座学の授業
「……脚が…」
「ルカちゃんガックガク〜!まあ、普段使わない筋肉使うよねぇ」
笑いながら前を歩くレインの後を、震える脚を叱咤して何とかついて行く。
ルカが鬼に捕まったあと、永遠とも思われる時間鬼役をやり続けた。
というのも、人役の少年をただの一度も捕まえられなかったのだ。
下手に勢い込んで飛び込めば他の鬼役の子供とぶつかって怪我をさせてしまう恐れがあるし、想像していたよりも緻密な連携プレイがもの言う遊びだった。
「女の子達は座学だそうだから安心してよ〜。休憩だと思って」
疲弊した身体を引き摺りながら村内を暫く歩いていくと、一つの平たい木造建築の家屋に到着した。
「ユキ姉〜アオイ〜!来たよ〜」
大きな音をたてて玄関の引き戸を開け、ドスドスと足音をたてながら廊下を歩いて行く。
目的の部屋へ到着すると、室内から顔だけ出した目がくりっとした可愛らしい少年がレインを不機嫌そうに睨みつけた。
「授業中なんですけど…もう少し静かに入ってこれませんかね」
「ごめんごめん〜ルカちゃん連れてきたから許してぇ」
少年はレインの背後のルカを見遣ると、俊敏な動きで部屋から飛び出し、跪いて頭を垂れた。
「し、失礼致しましたっ、エヴァ皇女殿下。ようこそおいで下さいました!」
「いえ……こちらこそ授業中に申し訳ない。私の事はルカとお呼び頂ければ。どうかお顔をお上げ下さい」
ルカが声をかけるとビクッと肩を震わせ、恐る恐るといった様子で静かに顔を上げていく。
少年はルカと目が合うと、頬のみならず耳まで真っ赤に染め上げていく。
「あれれ〜?アオイく〜ん?固まっちゃったぁ」
レインが掌を少年の前でヒラヒラとさせるが、一向に瞬きすらしない。
「この子引きこもりだから、ルカちゃんみたいなキレイな女の子に耐性が無いのよ。純情過ぎるのも困ったものね」
クスクスと鈴を転がすような声音が聞こえてきた方を見ると、黒衣を纏った妖艶な美女が廊下に出てきた。
「あっユキ姉、見学に来たよ〜」
「はいはい、待ってたわよ〜。いらっしゃいルカちゃん。どうぞ中へお入りになって」
美女に室内へ入るよう促されるが、目の前の停止した少年をどうしたものかと動けないでいると、レインが徐に少年の頭を叩いた。
パシンっと小気味いい音が響くと、頭を抱えた少年がレインをキッと睨みつける。
「何するんです!痛いじゃないですか!」
「いい加減ルカちゃんを部屋に入れてあげてよぉ」
レインの言葉にハッとした少年は、再度ルカへ頭を垂れ、
「もっ申し訳ございませんルカ様。こちらへどうぞ」
赤らむ顔のまま室内へ誘導してくれた。
室内へ入ると背の低い長机を前に、幼い少女達が5人程、床板の上に薄いクッションの様なものを敷いてお行儀良く正座して座っていた。
「改めまして、昨日お会いしたぶりですね、ルカちゃん。ユキと言います」
「じっ自分は、アオイと申します。お見知りおきを…」
大輪の花が綻ぶように優雅に笑む美女と、13〜14歳くらいに見える小柄な少年がルカへ挨拶をする。
二人とも、黒衣の装束だ。
顔にも見覚えがある。
この里に到着して、長との謁見の場に居た十人衆のメンバーの内の二人。
「アオイは薬草学や調合においての指導を全般で請け負っていて、ユキ姉は礼儀や所作や暗器の扱い方なんかを指南してるんだ。今は何を教えてたの〜?」
「媚薬の精製よ。精製が終わったら私が使用方法を教える予定」
ユキは緩く編んだ豊かな長い黒髪を靡かせながら、ルカを少女達から離れた後ろに配置してある机と椅子の方へ手招く。
「ルカちゃん、こちらへ。今お茶を淹れてくるわね。レイン、貴方も手伝ってちょうだい」
「ユキ姉は人使い荒いよね〜。ルカちゃん待っててね。アオイく〜ん、せっかくなんだからカッコイイ所見せなよ〜」
茶々を入れてからユキとレインが連れ立って部屋を出て行くと、アオイは顔を赤く火照らせ気まずげにコホンと咳を鳴らした。
