クラウディアの過去⑤
その日の夜、城内が寝静まった深夜、小さく窓を叩かれた。
姉ガブリエラと、黒衣に身を包んだ二人がベランダに立っていた。
こんな夜更けに、しかもベランダから忍んで来るとは只事ではない。
部屋の外に控える衛兵に気づかれぬよう、静かに窓の鍵を開けて訪問者達を招き入れる。
『…こんな時間にごめんなさい。今すぐこれに着替えてちょうだい』
そう言って粗末な衣服と外套と靴を渡された。
時間が差し迫っているのだろう、低めたガブリエラの声には焦りが見える。
言われた通りに衣服へ袖を通し外套を羽織ると、クラウディアの長い髪が外套のフードから垂れないようにガブリエラが結い上げてくれた。
『今詳しい話をする時間は無いわ。着いてきて。こっちよ』
黒衣の二人が寝室の壁に掛かった姿見を取り外すと、ガブリエラがクラウディアの手を引っ張って真っ暗な中をランタンで足元を照らしつつ、急ぎ足で進んでいく。
石壁に包まれたその隠し通路は、皇族のみに口伝で継承される、有事の際に皇宮外へ逃れる際に使用するものだった。
陛下と皇妃の部屋には存在するだろうが、自分の部屋にも隠し通路への扉があったとは知らなかった。
『姉様、いったい…』
『しっ。話は後で』
ガブリエラは足を止める事なく、前を向いたままクラウディアへ短く答えた。
姉妹の歩く前後を、黒衣の者達が挟み込んで先導する。
足元の悪い中、石段をかなり下り、迷路のように複雑な別れ道を幾度も曲がった。
石壁に囲まれた通路は冷んやりと湿っていて、たまに鼠が駆け抜けていく。先の見えない暗闇の空間は、永遠に続くものかと思われる程だった。
長い時間狭い通路を歩き、石段を登り切ると行き止まりだった。黒衣の者が天井の石壁を叩く。
すると、ズズズっと石壁が開いた。
開いた天井の石壁から黒衣の者が先に飛び出すと、クラウディアを引き上げる。
そこは月の光が地を照らし、静謐な雰囲気をした場所だった。
よく周りを見渡すと、皇家の墓場であるのが分かる。
自分が何故深夜に隠し通路まで使って、こんな場所に連れて来られたのかを問いただそうと姉を振り返ったが、ガブリエラは上がってきていなかった。
急いで出入り口の穴まで近寄ると、暗い穴の中から声だけ聞こえる。
『クラウディア、逃げなさい。黒衣の者達はフェリクスが送り込んでくれた私達の味方よ。彼らに着いていきなさい』
『何故!?何も聞かされていないわ!何が起こってるの!?』
『アサギに、手紙を預けてあります。無事に逃げ延びたら読むの。それと、この薬を毎日飲みなさい』
丸薬が詰まっているらしい瓶の入った小袋を渡してきた。
『姉様は!?私一人だなんて絶対に嫌!!』
這いつくばり泣きながら穴の淵から顔を突っ込むと、頬に流れた一雫の涙を、姉の痩せ細ったか細い指が撫で上げる。
『私は、クリスティアンを見守ってあげたいの。フロレンツィア姉様もディートもいないからね……私が代わり。貴女は私の希望よ』
『姉様が行かないなら、私も残るわ。私もクリスティアンの姉様だもの』
必死に懇願するも、姉は頷いてはくれなかった。
『…お願いよ。わがままを言わないで頂戴、可愛いクラウディア。私には貴女まで守る余力は無いの。これが精一杯』
『…姉様は…死なない?』
『クリスティアンを守らなきゃいけないもの。それに、フェリクスがいる。……大丈夫よ。さあ、早くお行きなさい』
その言葉を最後に、石の壁が動き出して穴は塞がってしまった。
『…姉様…』
受け取った小袋を胸に呆然と穴があった場所を見つめていると、黒衣の者が痛わしそうに声をかけてきた。
『皇女殿下、見つかる前に移動します。お辛いでしょうがこちらへ』
先程、姉とクラウディアを挟んで警護するように先導していた二人だ。
姉は一人でまたあの暗い通路を戻って行くのだろう。姉の部屋へ通じる道もあるのだろうか。
私を皇宮外へ連れ出したのがバレてしまえば、いくら姉でも追求は免れない。
無事に自室へ辿り着きますよう。
そんな事が頭をよぎりながら黒衣の二人に着いていくと、墓跡の群を抜けた先に二頭の黒馬が大木に繋がれていた。
『ガブリエラ様から渡された丸薬を一粒お飲み下さい。長旅になりますが、必ずや無事にお送り致します』
そう言って黒衣の者は、水の入った皮袋を渡してきた。
帝国からの脱出は極めて厳しい道程だった。
とにかく追手が掛かる前にと、皇都を抜けるまでは一昼夜人目を憚り山間を駆け抜けた。
途中、馬を休憩させる為の束の間の休息は挟んだが、訓練された駿馬は寝ずの逃走にも耐えてくれた。
季節も夏から秋へ切り替わる時期だったのも幸いしたのだろう。
雪原の中での逃亡なら、ここまでスムーズに行けたはずもなかった。
道中、黒衣の二人にガブリエラは何をしようとしているのか聞いても何も話してはくれない。
無事逃げ延びたら手紙をお読み下さい、と言うばかり。
ただ、これからクラウディアが送り届けられる場所というのは彼らの里である、という事だけは教えてくれた。
帝国を抜けるまでは誰にも見られぬよう駿馬で駆け抜けて一週間弱。
雨に降られる事も無く順調に国境を越え、サヴォイア王国に入ると、宿場に泊まる事も出来て身体への負担もかなり軽減された。
いくつかの宿場を経て、帝国を出奔して二週間経った所で彼らが拠点とする"名も無き里"へ辿り着いた。
同行していた黒衣の者の内の片方は、この里の族長の息子で、名をアサギと名乗った。
アサギはクラウディアを長に引き合わせると、ガブリエラから預かったという手紙を懐から出した。
『皇女殿下、こちらがガブリエラ様からのお手紙です。お読み下さい』
クラウディアは震える手で、ガブリエラの手紙の封を開けた。




