ボロアパートの親子
「ねえ、ママはいつ帰って来るの?」
五歳くらいの男の子が、キッチンの椅子で脚をブラブラさせながら食器の中の野菜を突つく。
男の子の言葉に食事の手を止め、父親はため息を吐く。
「それが分かれば苦労しないよ」
突然出て行って戻って来ない母親。
五階建てのボロアパートの最上階に住む親子は夕暮れに染まる窓を見上げた。
結婚八年目。
夫は小さな雑貨屋の雇われ店長で、妻は公務員。
二人の間には五歳の男の子がいる。
妻は艶やかなロングヘアーに色白でスタイルも良く、この町ではかなり美人で有名だ。
「なんであの美人にあんな男が」
釣り合わない夫婦だともっぱらの評判だった。
それでも夫婦仲は悪くはない。
夜、父親は部屋の明かりを落として小さな机に向かい、いつものように店の帳簿を開く。
ふと顔を上げると、アパートの薄汚れた窓ガラスに冴えない男の顔が映る。
こんな平凡な容姿では見限られても仕方がないなとため息を吐く。
だけど彼女が愛する息子を置いて出て行くとは考えられなかった。
「明日、勤務先に問い合わせてみるか」
彼女がいない生活は何かが欠けているようで、ただただ無性に寂しい。
それは父親も息子も同じだった。
翌朝、父親が朝食のパンケーキを焼いていると、突然ボロい建物を揺らすような強風が吹いた。
「な、なんだ?」
外が騒がしい。
「パパ、今のなに?」
男の子が駆け込んで来る。
「あー、あれか」
父親が指差す先、町を囲む高い塀の外の森に黒い煙が上がっている。
「そういえば、警報が出てたな」
町の外は危険がいっぱいなのだ。
親子で窓の外の煙をボケっと見ていると、どこからか聞き慣れた声がした。
「ひゃぁああ」
「はっ、危ないっ!」
父親は男の子の頭を押さえつけて、窓の下に隠した。
パリンッ
と、窓が吹き飛び、
ドタンッゴロゴロ、と飛び込んで来た何かが床を転がり、壁にぶつかって止まる。
父親は壊れた窓を見て「またか」と頭を抱えた。
「あ、ママだ!」
ボールのように転がった女性がスタッと立ち上がりポーズを決めた。
「ただいまっ!」
「おけーり!」
男の子が母親の身体に抱きついた。
「危ないから窓から出入りするなって言っただろ」
妻は魔法の箒を抱え直す。
「えへへ、ごめん。でもやっと任務が終わったから」
「はあ、わかってるよ。お疲れ様」
彼女はちょっぴりお茶目な公務員の魔法兵士。
緊急の任務では空を飛ぶことが多い。
(まあ、家出じゃないならいいか)
窓の修理代が嵩んで引っ越せない一家なのだった。
お付き合いいただき、ありがとうございました