怪物
陽が落ち始め、朱色に染まる山道を少し下り、10分ほど行った先には、想像を遥かに凌駕する村の様相を呈していた。
いや、「村」だったものはもうそこには無い。
「火を放ったのか…!」
焼け落ちた瓦礫の山に、火の手から逃れた家屋も所々崩れ落ち、そこに虚しく草花が生い茂っている。
所々に白骨化した遺体が放置され、田畑は焼き尽くされていた。
「ミア…ケイト…!」
人気の無い残骸だらけの荒地に、ルカの声だけがこだまする。
早鐘を打つ心臓を外套の上から鷲掴みながら、震える足を無理矢理引き摺っていく。
一軒一軒確認したものの、人っ子一人いる気配は無かった。
(…あの指揮を取っていた男の口ぶりは、明らかに僕たちを連れ去る事を目的としていた。ならばっ!村人達は無関係だったはずだ…!!)
許さない。
全身からドス黒い怒気が立ち上り、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
知らず知らずに歯軋りをする。
あの時の母と男の会話を思えば、自分達のせいで村人達は巻き込まれたのだ。
頭に血が上り、眩暈でフラつく両足を何とか踏みしめる。
"ルカ!"
"ルカ!逃げて!"
と、そこへ、いつもの子供達の声と、人とも獣ともつかない恐ろしい咆哮が耳を劈いた。
「ギィヤァアアアア!!」
「っ!?」
民家を三軒程離れた先に、遠目からも分かる腕の長い巨体の生き物が咆哮を上げていた。
既に陽は落ちていた為、あたりは薄暗く、はっきりとした姿は見えないものの、その異様さはルカを無意識に震え上がらせる。
(何だあれは…)
気取られぬよう足音を立てず、建物の残骸へ身を隠す。
「ギィヤァアアアア!!」
ドスン!ドスン!
ゆらりとルカの居る方向へ向かって歩いてくる。
月明かりに照らされたその怪物は、目があるべき場所にぽっかりと穴が一つ空いていた。
口は耳まで裂けており、鋭い刃が隙間を空けて不規則に生えている。
足元まであるざんばらの白髪を振り乱し、鼻をヒクつかせ、匂いを嗅ぐ仕草で何かを探しているよう。
皮膚には深い皺と抉るような傷痕が刻まれており、背骨が折れ曲がった前傾姿勢はまるで老婆だった。
こんな怪物が存在する事など知らない。
御伽噺に出現する、架空の悪鬼の様相そのものだ。
このまま通り過ぎていくのを待つか、気付かれる前に距離をあけて逃げるか思案していると、
「!!」
ルカがいる方角へ振り向き、ニタァっと涎を垂らす。
(気付かれた!)
そう思った時には、離れていた分の距離を跳躍で埋め、四つん這いに着地し、ルカへ向けて長い爪で切り掛かってきた。
すんでの所で半身を捻り、外套の下に隠し持っていたダガーを投げ付けた。
「ギィヤギィヤァアアアア!!」
繰り出したダガーが数本右腕に突き刺さり、怒りの咆哮を上げた怪物は、ドス!ドス!と地団駄を踏む。
初撃のの際に掠ったのか、ルカの頬から一筋の血が流れ落ちる。
(まずい…!手持ちの武器じゃ無理だ!)
ルカが今持っているのは短剣とダガー。
突き刺さっていたダガーもすぐに抜け落ちた。
見た目の恐ろしさと同様、皮膚も身体も相当硬いらしい。
短剣を構える。
「ギィヤァアアアア!!」
咆哮と共に二撃三撃目がルカを襲う。
両腕を交互に振り回し、鋭い爪で切りつけてくるのを後ろへ跳躍し、着地の勢いを利用し真っ向から飛び込んで腕に斬撃を与える。
そのまま怪物を置いて走り出した。
短剣では届かないし深傷を負わせられない。
目指すは石垣で出来た一軒の建物。
ケイトの叔父の趣味が高じて建てた、村で唯一の鍛冶屋だ。
石垣で建てられているその店は、家々を焼き払った業火からも逃れ、廃墟となった今も点在していた。