(急)『悪魔』
開いたシャッターの先には、やはり化物がいた。
夕日が沈み、暗くなっていく中、立ったまま動いていない。
化物は人の形をしていた。
真っ黒な身体は、闇に同化し始めて判別しにくいが、その右腕が異様に大きく、つい先ほどそれを叩きつけたであろう場所には、何かが潰れていた。大量の血が流れている。
「うわあああぁぁぁぁああ!」
「きゃああああぁぁぁぁああ!」
悲鳴に継ぐ悲鳴。まさに阿鼻叫喚だった。
誰かが「逃げないと」とつぶやくと、釣られる様に他の客達も一斉に逃げ出す。
マークが固まっていると、周囲も建物へと駆け込んでいった。
「っ、行くぞ!」
慌ててマーク達も、それに続いて飲食店街へと戻っていく。
その間、化物は逃げる客を追う事もせず、ゆっくりと坂を降り始めた。
飲食店街に戻った客達は、一階を目指して駆けていた。
地下の出口も潰された。二階には化物が直接降りてきた。
後、逃げられるのは一階にしかなかった。
地下から一階に戻るには、駐車場側の階段か、飲食店街中央付近にある階段しかない。
だから、客達は一番近い駐車場側から一階へと駆け上がる。ちなみにマークが利用していたのは、中央付近の階段だ。
だが、一階に出る前に、その足は止まってしまった。
「……ダメだ、化物がいる」
一階から見える位置に、真っ黒な他の化物がいた。
ぶよぶよと輪郭を歪ませてうねる身体を見ていると、気持ち悪くなってくる。そんな不気味で醜い化物だった。ただ、顔らしきモノがどこにあるのか分からないので、こちらに気付いているのかすら判断できない。
男が階段から出る事を躊躇っていると、マークが追いついた。
「何があった?」
「ひっ!? あ、ああ、先に化物がいるんだ。でも見つかりそうで……」
一瞬悲鳴を上げた男は、マークに気付くと一階を覗かせる。
マークも覗くと、そこには黒い化物が。何をしているのか良く分からないが、そこにいた。
「どうしようか……」
幾分冷静さを取り戻した男が呟く。
男以外の客達は踊り場付近でこちらの様子を窺っている。マリア達もそこにいるが、不安な表情でマークを見ていた。
マークも男と一緒にどうすべきか思案するが、いい案なんかは浮かばない。ただ、マリア達をどう逃がすかだけを考えていた。
そんな風に階段で固まっていると、突然一階がズンッと揺れた。
「な、なんだ!?」
その揺れに驚いて周囲を見ると、醜い化物から二本の腕が伸びて床を叩いていた。
先ほどの揺れは叩きつけられた衝撃で、硬い物で殴ったわけではないので、衝撃だけが辺りに広がっていたようだった。
その様子を見ていると、化物の身体が今度は飛び跳ねた。
マーク達の方へ。
「!? や、やばい!」
化物はこちらに気づいていたのだ。
その身体を、こちらに向かって跳ね上げる。着地の度に地面が揺れた。
「逃げろ!」
急ぎ、覗くのをやめて、踊り場の全員を階下に戻す。
そして、全員を飲食店街の中へと移動させた。
「はぁ……はぁ……はぁ……あれは、こっちに気付いてた」
階段から離れた辺りで、状況を説明する。
階段に向かって移動してきた化物を見て、マークはそう結論付けて周囲に告げた。そして、化物達は自分達を逃がして遊んでいる事も告げる。
そう、化物達は、遊んでいるだけ。そう感じる。
現に、地下駐車場の化物はまだ建物内に入ってきていない。一階に上がっている間に現れても何の不思議も無いのに、未だやってきていないのだ。
だがその様子に、少しだけ希望が湧く。
「なんとかやつらをやり過ごせれば、助かるかも知れない」
すぐには襲ってこない化物達。逃げる自分達を追い詰める事を楽しんでいる化物達。
なら、やり過ごせたなら、戻って探しに来るとは思えない。
だが、どうやってやり過ごすかが問題だった。
マークは、ため息をつきそうになる。が、マリアとテレサの手前、不安な顔は見せたくない。
「……隠れるか?」
他の客が言う。
「後は、見つからないように逃げ回るとか……」
いくつか案が出る。
要は、化物に見つかりさえしなければ助かるかもしれないと言う事だった。だが、ここにいる客の数だけでも十人は越える。纏まって動いて見つからないなんて希望的観測だ。
「どうであれ、ここにいる全員で纏まっては動けない。俺達は俺達で逃げる。あんた達も好きにしてくれ……テレサ、おいで。飲食店街の中なら隠れられる場所があるかもしれない。一緒に探そう」
テレサを抱き上げて、マリアの手を引く。
他の客達も不安そうにしてはいるが、マークにとっては家族のほうが大事だ。纏まって動く事が危険なら、家族だけを連れて動いたほうがいい。
そうして、マーク達は集団から離れた。
「パパ、怖いよ……」
「大丈夫だよ。何とかなる」
「……あなた」
不安そうなマリアに頷いて、手近な店から隠れ場所を探していく。
マーク達が去った後、残りの客達も他にできそうな事が無いと思ったのか、三々五々と散っていった。
その頃ようやく、駐車場の化物が建物へと入ってこようとしていた。
数分後、マーク達は飲食店街の中ほどにある店の厨房にいた。
いろいろ並んで置いてある調理器具を少しずつずらし、入り口から見えないように隠れていた。
マリアとテレサとは一緒にはいない。
隠れられそうなシンクの下に隠れてもらい、マークがそこに人がいないかのように簡単だが偽装したため、共に隠れることが出来なかったのだ。ただ、簡単でもしないよりはましだろう。
その頃には飲食店街のあちらこちらでガラスの割れる音や物が壊れる音、誰かの悲鳴などが聞こえてきて、何体もの化物がここに入ってきている事を告げていた。
まだ、近くから音はしないが、いつしてもおかしくなかった。
息を呑むような時間。
気付かれたくなくて、呼吸すらするのが怖くなる。
だが、息を殺せば殺すほど、静かにすればするほど、自身の心臓の音がよく聞こえ、その音が化物を呼び寄せるのではないかと錯覚してしまうほどの緊張感に包まれていた。
……パリーン!
