手に話すせいで上手く要領を掴めないが、どうやら古代文明では彼らが存在するのは当たり前として受け入れられていたらしい。
それに、今の羽根が生えた子供の姿は本来ならばもっと動物に近い見た目だったようだ。
「私はもう一生、神使のあなた達の声を聞く事も相見える事も叶わないと思っておりました。これで、心残りもございませぬ。…あなた方にお願いがあります」
クラウディアが子供達に真剣な表情を向ける。
「この里に住まう者達と、ルカの助けになってやってはくれませんか?里に張られた結界も解いて頂いて構いません」
「クラウディア様!?」
クロノが驚き、声を上げた。
「私はもうすぐ寿命を迎えます。あなた方に詩を詠いあげる事も出来なくなりましょう。私が居なくなれば、この里の守りの霧も必要なくなる。皇家に追われる者がいなくなりますからな。里の血族以外の人の出入りの自由がなくなり、外界と遮断されてしまっていたのは、私の責です」
「クラウディア様!そのような事はございません!どれだけあなた様に護られていたか」
「いいんだ。もう久しく神使との対話も成らず、護りは薄くなっていた。私の水の操作の能力が安定せず、霧だけが濃く立ち込めてしまっていた」
「ですがっ」
「里の者達は強く聡い。この分厚い霧から解放される時がやってきたんだよ。私が死ぬ前に、せめてもの罪滅ぼしをさせておくれ」
「……っ…!」
クロノは言い募ったが、寂しそうに笑うクラウディアを見て言葉を発せなくなってしまっていた。
ルカもレインも何も言わずに、二人の動向をただ見守っていた。
何も言えなくなったクロノを見て、クラウディアはまた神使達へと目線を向ける。
「……この里の住人達とルカへ加護を。私の命と引き換えにお願いしたいのです」
"加護ー!まもりー!"
"出来るよー!"
"クラウディア死んじゃやー!"
"命いらないのー!"
"歌ってー!"
「ふふっ、そうですか。私がいつこの世を去っても大丈夫なよう里の者達には、あなた方へ捧げる詩は伝えてありますよ。……これまで頂いた寛大なる御加護に、感謝申し上げます」
"まかせてー!"
"クラウディアの頼みー!"
"霧消すー!"
"お守りあたえるー!"
子供達のキンキン声が響いた途端、これまでずっと里を覆っていた深い霧が薄らと消えていった。
そして小さな姿の神使達があちこちに飛び回り一人一人に光り輝く粉のようなものを振りかけていく。
"加護ー!"
"キラキラー!"
"ちょっとやそっとじゃ死なないー!"
"風邪ひかないー!"
"ぼくらはルカと一緒にいるー!"
"呼んだらいつでもいくー!"
"今までと同じー!"
"もういつでも見えるよー!"
滝壺を漂っていた子供達とは別の、パヴァリアからついてきた四体は、ルカの周りで瞬いたと思いきや姿を消した。
これまでは声しか聞こえなかったが、今後は呼べば姿も現してくれるのだろう。
何だかんだ常にそばで見守ってくれていた声達がいなくなってしまわない事に安堵する。
子供達の声が途絶えた事で、気にならなくなっていた滝の激しい水飛沫の音が途端に耳へ響き出した。
このままこの場で話すには声量を張り上げ続けなければならないので、4人で滝に向かって一礼し、クラウディアの屋敷へと歩き出す。
「……クラウディア様。この里を代表する長として、心より感謝申し上げます。……お気遣い頂き、本当に申し訳ございません」
杉の木立の合間で足を一度止めたクロノが、クラウディアに向き合い深く礼をとる。
「私は神使様達にお頼みしただけだ。歳を取り、対話もならなかったのが、ルカのおかげで加護を得られたんだよ。彼女に感謝おし」
「いえ、私は何も…」
謙遜でもなんでもなく、ルカは本心から困惑してしまっていた。
神域へ来てただ詩を歌っただけだ。
この里へ辿り着いてクラウディアと話していなければ、あの声達の正体も分からず仕舞いだったに違いない。
「……クラウディア様、私はまだまだ貴女に教えを請いたい。私達皇家の血筋だけでなく、この世界についても」
「そうかい。……ルカ、今宵は私の社に泊まるといい。私の知り得る全てを出来るだけお前さんに託したい。だがな、私にはあまり時間が残されていないんだ」
「……」
クラウディアの言葉にルカとクロノは眉を寄せ、その場は物悲しい空気に包まれる。
レインの表情は読めないが、同じような想いを抱いているだろう。
背中の丸まったか細い老女に残された寿命は、その儚い雰囲気からも察せられるように限り無く少ない。
クラウディア自身だけでなく、彼女を支えてきた周りの人間も皆気付いていたのだろう。
大切な家族を残し生まれ育った地を離れ、真実を追い求め一人孤独に戦い続けた女性。
彼女の想いや願いを、ルカに抱えきれるのだろうか。
ようやく出会えた、ルカと同じ立場であり深い苦しみを抱く血縁。
彼女亡き後の自身の在り方に不安が込み上げる。
「大丈夫だ。お前さんは独りじゃない」
暗澹としていく心を包み込むように、クラウディアはそっとルカの手を握った。




