夫婦でしょ
リヒターが帰ると、入れ違いに数人の子供がやってきた。列に並ぶでもなくうろうろしている。声をかけようとしたら行ってしまった。どこそこの川が決壊したらしいという噂話に聞き入ってると、背中に衝撃を受けた。立ち去ったはずの子供たちが数メートル先でこずるい笑みを浮かべている。
背中に触れると泥がこびりついていた。やりやがったなと思う間に子供たちは辻へと駆けだした。急いで追う必要はなかった。最後尾の一番小さいのがぬかるみにはまって転んだのだ。助け起こすと、まだおむつをしている幼子だ。
「弱い奴を見捨てるとは武士のかざかみにもおけない奴らだな」
俺が挑発すると、子供たちは目の色を変えて戻ってきた。子供はおむつをしている奴も含めて四人いた。浅黒い顔をした男子たちが俺を取り囲む。
「おい、先生と結婚するってほんとか」
腕組みした一番図体の大きいのが、ぶっきらぼうに訊ねた。
「ああ、お前等、アテナの塾の……」
見覚えのある顔がちらほらあるのに気づいた。アテナの教え子たちのようだ。
「ほんとか!」
並々ならぬ執念をにじませ、彼らは俺に詰め寄ってくる。事実の確認というより、誤報を信じたい願望を感じさせた。
「本当だが? それよりお前ら家は大丈夫か。困ったことがあったら言うんだぞ」
心配ごとがあって来たのかと思ったが、それなら俺に喧嘩をふっかける理由がない。扱いに困っていると、アテナが騒ぎを聞きつけやってきた。
「先生! こいつにおっぱい揉ませてるって本当ですか!」
子供の一人が不穏なことを口走ったので、俺とアテナは白目を剥いた。次々に非難の声があがる。
「ずるい! 俺たちが触ったら怒る癖に」
「そうだそうだ。俺たちと大して変わらないのに」
こいつらは俺に嫉妬していたのだ。おっぱいに執着する辺りませてはいるが、大事な先生を奪われ心細いのだろう。
「あなたたち」
アテナが厳かな声を発したので、俺まで緊張して直立した。
「先生は確かにこの人と結婚するけど、みんなの先生であることは変わらないの。だから怒ります。女性の価値を胸ではかってはいけません。減るものじゃないからという理由で触る人がいるけど、定量化できないからこそ不可侵にすべきなんです」
「「「「先生、俺たちが間違ってました!!!!」」」」
謎の説教に打たれて、感極まった子供らがアテナに抱きつく。俺も何故か釣られて同じ行動を取った。
「お前はいつでも触れるんだから、あっち行ってろよ」
「あ、すまん」
仲間外れにされた俺は、離れた位置から彼らを見守った。アテナは懇ろに教え子を抱きしめ、不安と動揺を鎮めたのだった。
「アテナは教え子に慕われてるんだな」
子供たちを家に送って二人きりになると、普段避けていた話題を振った。俺たちの間で子供の話題はなんとなくタブーとなっている。
「みんな腕白だけどね。可愛いと思うのなんてごくたまーによ。紙は無駄にするし、家は汚すし、怒っても聞かないし、やんなっちゃう」
「子供、嫌いだったのか」
「とんでもない!」
アテナが激しく反発したので、俺は情けない声ですまんと謝った。
「そりゃあ、腹立つこともあるけど、人様の子供を預かってるんですから。好きじゃなきゃやっていけないよ」
職責に対する誇りを見せつけられ、俺は落ち込んだ。日頃の怠慢が祟る。俺は仕事を好きになったことも、誇りを持ったこともほとんどない。薄っぺらい自分を自覚せざるを得なかった。
アテナは声を和らげ、俺を慰める。
「ショータ君も鬼退治頑張ってるよ。アテナはずっと見てたからね」
「守れなかった人も大勢いる」
去来するのは、救えなかった茶屋の娘や仲間たちの顔だ。弱気の虫に取り付かれると、アテナが肩を抱いてきた。
「それも含めて、一緒に背負うね。夫婦でしょ?」
感情が決壊し、往来の真ん中でアテナにしがみつき泣いた。泣くのはいつ以来だろう。実家を出た時も泣かなかったのに。




