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別れ

"起きて、起きて"

"死んじゃうよー!"

"もう手遅れかもー"

不穏な言葉が頭を劈いて目を覚ます。

村人達も寝静まった夜更け過ぎ。

カーンカーンカーン!と、有事を知らせる鐘を鳴らす音が響いてきた。

耳を澄ませれば、微かに女性の悲鳴と、何かが音を立てて崩れていくのが聞こえる。

ルカは飛び起き、動きやすい服装に着替える。

そこへ荒々しく扉を開けてジュードが入ってきた。

「ルカ!起きてるか!?」

彼の声色から、只事ではない雰囲気が漂ってくる。

常日頃、冷静であるはずの彼ならざる動揺が、ルカの心を波立たせた。

「母上は無事ですか!?」

「ああ、急いで居間に来い」

身支度は整っていたので急いで部屋を出る。

その間も、

"駄目だね…"

"いっぱい死んじゃった"

"村の空が赤いよ"

声が響く。

何が起こっているのか検討もつかない。

心臓は早鐘を打っている。

「ルカ。この鍵を」

居間にいた母は声を潜めながら、錆びて赤茶けた鍵をルカに握らせ、玄関を出る。

家から少し離れた、日頃体術の稽古を行ったあとの少し開けた草原を抜けしばらく進み、一本の大きな木を前にルカを預けた。

「ルカ…あなたに向かう残酷と向き合いなさい」

両手でも回らない程の幹へ、母が押しやって背中から巨木へぶつかる。

その途端、木々がざわめき、両手首から足先へ包み込むような抱擁感がルカに巡る。

「母上!僕はまだ何も教えて貰ってない!」

包み込んでいく感触を全身に感じながら、声を上げるも、

「…エヴァ…生きて」

目隠しの布越しに、母がそっと口付ける。

『エヴァ』は、5歳で視覚を失ってから一度も呼ばれなかった本当の名だった。

こんな時に名前を呼ばれるだなんて。

ルカの目元を隠した布をジュードが小刀で切り裂き、母の両掌が覆う。

痛い程の熱が一文字の傷を駆け巡った。

ミミズが這うように傷痕が畝る。

やがて畝りは止まり、じわじわと身体中に浸透していく。

音も無く視界が開けると、銀髪を緩く編んだ銀目の儚く微笑んだ女性と、茶色の髪を一つに結んだ男性の落ち着いた黒い瞳。

7年ぶりに見る、母と従者の懐かしい顔があった。

母上!ジュード!と、呼びかけるも、激しく地を駆ける馬のいななきがルカの叫びを掻き消す。

身動きも出来ず、声も届かない。

ルカは巨木と一体化していた。

「いたか!?」

「あれだ!王家の髪だ!」

「娘は!?」

母を庇い、立ちふさがろうとするジュード。

「帝国からの使者か」

馬上から見下ろす賊達を前にして、母は高らかに言葉を放つ。

松明を掲げた賊の集団は20人ほど。

二人は逃げ道もなく囲まれていた。

「娘を引き渡して頂きたい」

体格も威厳も別格の、赤茶色の短髪を整えた賊の大将らしき男は、鋭い目付きを走らせながら周囲に響き渡る声量で言葉を連ねる。

「陛下は娘さえ連れ戻せば、あなた達の処遇は我々に任せると仰った。無駄に抵抗はするな」

厳しい口調だが、男は真摯に向き合い目的を告げる。

「…久しいですね、アドルフ。残念ながら、娘は10年前に死にました。私を連れて行きなさい。村人達は何も知らない。無関係な者達にまで手をかける道理は無いはず」

娘は死んだとの、銀髪の女性の言葉に賊達は顔色を変え狼狽える。

だが、将らしき男は至って冷静に、

「そうか、貴女は連れて行く」

腕を掴んで引っ立てようとする。

母は抵抗するつもりは無いのか、男に引っ張られたまま歩を進めようとしたが、その掴んだ腕を黒髪の従者が、

「お嬢様!」

懐に忍ばせていた小刀を鋭く突き立てる。

賊の大将の腕に小刀が届く前に、その腕の肘で顎を突き、小刀をいなし、右手に持った長剣で肩から腹にかけて斜めに斬り落とす。

「ッ!!」

「ジュード!!」

一瞬だった。

鮮血が火花のように眼前を瞬いた。

悲鳴すらあげることなくジュードの命は尽き、膝から崩れ落ちていく。

"ジュード!!"

目の前に広がる光景に、ルカは息が止まり瞬きすら出来ない。

「抵抗するなと言ったはずだ…」

賊将は憎々しげに吐息を漏らす。

ザシュッ!

ジュードが地に臥す前に、別の長剣が音を立て、ゆっくりと母の身体が沈んでいく。

「お前!何を!?」

背後を振り返り、男が声を荒げる。

「手足が無くても関係無いって陛下からのお達しじゃないですかぁ?お久しぶりですぅ、叔・母・さ・ま」

細目の優男が目を細め、口端を上げる。

「レ…イ…!」

母の左腕、肘から上の上腕が斬り落とされていた。

"母上!!"

叫びは風に乗らない。

生暖かい何かに包まれて、姿も声も抱え込まれていた。

地面に伏したジュードの身体に覆い被さるように、母が倒れ込んだ。

急いで止血を試みる男達。

か細い身体のどこにそれだけの血が巡っていたのか。

出血は止まらない。

真っ白な肌が急激に青白く変化していった。

「…お前達が、崇拝す、る王家、も…」

男達を見据え、母は続ける。

「信仰…する、女神…も、、何が真実か、…知る時、が、くる…」

将と配下の急場の手当ても虚しく、母の呼吸は浅くなっていく。

少しだけ顔を背後にある巨木へ傾け、優しく微笑んだ。

右手にはジュードの小刀が握られている。

つうっと、首の左から右へ線を描いて赤い花が散った。

笑みを湛えたまま。

"!!"

何者にも揺るがされない美しい顔だった。

時間がその時その瞬間で止まったかのように。

賊達は呆然と立ち尽くしていた。

「…両腕斬り落としておけば良かったですねぇ」

冗談では無く、心からそう思ったかのように呆れた声で細目の優男は呟いた。

賊将は憎々しげに舌打ちを鳴らし、男の軽口に対して侮蔑を込めた視線で睨みつける。

「…娘を探す。先に、村に散らばった第三・第四分隊と合流!レイナード、お前はこの場に待機だ。数人選べ。遺体は後ほど馬車で持ち帰る」

その場に5名残して、将が賊達を引き連れて山を下る。

レイナードと呼ばれた男が、場の指揮で残っていた。

「…やっぱり叔母さまは綺麗だなぁ…。な?」

細い目を更に狭めてニヤついた笑みで指揮官の優男は4人の配下へ問い掛ける。

「娘はどう成長したかなぁ…母親がこれだけ綺麗だからなぁ…」

舌舐めずりしながら母の身体を撫ですさる。

「…まだ温かいぞ。いいよぉ、好きにして」

配下達の息を飲む姿が際立って見えた。

事切れたばかりの母へ男達が群がる。

幼少期に何も見えなくなってから初めて瞳に映した母とジュード。

鮮やかな赤が鮮烈に広がり、何もかもがスローで動いていた。

血の滲むほど歯を食いしばり、目に焼き付ける。

一刀で斬り伏せられたジュードと、死してなお蹂躙される母を。

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