あるお嬢様の無自覚【2】
城の執務室。
城主が筆を握っていた。リリーの父親だ。
積み上げられた書類を手に取り、目を通しては何やら書き入れ、そうして次の書類に手を伸ばす。
「忙しそうだなあ」
そう言って入ってきた人物に城主はちらりと視線をやったが、驚くこともせず書類作業に戻る。
「そう言うなら、手伝ってくれてもいいんだぞ」
「いやいや、それはお前の仕事だろう?」
親しげに笑いながら簡単に断ってくる侵入者に、城主はちっと舌打ちを漏らした。
「毎度毎度入ってきやがって。なかなか入ることができん部屋のはずなんだがな」
「俺とお前の仲じゃないか。使用人たちはみんな何も言わずに通してくれるぞ」
腰に刺さる剣が、この侵入者の地位を証明しており、それはこの城で唯一彼が所持するものだった。
「そうそう、お前に言いたいことがあってきたんだ。少しばかり耳に挟んだものだから……あんまり俺の息子をいじめてくれるなよ」
侵入者はこの城の騎士団長──ディランの父親であった。
「いじめてなんかないさ。ただ気に入らんだけでな」
「それだよそれ、そんなに気に入らないか?あいつがなかなか見どころのあるやつだと思うのは親の贔屓目だけではないと思うがなあ」
「……まあ、それは認めよう。気に入らんが仕方ない。リリーの専属にしてやったくらいだ、並大抵な男であればそんな役などやらん」
「だったら、」
「しかしな、あいつは、リリーに色目を使ってくるからな!親であるお前の前で言うことではないんだろうが、とにかくそこが気に入らんのだ。専属になりたがったのだって、リリーの側にいられるからだと私相手に抜け抜けと申したほどだぞ」
騎士団長は自分の息子の浅はかさにこめかみを押さえた。
「……それでも、お前が任命したんだろう」
「そう、そこだ。私がとくに気に入らんのは。実力も何もない若造であれば、こんなに気に入らんことはなかったかもしれん。だが他に任命できそうな奴がおらん。あいつもそこをわかっている。──それが憎い」
ディランの行動によって城主の心証はかなり悪くなっている。
どうしたもんかと騎士団長が腰に手をやったとき、城主は声を上げて笑った。その顔は凶暴な賊のような顔である。
「まあ、いいさ。手は打った。私はリリーの幸せを願っている。きっと喜んでくれるはずだ」
いかにも楽しそうな友人を前に、騎士団長はこれから起こるだろう出来事をただただ静観することにした。
◇◇◇
扉を叩いて入ってきたディランの顔はいつになく固かった。
普段見ない様子にどうしたのかとリリーは首を傾げた。
「……リリー、お嬢様」
よそ行き用の呼び名にますますリリーは怪訝になる。二人だけの時、その呼び方をするのはこれまでなかった。
「お嬢様に来客です。城主様より、お出迎えするようにとのご伝言です」
「お父様が?わかったわ」
滑らかな敬語が居心地悪く、ディランの後ろを黙って進みながらも、その見えない顔が気になって仕方がない。
ディランの様子にそわそわしつつ、ロビーに向かうと、そこには来客が一人。
ディランの背中越しに覗くと、向こうも気づいたようだった。
「リリーお嬢様ですね。僕はライルと申します。こちらでしばらくお世話になります。よろしくお願いします」
え?