「……え〜、では中途半端になりましたので注意点をまた一から。調合に当たって、まずは室内の換気の確認、これは必ず。そして、素手では絶対に触れない事。採取の時点でもです」
少女達の机の上を見てみると、すり鉢とオイルランプと秤、素材はきちんと分類されたものが少量ずつ置かれ、手には手袋をはめて口元と鼻を覆うように布を巻いている。
毛髪の混入を防ぐ為か、頭を覆う帽子に、衣服の上に腕まで覆った白いエプロンのようなものも着用する徹底ぶりだ。
少女達は真剣にアオイの話を聞いている。
「分量と器具の扱いにも十分に注意して下さい。目分量だったり、工程を無視する等、いい加減な作業で精製すれば、思うような薬効が現れず二度手間になり得ます。調合後の後片付けも重要です。人体に害のある物質を使用する場合もありますから、抽出した残りカスや液体の処理場は事前に決めておきましょう」
基本的な注意事項だけでもルカにとっては非常に勉強になった。
ジュードから教わった薬草の調合では主に、傷薬や痛み止めや睡眠薬など、日常生活に特化し、家庭内での利用を目的とした安全性の高いものばかりだったからか、ここまで丁寧な指導ではなかった。
中には致死性の毒薬の精製方法も教わったが、実際に人身売買組織の一つの拠点を潰す際に使用したものの、今こうして授業を受けてみれば何とも危うい橋を渡ったものだと冷や汗が流れる。
そもそもが一般的に使用される頻度の高い致死性の毒の耐性をつける目的と、解毒薬作りの為にジュードから習ったのだが。
「さて、今回は媚薬を調合しますが、種類としては飲用タイプ・塗布タイプ・薫くタイプと大まかに三種類あります。一般的な男女間においてはどれが一番使用し易いでしょうか?」
少女達がこぞって手を挙げ、アオイが一人の少女を指名する。
「飲用タイプです!」
「正解。では、間諜としての任務で標的を籠絡し、仕留める際に使用するにはどれが確実でしょう?」
今度は先程とは別の少女を指名した。
「塗布タイプです」
「正解。それではそれぞれのメリットデメリットを説明致しましょう」
(任務では塗布が有効?飲用タイプが一番害なく使用出来そうなものだが…)
ルカが頭の中で逡巡していると、アオイが細やかな説明を始めた。
「まず、飲用タイプですが、これは標的の警戒心が強い場合難易度が高くなります。標的の目を盗んで食事やお酒に紛れ込ませるのには手間が掛かり、優秀な毒味係が付いていれば即座に気付かれる恐れがあります。また、致死性の高い毒薬とは違い、数滴食事に混ぜる程度では効果が薄く、おおよそ小瓶の三分の一程度の量を体内に取り込ませなければなりません。既に籠絡済みで標的からの信頼を得ており、二人きりでの晩酌の際などの場面ならば可能でしょう。メリットとしては、自身への身体的影響が無いという点です」
つまりは貴族や王族が標的だった場合は、調理場の管理や毒味係やらで難易度が上がるというわけだ。
「次にお香やキャンドルとして薫くタイプですが、効果が効き始めるのに少しの時間を有し、また効き目も緩やかです。香りに嗅ぎ覚えがあれば不信感を募らせるでしょうし、効果を強力にする為に効能を強めたものを使用すれば、そのまま自身にも返ってきます。使用し易い潜入先としては、娼館や不道徳な会合の場での間諜任務の際などでしょうね。タバコ・酒・甘ったるい香水などの匂いで充満してますから」
確かに、ソワソンの娼館は扉を開けただけでも風に乗って、混ざり合った様々な匂いが鼻についた。
娼館で、従業員達を眠らせる為に屋敷中にお香を焚いたが、あの時うまくいったのは運が良かったのだろう。
