脱出
「簡単には死なせない。その出血量では時間の問題だろうがな」
既にルカの声は耳に届いていないだろう。
ウィルは口から血の泡を溢れさせ、ピクピク痙攣を繰り返している。
こんな一方的に嬲るようなこと、本来ならするべきではない。
激しい自己嫌悪に陥り、舌打ちを鳴らす。
「…る、ルカ。お前を助けてやったのはあたしだろう?」
石床に広がる血を眺めていたルカはマリアへ視線を移す。
その冷え冷えとした銀の瞳に射抜かれ、怯えたマリアだったが直ぐ様持ち直し、猫撫で声で語りかける。
「…服だって買い揃えてやったし、美味いもんだって食わせてやったじゃないか」
恩着せがましく、ルカを懐柔しようと訴えかけるマリア。
そんなマリアに対し、
「高く売りつけるためだろう?」
酷く冷静にルカは答える。
「…なっ何言ってんだい…あたしはただの行商人で…」
「初めて会った時から、血の匂いが纏わりついていた」
感情の伝わらない声と表情を見て、マリアは震え出す。
この少女には、自分達の全てが見透かされている事を悟った。
「…あ、あたしだって食っていかなきゃならないんだ!生活の為にしてるんだ!こんな仕事はどこにだってあるだろう!」
「食うに困るを理由にして、何の罪もない子供達を売り買いするのか。私が食うに困ったら、お前を殺しても許されるんだな」
返答に窮したマリアは押し黙る。
「お綺麗な御託は何の意味も解さない。ましてや許しなど、初めから存在しない。ただ、事実があるだけだ」
そう言って、マリアの両手首の杭を抜いていく。
「いっ!?…」
抜かれる瞬間、物凄い激痛が手首に走る。
殺されると思っていたマリアは拍子抜けな表情で、ルカを見つめた。
「…あっありがとうよ、ル」
最後まで言い切る前に、ヒュッと音が鳴る。
一瞬の後に、マリアの視界は闇に包まれた。
「…ぎゃああああ!」
ルカがマリアの両目目掛けて、一閃で斬りつけたのだ。
「二度とその穢らわしい目で、子供達を見るな」
血の溢れ出す両目を抑え、叫び声を上げながら石床を這いつくばり、転げ回る。
無感情にマリアを見遣った後、残る一人へ視線を投げた。
男は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を恐怖に怯えさせていた。
「…先代にこの仕事を持ちかけたのはお前か?」
最後に残った男は、この娼館のオーナー。
鷲鼻にギョロついた目を持つ50過ぎの男。
事前に聞いていた話では、先代オッペンハイマーとは一番古い付き合いだという。
先代が寝たきりになってからと、コーエンが貿易業でこの地を離れている期間はこの男が業務を回していたらしい。
「…お、俺ではない…。ウスターだ」
男の返答に、コーエンが驚愕に息を呑むのが分かった。
ルカが想像していた通りだった。
この街は一見して栄えているように見える。
その実、貧富の差は激しく、貧民街はかなりの土地幅に広がり、住民を守っているはずの街の警備兵の数も少ない。
そして、人身売買組織がこれ程街に浸透して活動出来ていた事にも違和感を感じていた。
「そうか」
男からの言質も取れた。
杭を抜きながらルカは命令をする。
「オッペンハイマーの事も、私の事も、一切誰にも話すな。口に出そうとすればお前の心臓は止まる」
杭から解放された男は石床へ犬のように這いつくばる。
殺されずに済むとホッとしたのか、男は嗚咽を漏らす。
溢れ出す涙が石床を濡らした。
「これはお前が抱えるべき生涯の呪いだ。ゆめゆめ忘れるな」
ここでの用は終わった。
鉄格子の外で待つ、コーエンへ呼びかけようと後ろを振り向いた瞬間、
「ルカ!危ない!」
コーエンが叫ぶ。
這いつくばったマリアがルカの直ぐそばに居た。
杭を片手に握って。
この一日だけで、度重なる戦闘と"命令"により疲弊していたルカは、マリアの存在に気付くのが一瞬遅れた。
ルカの脇腹に向かって杭が迫る。
その時、
ボワッとマリアの頭に火が付いた。
「ぎゃあああああ!!」
頭を抱え、のたうち回るマリア。
何が起こっているのか分からないルカは、燃え盛るマリアをただ呆然と見つめていた。
ふと背後に人の気配を感じ、振り向くと、そこには金色の長い髪の少女が立っている。
「…君は…」
少女は、石床を転げるマリアを澄んだ琥珀色の瞳で見つめていた。
一昨日、この拠点の牢屋で唯一目を覚ましたあの時の子だ。
ルカに『…女神…様』と言った。
あの時もだが、命令が上手く効かなかったのか。
だとしたら、ルカと同じで何かしらの能力があるのかもしれない。
(まさかこれはこの子が…)
瞬時に可能性が思い浮かび、急いでマリアに斬り掛かる。
燃え盛る頭と胴体が離れた。
このままマリアが焼け死ねば、この子が殺した事になってしまう。
重荷を背負うのも手を汚すのも、自分一人で十分だった。
「…行こう」
呆然と佇む少女の手を取り、鉄格子を潜った。