気になっていたディランの様子も一瞬で些細なことになった。
目の前にいたのは──まさに大好きな小説の登場人物そのものだった。
あまりのことに思わずよろめき、伸びてきたライルの腕に支えられる。
「っと、大丈夫ですか?僕が近くにいてよかった。足元、気をつけてくださいね」
綺麗な顔。優しい言葉。支えてくれた腕。
すべてまるで小説のシーンであるかのようだ。
「…………レイン……」
「え?」
「……いいえ!何でもございませんわ、ふふ。ライル様、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします」
咄嗟に口元を隠し、何でもない風を装って、お嬢様の仮面を被る。
こんなことあるんだろうか。
ぽーっとした顔でライルを見つめるリリーを、城主はにこにこと見守っていた。
挨拶を済ませ自室に戻ってきたリリーは、頬を染めながら先の出来事を振り返る。
ディラン相手に熱弁した。
「ね!ディラン!見た?ライル様って、レインにそっくりだと思わない?」
「そうか?」
「そうよ!ほら、これ見てよ!これ。この金の髪に、紫の瞳。容姿もそっくりなうえに物腰も柔らかで優しい。まさしくレインよ!あれは!」
ふうん、とディランの気のない相槌にリリーはさらに続ける。
「ああ、素敵。今日からしばらく彼と過ごせるのね、とても楽しみだわ!何かお好きなものはあるかしら。準備できるといいんだけど……ディラン、何が好きなのか聞いてきてくれない?」
ライルは父の友人の息子であり、剣術を習うためこの城へきたそうだ。この城の騎士団長ともライルの父は知り合いらしい。
また彼がこちらと友好的な隣領の城主の息子だと聞いたときには驚いた。
彼は、見目良し、生まれ良し、性格良し。ついでに剣術もできる。それこそ小説の中の人物のようだった。
「そんなもの、お前が聞いてこいよ!」
「何よ、いいじゃない、それくらい。だって、ちょっと恥ずかしいんだもの」
照れるリリーにディランは小さく嘆息し、「気が向いたらな」と返してくれた。
◇◇◇
楽しい日々は過ぎるのがとても早い。ライルがこの城にきてそろそろ一ヶ月が経とうとしている。
リリーは毎日のようにライルの元へ顔を出した。
剣術の合間に差し入れを持って行ったり、時には一緒にティータイムをしたり、毎晩共に食事をしたり。
ライルはなんてことのない話も微笑んで聞いてくれた。大好きなレインが具現化したような、その綺麗な顔はいつ見ても胸が高鳴る。
「はあ、もう帰ってしまわれるのねえ。ライル様」
滞在期間は一ヶ月の予定だった。
「素敵よね。本当ずっといてくれてもいいくらいだわ。ね、ディランもそう思うでしょ?」
「俺は、別に。むしろ早く帰ってほしいくらいだけどな」
「何よ、ディランだって稽古相手ができて嬉しいくせに」
にやにや笑いながらディランをつつくと、嫌そうな顔を見せた。
そこまではいつも通りの光景だ。しかしその後のディランは、いつもとは違っていた。
嫌そうな表情を、困ったように歪ませ、それから上を向く。手で顔を覆って、しばらく身動きを止めた。リリーが心配になって声を掛けようとしたとき、ようやくディランは「あーーーーー」と小さくて長い呻き声を出した。
手の隙間からリリーを見るディランは、眉が寄っている。
「……よかったな。もうすぐそれが叶いそうだぞ」
「え、何」
「ライル殿は、お前の婚約者候補だ。知らなかったか?まあ内密な話だったし仕方ないか。……お前が気に入れば、城主様はこの話を進めるだろう。何より大事な娘のお前の希望だ。元々そういう話だし、無理もなく叶えてくれるだろ」
「それはどういう……」
「察しが悪いな、お前。だから、さ。ずっと一緒にいられるってことだよ、お前が気に入ったライル殿と。婚約すれば、その後は結婚、晴れて公的に一緒にいても問題ない関係になるってことだ。……ずっと一緒にいたいんだろ、よかったな」
何を言っているんだろう。
淡々と話すディランは、いつもこんな顔だっただろうか。
「……そうすれば俺はお前の部屋には入らない。婚約者のいるお嬢様の部屋にのこのこ入れないし、お前も授業で忙しくなるだろうしな、部屋の外で待機することになる。まあ、城主様の事だからもしかしたら別の人間をお前につけるかもな」
初めて聞く情報を、投げやりのようにさらっと伝えてくるディランに、リリーは憤った。
