愛しいエヴァ
母・ジュード・ルカの部屋を順に周り、居間に転がった椅子を立て掛け一息つく頃には、夕方の西陽が差し込んでいた。
椅子に身体を預け、顔を両手で覆い大きく息を吐く。
何も無かった。
自分達の生い立ちを表すものや、繋がりを示すような些細な情報も何も。
何故こんな目にあったのかすら分からない。
だが、母が話した『王家』『タクシス帝国』が関わっているのだけは理解出来る。
(母とジュードを殺した奴らの会話、統制の取れた動き、野盗や山賊といった立ち振る舞いではなかった)
そして、レイと呼ばれた男は母を"叔母さま"と。
昨日今日の出来事だったかのように、あの時の様子は鮮明に瞼に焼き付いている。
(この赤錆びた鍵を開けられるような扉も箱も無い…)
母からの少ない情報だけでは八方塞がりだった。
ふと、顔を覆っていた両手を下ろし、目線を上げる。
居間の壁には、ここトラキア大陸を載せた地図が貼り付けてあった。
東のレーゲンスベルク・西のサヴォイア・南のエッシェンバッハ・北のタクシス・中央のシェルバーン。
この五つの国が、一つのトラキア大陸に存在する。
(母上の仰っていたトロイは…確かこの島だ)
パヴァリア村はエッシェンバッハ国とサヴォイア国の国境沿い、地図で見るとトラキア大陸の南西に位置する。
トロイは、サヴォイア国と隣り合ったタクシス帝国との国境沿いに、更に西へ海を隔てた先にあった。
(トロイに向かうには、帝国との国境沿いから船に乗るしかないか…)
地図をよく見ようと壁から剥がす。
ふと、違和感を感じ、裏面へひっくり返す。
『愛しいエヴァの向かう先が光で満ちておりますよう』
母の字で、祈りの言葉が綴られていた。
溢れる涙を堰き止める様に歯を食いしばる。
手にした地図に涙が滴る前に、丁寧に折り畳んで、自室から持ってきていた鞄へ仕舞い込んだ。
体型に合っていない服を脱ぎ捨て、動きやすさに特化した服へ着替える。
ジュードが稽古時に着用していたものだ。
少し大きいが、ジュードは細身で身長もそれほど高くなかった為、今のルカなら着られない事もない。
腰には短剣。
髪色を染色する薬品の作り方は教えて貰っていなかった。
銀髪を隠せない事に不安は残るが、全身を覆う外套を羽織り髪を一つに結び上げ、フードを被る。
髪と顔を見えないようにするだけで精一杯だった。
赤錆びた鍵には紐を通し、首から下げる。
"ルカー"
"次はどこ行くのー?"
「村を確認しに行く」
ルカはあの夜、村に何が起こっていたのかをまだ知らない。
ミアやケイト、パヴァリアの村人達の無事を祈りつつ、扉を開けて玄関を出た。