ついに来たかと、マークは思う。
店舗の入り口の方向からガラスの割れる音がした。どうやら、化物がガラスを割って入ってきたようだ。その後も、机や椅子が壊される音が響いてくる。徐々に厨房に近づいてきている気がして、恐怖心と緊張感が高まっていく。
バキッ!
また何かが壊される音がした。
「ひぃ!? や、やめて! 助けて!?」
誰か他にいたようだ。
「やめてええぇぇえ!!」
グシャ! ブチィ……クチャ…クチャ……
誰かの悲鳴が途切れて、静かになる。
ギィっと厨房の扉が開く音がした。
先ほどもそうだが、化物には慎重に探すと言う概念は無いようだ。
厨房に入ってからは、扉から近い順に棚やテーブルを適当に叩き壊していく。誰かがいれば出てくるだろう。出てこないと、そのまま潰すとでもいうように、家電でも何でも壊していった。
(まずい!)
マークは焦る。
このままでは、マリア達が隠れているシンクまで壊される。その事に気が付いたのだ。だが、見つからずに化物の気を引けるのか? そんな思いで、焦りばかりが募っていく。
その間も、化物は物を壊し続ける。
ずれては壊し、壊してはずれる。
マークが空回る思考で動けないでいる間に、化物はマリア達の隠れているシンクへと着実に近づいていた。
「ま、まてっ!」
焦ったマークは、何の策も無いまま化物の前へと飛び出していた。
どんな化物が入ってきたのかは知らないが、このまま壊され続けるのはまずいと、その思いだけで化物の前に立つ。ただ、どんな化物だろうと勝てる見込みはまず無かった。
飛び出したマークが見たのは、駐車場で見た人型の化物だった。
その巨大な右腕で全てをなぎ払っていた。
化物は、飛び出してきたマークを見て動きを止めていた。
マークを見ているようだが、何を考えているのか全く分からない。
「俺はここだ! こっちに来いっ!」
全力で叫ぶ。
化物の気を引けるように、外へと誘導するために化物を挑発する。
これ以上厨房を破壊されると、マリア達の所に到達してしまう。必死だった。
声を出しながら、少しずつ厨房の外へと動いていく。化物が動き出せばすぐに駆け出せるように、足に力をためて。
だが、化物は動かない。
大声を出すマークを見ているが、襲い掛かってくる様子は無かった。その巨大な腕を振り上げることもしない。
逆に戸惑うマーク。
ただただ困惑する。ただ、声を出す事はやめない。
ようやく、化物が動いた。
マークの前で、真っ黒な身体に白い歯の口を浮かび上がらせて、ニタァッと笑った。そして、太い腕を振り上げて、先ほど壊そうとした場所へと叩きつける。
「っ!? やめろ!」
マークの静止などどこ吹く風。
化物は、再び厨房に向き直り、その腕を叩きつけだしたのだ。
「やめてくれっ!」
マークが駆け寄り、しがみつく。
だが、化物は止まらない。止めようが無い。
マークなどいないかのように無視して、厨房を壊していく。
そして……
「マリア! テレサ! 逃げてくれっ!」
マークが叫ぶが、時すでに遅し。
化物の振り上げた腕は、マリア達の隠れているシンクを上から凄まじい力で叩き潰していた。
ついでとばかりに、マークをも吹き飛ばす。
そして、そのまま厨房内を破壊しつくして、化物は満足したとばかりに厨房を後にした。吹き飛ばしたマークを放置して。
吹き飛ばされたマークは、何とか意識を保っていた。
体の至る所が痛いが、そんな事より大事な事があった。
「マリア……テレサ……」
這うように、何とかシンク前へと移動する。
二人が隠れていたシンクは完全に潰れていた。
その下からはおびただしい量の血が流れており、隠れている二人が生きているようには見えなかった。
「う……うわあああぁぁああぁぁあぁぁぁあぁっ!!」
絶叫していた。
泣きながら、潰れたシンクの物をどける。
体の痛みなど、手が傷つく事など厭わず、ただひたすら物をどかす。
何とか引っ張り出した二人は、やはり生きてはいなかった。
その表情は恐怖にゆがんでいた。二人で強く抱きしめあい、そのまま潰されていた。
マークは二人の亡骸を抱きしめて、泣きながら放心していた。