そんなの聞いてない。
だって婚約したら、花嫁修業が始まってしまう。授業が増え、今まで以上に遊ぶ時間が限られてしまうのだ。
ましてディランがここからいなくなるなんて、考えたこともない。
顔を強張らせたあと一度ディランを睨みつけた。
そんな大事なこと、どうして黙ってたのよ。
そう言いたいが、言えなかった理由もわかっている。きっと今教えてくれているのも本来ならタブーなのだろう。
リリーは身を翻し、ディランの制止も無視して、父がいる執務室へ走って行った。
机に向かう父を前にして、リリーは意を決して声を掛ける。
「──お父様。ライル様が婚約者候補だというのは、本当ですか?」
執務室にはほとんど顔を出さないリリーが現れたことで、城主は持っていた筆を置く。
問われた内容に、とうとうその話がリリーの耳に入ってしまったのだと知った。どこから伝わったのかなど、考えるまでもなく目星は付く。
「ああ、そうだ。リリーが好きそうな男だろう?」
笑顔の父に、リリーは正直にこくりと頷いた。
確かにそう。あの姿は、リリーの理想そのものだ。
「ライルもリリーに好印象を抱いているようだ。リリーもまんざらでもないんだろう?このまま進めようかと思うが、どうだ」
リリーは考えを巡らせた。
ライル様はとても素敵な人だ。
大好きなレインのようで、惹かれずにはいられない。そんな人。
「わたしは、」
けれど、物足りない。頭の中で、ディランから話を聞いた時からずっと、リリーの本心がそう叫んでいる。
見ていれば癒され、話せばときめき、何も言うことはないほど完璧だというのに、だ。
ずっと見ていたいとは思うけれど、面白いとは思わない。それはもしかしたら彼と接する時の自分が、お嬢様になりきってしまうからかもしれなかった。
苦痛ではないが、それが物足りなく感じ、少し寂しいと思う。
贅沢なことだと我ながら思う。
けれど、私はもっと面白いと思うことを知っている。
「……私は……まだディランと遊んでいたいのです」
考えた末の、これが答えだ。
「婚約をすれば、結婚準備をしなくてはいけないでしょう?遊べる時間が減ってしまう。しかも専属騎士が代わるかもしれないとも聞きました。ディランと気軽に言葉を交わせる時間がなくなるのが、面白く、ないんです。……まだ遊んでいたい、なんて、きっと私が子供なのでしょう。もう少しだけ、婚約のことは考えたくないと思ってしまうのです。ですからお願いです、お父様。──今回の婚約のお話、なかったことにしてくれませんか」
リリーの言葉に城主は面食らう。思っていた答えと違っていた。きっと大喜びだろうとそう思っていたのだ──けれど、心の奥底では、妙に納得する自分もいる。こうなることを予感していたのかもしれなかった。
面食らった顔のまま、どうにか思いとどまってほしいと城主は妥協案を探る。
「………………婚約してからでも、リリーが落ち着くまで結婚を待ってもらうことはできるぞ?結婚準備はリリーのペースで進めればよい」
捻りだしたその案をあっさりとリリーは否定した。
「いいえ、いいえ。そんなライル様をお待たせしてしまうようなことは、私にはできません」
正面から父親の顔を見据え、迷うこともなくそう言うリリーは、子供ではなく、立派に大人の女性の顔になっている。
それを目にした城主は、父として、娘の気持ちを汲むより他ないと、ゆっくりと静かに頷いていた。
リリーが去った後、少しして隣の部屋から現れたのは騎士団長だった。悔しそうに顔を歪める城主とは正反対に、楽しそうに口端を上げていた。
「はっは、さすが俺の息子、やるじゃないか」
持ってきたウイスキーが入ったグラスを城主の前に置く。それは計画通りに事が進まなかった城主を慰めるためのものであり、持ったままの自分のグラスはディランの恋路を応援するためのものであった。
どちらからともなく互いのグラスを触れ合わせ、小さな音が鳴る。
「ぐぬ。他でもないリリーの頼みだからな。この話はなかったことにせねばならん、が!そう簡単にはリリーはやらんぞ!若造めが!」
城主は盛大に喚き、手元のグラスを一気に飲み干した。
──城主が腹の底から悪態をついた頃。
リリーは今までと同じように自室のソファに寝ころび小説を読み浸る。
笑って、ときめき、泣いて。
そして時々、扉の前を盗み見て、今までと変わらずそこに立つディランに安堵するのだった。




