明るい夜
「あんた…見違えたね」
宿屋の主人のご好意で、湯殿に少し湯を張って貰えた。
泥に塗れた髪を水で洗い流し、垢を落として数年ぶりに湯に浸かった。
女性に手渡された衣服は、細身なルカの身体には少し大きめだが、灰色のシックなワンピースはセンスが良い。
女物の衣服は生まれて初めて身に付けたのだが、石鹸の香りがした。
初めてのスカートに気恥ずかしさを覚えるが、腰を折って丁寧に礼を述べる。
「着替えまでお借りしてしまい…。洗った衣服が乾き次第、すぐお返しする」
「あたしの服じゃちょいとデカいね。サイズの合う服を見繕いに行くかね。それより!ちょっとこっち来てご覧!」
女性が手招きする方へ足を進めると、床に布を敷いた上に椅子が一脚置いてあった。
そこへ座るよう促す。
「綺麗な色した髪だ。銀髪は初めて見たよ。切り揃えてやるからここに座んな!」
推しの強い物言いに、断る言葉も見つからず、勧められるまま椅子へ座る。
「あたしはマリアって言うんだ。さっきの大男はウィル。あんたの名前は?」
「…ルカ、と言います」
一瞬、別の名を答えるべきか悩んだが、本当の名がエヴァである為、「ルカ」自体が偽名である。
「ルカって言うのかい。何処から来たんだい?」
「レーゲンスベルクの辺境地から」
道中立ち寄った村でも聞かれたらそう答えていた。
パヴァリア村に関わる事はなるべく話さないように気を付けていたのだ。
「国まで渡るなんて、実家を飛び出してでもきたのかい?」
パッと見た姿、まだ少し成長期を残した見た目だ。
家出をした少女に見えるらしい。
「…家族を亡くして…今は知人を訪ねて旅をしている途中で…」
髪を整えていたハサミが一瞬止まり、また動き出す。
「…そうかい。それは辛い思いをしたね」
しばらく、梳る音と髪を切るハサミの音だけが続いた。
「さぁて出来上がりだ。前髪と後ろ髪を切り揃えただけだが、なかなかなもんだろう?」
マリアから手鏡を渡され、覗き込む。
ザンバラに伸び散らかしていた銀髪は、眉下で前髪を切り揃えられ、洗い立ての長い髪は艶っぽく煌めく。
ルカは水面に映る自分の姿しか見たことがなかった。
人の顔立ちにそれほど興味の無い自分でも、自身の見目は一般の少女とは一線を画しているのが理解出来た。
「…ありがとうございます」
「あんた、やっぱり凄い別嬪だね!旅をしてるからって、若い女の子が手入れを忘れちゃいけないよ!」
ハキハキと快活に話すマリアの言葉は空気を明るくしてくれた。
夕食を取りに、街へ繰り出す。
露天や飲食店の連なる大通り沿いに、一軒の騒がしい酒場があった。
まだ陽が落ちきっていないにも関わらず、店内は既に満席に近い状態で賑わっている。
一つのテーブル席に大男のウィルが座し、ジョッキを煽っていた。
「おうっこっちだ!…って、さっきの嬢ちゃんか!?変わったなぁ…」
「キレイだろ?さすが、あたしの見る目は間違ってないね!」
「すげぇよ…。こりゃたまげたなぁ…」
心底感心した表情で、まじまじと上から下までルカの姿を眺める。
「ルカ、と言います。先程はお世話になりました」
「あ、あぁ…ウィルだ。マリアとは仕事仲間なんだ。よろしく!」
日に焼けたガタイの良い男は40代前半くらいか。
笑うと、抜けた前歯が目立つ。
「あたしとウィルもしばらくはこの街にいる予定だからさ、ルカも好きなだけ身体を休めるんだよ!宿代とかは気にしないでいいからさ!」
「そんな。手持ちは少ないですが、お支払いはさせて貰いたい」
村を出る前、少ないながらも家には金目の物が残っていた。
それらを売って旅の資金として持ってきている。
賊による略奪なら残っているはずが無いので、やはり何者かの指示を受けての侵攻だったのだろう。
十中八九、帝国からの使者なのは間違いなさそうだが。
「いいんだよ。あんたはまず、身体を休めることだ!あたしもウィルも昼間は仕事だから、宿でゆっくりしてな!」
「そうだぞ嬢ちゃん!しっかり休んでいっぱい食えよ!」
ここ連日毎晩続く怪物との攻防で、ルカは確かに疲弊していた。
身体の傷はすぐに治るが、心は削られていく。
致命傷に近い深傷を負うことも何度もあった。
いくら傷が回復しようとも、戦いで負う怪我の痛みは強烈だ。
「…申し訳ない。私に何か出来そうな事があれば言って欲しい。恩返しになるかどうかは分からないが…」
「あははっ!それじゃあまずは腹いっぱい食べる事だね!ここの酒場は肉料理が美味いんだ!」
羽目を外した騒々しい客達と店員の掛け合い。
あちらこちらから聞こえる、女神ハルペイアへ捧げる食前の祈りと笑い声。
夜の始まりがこんなにも明るく熱気に満ちているのは初めてだった。
ただ一つの気がかりを残して。