身体中から流れ出す血を気にも留めずに、マーク自身も血に染まる。
その時、いつかと同じ声のアナウンスが流れる。
「まもなく一時間が経過いたします。乗客の皆様方は、急ぎお戻りください。当列車はまもなく発車いたします。本日は楽しんでいただけたでしょうか? またのご利用をお待ちしております」
そのアナウンスの後、化物の暴れる音は聞こえなくなった。
静まり返った地下は、何の音もしない。
「……助かったのか?」
茫然自失にマークが呟く。
だが、目の前の二人の遺体に、それが何の意味も無い事に気づいた。
「マリアァ……テレサァ……ううぅ……」
自分だけ助かってしまった。化物を止められなかった。止められていたら、二人は死なずに済んだかもしれないのに……そんな後悔に襲われる。
だが、後悔したところで意味は無い。なぜなら、二人が生き返る事はないのだから……
しばらく、後悔と懺悔でその場に留まっていたのだが、本当に化物が居なくなったのかが分からない。他に化物が残っているかもしれないし、他に生きている人がいるかもしれない。そう思い、マークは力なく立ち上がった。
二人を連れて上がりたいが、身体がぐちゃぐちゃになった二人を連れてはいけない。
冷えてきた身体を丁寧に横たえて、綺麗にしてやる。
そして、自分の上着を掛けてから、その場から立ち去った。
飲食店街から一階へ。
辺りは地獄のような光景だった。
至る所に血の痕があり、肉片や破壊痕がある。いくつもの遺体が転がっており、潰れたり食われたりとまともな遺体は一つもない。
一階まで行っても、化物を見つける事は出来なかった。
痕跡だけで、見渡してもどこにもいない。
そのまま二階に上がると、天井プラットホームにやってきていた逆さまの列車もなくなっていた。
化物達は、本当にあの列車に乗って帰っていったのだろうか……?
二階から外へと繋がる通路へと歩いていく。
そこも、どこもかしこも血に濡れていた。力の入らない足取りで、何とか進んでいく。
「……おお、生存者が!」
通路の先から声がした。
顔を上げると、そこにはスーツ姿の男。横には警察官らしき男もいる。
スーツ姿の男は四十台ほどの男で、血臭漂うこの場所には不釣合いに見える。警官は、男に追従しているだけなのか、こちらに何の反応も示さなかった。
生きている人の存在に、マークは歓喜した。
がむしゃらに近寄っていく。血でぬかるむ通路に何度も足を取られながらも突き進む。
そして、マークはスーツ姿の男にしがみついた。
「化物が! 化物が妻と娘を!!」
涙でにじむ視界でまともに見えない中、必死で現状を訴えた。
緊張の糸が切れ、しがみ付いたまま立ち上がる事さえ出来なくなっていた。
男はマークにしがみ付かれながらも、冷静に問いかける。
「他に生存者は?」
「分からない! そんな……」
「そうか」
カチャ。
マークの言葉を遮るように呟いた男は、おもむろに懐から拳銃を取り出していた。
そして、それをマークの頭に突きつけると、何のためらいも無く引き金を引いていた。
「……え?」
パン!
軽い音と共に仰向けに倒れるマーク。
それを無視して男は、拳銃を片付けながら言った。
「また生存者は無しだ」
そして、スーツ姿の男と警察官らしき男は何事も無かったかのように、血まみれの通路を歩いていく。
それが、当たり前であるかのように。
”ここは悪魔が降りる『贄の駅』
皆様のご利用をお待ちしております”
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
夏のホラー2020用にもう一本投稿していますので、
もしよろしければそちらもどうぞ。
文字数2000字未満の短いお話なので、さらっと読めると思います。
→『きづいてはいけない』<https://ncode.syosetu.com/n6921gj/>
こちらは日本の怪談っぽいお話です。
ちなみに、これら二本のお話は舞台が日本と海外と違いますが、設定とシナリオは一緒です。
日本と海外の恐怖の違いを感じ取っていただければ、幸いです。