「最後に、軟膏や香油などの塗布タイプですが、事前に自身へ塗っておく事が可能で、塗布する場所が首元や身体の表面であれば然程影響はありません。ですが、粘膜や性器など局部への塗布は、耐性がついていなければ任務遂行に支障をきたします。飲用やお香などとも違い、標的をその気にさせる場面を作り出す為の手練手管も磨かなければなりません。塗布タイプを使用する段階というのは、既に対象の懐柔が済んでいる状態で、情報収集や罠に嵌める際に多く利用されます」
三種類それぞれのメリットデメリットは非常に有益な情報だった。
媚薬だけに留まらず、その他の毒に置き換えて想像してみても勉強になる。
ただ、媚薬云々の話をしているのがどう見ても10代前半の少年なのだけが違和感だが。
「では、今日の調合は飲用タイプです。まずオーリンの葉をみじん切りに。茎部分はささがきです」
「あら?今から調合なのね」
「ルカちゃんお待たせ〜」
調合開始と共に、ユキとレインがお茶と軽食のような物を持って入ってきた。
「緑茶と白玉ぜんざいよ」
「これオレの手作り!」
「あらあら、あなたは盛り付けただけでしょう?」
ユキがコロコロと笑い、レインが自信満々に胸を張るものだから、一口ほおばってみる。
焦茶色の豆はスッキリとした甘味が広がり、白くて丸い塊はモチモチとしていて癖になりそうな食感だ。
それにしても、少女達からは少し距離があるとはいえ、調合中の室内で飲食はいかがなものか。
「どう?」
「……美味いな」
「良かった〜!」
白玉ぜんざいの優しい甘さは、隠れ鬼での疲労回復を促し、緑茶の苦味が口の中をさっぱりにしてくれた。
素材を切ったり水に浸したりしている少女達と、一人一人に丁寧に指導するアオイを見ながら、三人でまったりとお茶をする。
「で、どう?アオイくんの授業は」
「とても丁寧で、素晴らしい指導だ。お若く見えるのに彼はとても優秀なんだな」
途端、レインとユキは顔を見合わせて突然笑い出した。
その様子を遠目からアオイが睨みつける。
「そうね、確かにまだ若いといえば若いわ…ふふっ」
「プフフー!まあ、俺より歳食ってるけどね〜!」
レインより歳が上。
昨夜、レインは23歳だと言っていた。
「……!?」
「見えないよね〜!あれで28歳だなんて」
「やっぱり陽に当たらない引きこもりなのが、あのお肌と若さの秘訣なのかしら」
ユキは頬に手を当てほぅっと息を吐く。
「いやいや。あの低身長と、女を知らない汚れなき肉体と精神が彼の成長を著しく押しとどめて…」
「……お・い!」
いつの間にやらレインの背後に立っていたアオイは、レインの首を締め上げながら静かに憤怒を滾らせていた。
アオイの片腕だけでレインの体が椅子から浮き上がっている。
「うぐぁ……ご、ごめ、なさっ…い……ぐげぇ」
「お前は、昔から、無駄口を叩くのが大好きですね」
ジタバタとアオイの腕から逃れようとするも、見た目に反して握力は中々なものらしく、レインは顔を真っ青にしてもがき続けている。
可愛らしい少年の姿から一変、アオイの無表情さとドスの効いた声音で場が一気に冷え込んだ気がした。
そんな中、ユキは我関せずと優雅に緑茶を啜っている。
「…ルカ様、こいつの話すあれこれはほとんどが冗談だと思って流して頂いて…」
今だにレインを締め上げている手を緩めず、ルカへにこやかに笑顔を向けてきた。
目は笑っていない。
あまりの威圧感に、ルカもただただ頷きを返す事くらいしか出来ない。
ルカが頷くのを見てホッとしたのか、首から手を離し、レインはようやく息がつけたとばかりに涙目になりながら盛大に咽せる。
アオイは頬を染めてルカから視線を外し、子供達の指導へ向かおうとするも立ち止まって振り返った。
「…もっもしお疲れでございませんでしたら、いっ、一緒に、調合してみませんか?」
照れ臭そうに手のひらを合わせて指をクルクル回しながら調合の誘いをするアオイに、ルカはまたしてもただただ頷く事しか出来なかった。




