ユノの激情
感謝祭一日目。
この日もルカはユノと穏やかな時間を過ごしていた。
ユノに勉強を教えるのは楽しい。
非常に頭の回転が早く、読み書き自体も最初から出来ていた。
人身売買組織を壊滅させる際に出会ったが、彼にどんな過去があったのかも、身体中の傷痕についても何一つ聞けてはいない。
彼が自ら話したいと思える時を待っていたい気持ちはあるが、危険な旅に同行させるつもりもなかった。
ユノへ勉強を教えるようになって、不思議に思う事があった。
教材用にカーティスから借りた本をパラパラ捲ると、自然と読むことが出来たのだ。
12歳のあの日まで、ルカは幼少期に負った目の怪我で視覚に何も映してはいなかった。
文字の形に関しては、母の従者であるジュードお手製の木彫りの教材で、文字の輪郭や数字の形を覚えたり、母が羽根ペンを持つルカの手を握りしめ書き方を学んだりしたが。
果たしてそれだけで普通に書籍を読めるだろうか。
自身の治癒力が不可思議なのも、理由に皆目検討もつかない。
「ルカ?どうしたの?」
必死に単語を綴っていたユノが手を止めてルカを見上げる。
「いや……ユノは勉強が好きなんだな」
パヴァリア村のミアとケイトも勉強が好きだった。
家の手伝いで忙しいにも関わらず、毎日のように母の元に通ってきていたのが頭をよぎり、激しい怒りが込み上げそうになるのを必死に抑える。
村を出る際、彼らの遺体を見つけ出す事は叶わなかった。
「…ルカ、大丈夫?」
表情には出さないようにしたはずだが、ユノは敏感に感じ取ってしまったらしい。
「…大丈夫。少し疲れたみたいだ」
「待ってて。今飲み物淹れる!」
ペンを置いて、椅子からピョンと飛び降りる。
仕草の一つ一つが可愛らしい。
そういえば、ディナーを食べている時にカーティスから作法の指導を受けてはいたが、それほど教え込まなくてもすぐに出来ているようだった。
「はい、お茶淹れたよ!」
「ありがとう」
ティーポットに入っていたお茶をカップに注いで持ってきてくれたのだが、ほどよく温くて心地良い。
「…美味しい」
「良かった!」
お茶を飲むルカをニコニコ見つめる。
邪気の無い笑顔にホッと息を吐く。
「ユノは文字も書けるし、行儀作法もすぐに覚えた。大人になったらどんな仕事でも出来そうだ」
勤勉な彼を褒めたつもりだが、ユノは顔を曇らせる。
「……字が書けても、お行儀が良くても、大事な人を守れなきゃ意味が無い」
ルカから目を逸らし、苦々しく呟くその姿は11歳とは思えないほど酷く大人びていた。
「…ユノ?」
呼びかけると、ユノは長椅子に座ったルカの傍らへ擦り寄って、ピッタリと身体をくっつけ手を握ってきた。
目線は前方に向けたまま。
「…僕は、この手を離しちゃいけなかったんだ。守られる立場じゃ誰も守れない。殺されるよりも、何も出来ないでただ生きるだけのが嫌だ」
ユノの肩が小刻みに震えている。
一瞬泣いているのかと顔を覗き込むと、バッと顔をルカに向けた。
「僕は君と生きたいんだ。僕が死んでも君は死なせない」
真剣な表情と確固たる意志を感じさせる強い言葉だった。
「…違う。それじゃ駄目だよね。…僕は簡単には死んだりしないし、君を独りにはさせない」
ユノに何があってここまでルカに固執するのかは分からない。
けれど、苦しい程の激情を感じた。
「死ぬまで一緒に生きよう」
人生で初めての、切なく、激しい口説き文句。
心臓が騒つく。
母やジュードもそんな言葉は言わなかった。
幼く、美しいこの少年は、誰よりも高潔で眩しく見えた。
「…私は、沢山の命をこの手で殺めた。この先だって、必要に迫られれば躊躇無く斬っていくしかない。……行き着く先は地獄だ」
目を逸らし、ユノの手を振り解こうとするが、強く掴まれて阻まれる。
強く、芯のある瞳でルカを射抜いたまま、静かに言った。
「それなら、二人で一緒に地獄に堕ちようよ」
騒ついた心臓が一際高く跳ね上がり、衝撃を受ける。
涙が溢れそうになるのを懸命に堪えた。
この優しく清らかな少年は、私と共に地獄へ堕ちてくれると言う。
これ以上の幸福はあるのだろうか。
大切にしてきた人達は死んでしまった。
ルカ一人を残して。
激しく脈打つ胸に手をやりながらもユノから目が離せない。
「ルカのそばにいられるなら、地獄でも構わないんだ」
酷く真剣な表情から一変して、ユノは花が綻ぶような笑顔を向けた。
「……」
少しの沈黙の後に、ルカはつっかえながらもユノへ投げかけた。
「…私の為に、身を挺するのは、駄目だ」
「ルカもね」
ユノの返答は早い。
「…勝手に死ぬのも…駄目」
「うん」
「そばに、いてくれる?」
「うん」
「一緒に、……生きて……くれるの?」
「うん、生きよう」
そう答えてユノは長椅子に膝立ちになり、ルカの頭を優しく抱き込んだ。
こんな事を言うはずじゃ無かったのに。
心を揺さぶられ、まるで幼子の懇願のような言葉を紡いでしまう。
ユノは柔らかく微笑んで、
「一人で不幸にならないで。二人で不幸になろうよ」
大の大人でも言えないような事を平気で口にする。
堰き止めていた涙が一筋零れ落ちてしまった。
ルカにとっては、これが欲しかった言葉なんだ。
自分の命を犠牲にしてまで生かされるよりも、共に不幸になってくれる存在がいる事で、改めて自身が孤独だったのだと認識した。
寂しかったのだと。
「僕はいなくならないから」
そう言って、ユノは優しく頭を撫でてくれる。
まるでいつもの二人の関係とは真逆だ。
独りきりになってから初めて感じる絶大な安心感。
母やジュードが与えてくれた愛情とも違い、心の奥底からルカを求め、寄り添ってくれるであろう存在。
寂しさや心細さなど掻き消してくれる暖かな少年を前に、無防備な表情で涙がとめどなく溢れてしょうがなかった。
「大好きだよ、ルカ」
頬に小さな掌を添え、流れる涙へそっと口付けを送る。
深い愛情を感じるその仕草が嬉しくて、ルカもユノの頬へキスを返し、額と額を合わせて破顔した。
途端、ビクッと肩が跳ねて顔を赤らめる。
「…ルカ。僕以外にはしちゃ駄目だよ」
ユノは口を尖らせプイッと横を向いてしまった。




