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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
りゅうおうのおしごと
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和解

 

 その日は雨こそ降っていなかったが、夢と同じような曇り空だった。リヒターの部屋には鬼切安綱と並んで童子切安綱が飾ってある。


「そうか、おめでとう。ようやく僕の肩の荷も下りるかな」


 リヒターに結婚の話を切り出すと、表向き好意的な答えが返ってきた。俺は話の腰を折られたような気がして焦る。


「お前が焚きつけたんじゃないか。もっと喜べよ」


「だから喜んでるよ。式は? するんだろ」


 リヒターの顔色を読むのもバカバカしくなってきた。俺は拒絶を望んでいたんだ。祝福を望んでいたわけじゃない。


 俺が黙っているとリヒターは小切手を持ってきて、渡してきた。結構な金額が書き込まれている。


「いらねえよ。そういうつもりで来たんじゃない」


「君にじゃない。アテナさんに。幸せにしてあげるんだよ」


 俺はリヒターの腕を強かに打った。打ったところは内出血したのか青くなる。


「いちいち指図するな! 俺はちゃんとやれてるんだ。羨ましいか? お前にできないことを俺は全部できるんだ。悔しいだろ?」


 リヒターの哀れむような視線を浴びるまでもなく、最低なことをしている。金を借りに来たのだ。俺はこいつに罵倒されたくて仕方なかった。


「ショータ、君がそんな風になってしまったのは僕のせいだね」


 意を決したようにリヒターが俺の胴に組み付いてきた。押し倒される格好で、敷居に頭をぶつける。


 必死に逃れようとしたが、どこにそんな力があるのかまったくふりほどけない。しまいにはズボンを脱がされそうになり、貞操の危機を感じた。


「僕は君を弟のように思ってきた。責任は取るよ」


「せ、責任って……、なんだよ。あーっ!」


 うつ伏せにされ、尻を撫でられると鳥肌が全身を駆け抜けた。すまん、アテナ。俺はきれいな体で帰れないかもしれない。でも心だけはお前のものだから。リヒターなんかに負けたりしないから。


 ……、このあとめちゃくちゃ尻を叩かれた。


 それから俺は数時間に渡り、説教を受けた。島に行かなかった時でもここまで怒られたことがなかったのに、納得がいかない。


 リヒターからすると、俺の行状にずっと不満があって、いよいよそれに我慢ならなくなったらしい。


「君は何が不満なんだ。八つ当たりされる方の身になってくれよ」


「お前は俺が憎いんだろ? 俺が島に行ってれば腕はなくならなくても済んだかもしれない」


 リヒターは顔を押さえ、苦しそうなため息をついた。


「なあ、ショータ。今更そんなこと言っても仕方ないだろ。君とリリス君が友人だったのは知っている。それを差し引いても、あの時どちらかが残るのは戦略的に正しい判断だった。だから僕は君を責めなかったし、恨んでもいない。何度言えばわかるんだ」


 それは結果論に過ぎない。当時の俺にはそんな考えはなかったし、リヒターもそれを知っているはずだ。


「そういうとこだよ。きれいごとで誤魔化すな。俺は本音が聞きたい」


「憎い」


 半目でにらんできたので、俺は怯んだ。


「でもそれ以上に愛してる。覚えてるかい、初めて会った時、君は僕の弟子になりたいと言ったね」


「あー、そんなこと言ったかな」


 俺は尻の痛みをこらえて座り直した。リヒターは興奮して顔を近づけてきた。


「言ったんだよ! あの時僕は決めたんだ。この子の面倒を一生見るって」


 俺は勘違いしていたのかもしれない。リヒターの言うとおりリスクマネジメントが成功していたら、俺がふてくされているの全くのお門違いだ。突き詰めれば自分が許せなくて、リヒターに八つ当たりしていたに過ぎない。もし許されるなら、やり直したい。あの頃のように素直に向き合えないだろうか。


「重いんだよ、お前。俺は子供じゃないんだからな」


「そう言われると辛いな。知らず知らずのうちに君を縛っていたのは認めるよ。だからもう君の好きにしたらいい。僕はもう何も言わない」


 リヒターは座ったまま背中を向けた。決して広い背中とは言えないが、色々なものを背負っている。俺は重荷じゃないのか。ここに居ても許されるんだろうか。


「この間、見回りしてたらさ、町の人が挨拶してくれるんだ。俺たちのやってきたことは無駄じゃないよな」


 リヒターが振り返り、俺をきつく抱きしめる。胸部を締め付けられ、息苦しかったが痛みは感じない。


 俺たちは汚いことも散々してきた。それでもどこかで正しさを求めて戦ってきたのではなかったか。それを忘れてしまえば単なる無法集団と変わりない。今ならまだ間に合う。組織も俺たちもやり直せると確信した。


  話がまとまった所でリヒターに酒を勧められ、少しだけ呑んだ。今日くらいは許されるだろうと思った。


 滑らかになった口で、常日頃疑問に思っていたことを訊いてみた。


「お前さあ、家とか買えよ。毎回毎回この家の人と顔合わせるの辛いわ。向こうも気まずそうだよ。だいたい小泉立之進って誰よ。立之進って」


「勘定奉行だよ。彼のおかげで千本桜の予算が滞りなく組まれているんだ」


 立之進は国のお金に手をつけたことがあり、リヒターがその穴を埋めたことがあるそうだ。


 弱みを握って金を出させた上、居候まで決め込むとは涼しい顔して鬼畜の所業だ。これくらいでなくてはトップは務まらない。俺には到底無理だ。


「それに家を買うのは当分先にしようかな」


「何故?」


 リヒターがウインクして、家を移らない理由を明かした。


「だって、ここで療養してると君が心配してお見舞いに来てくれるじゃないか。気兼ねせずいつでも来てくれていいからね」


 また肌が粟だった。俺はこいつのことを何も理解していないのかもしれない。つくづく底の知れない男だ。


 立之進の家で鴨鍋をごちそうになり、詰め所で事務作業を終えてから家に帰った。腰に童子切安綱を差して堂々と。


 酒を呑んだことはすぐに露見した。結局五合も呑んでしまったからだ。事情を説明したが、アテナは失望したように俺をなじる。


「約束したのに……、ショータ君は昔からそうだよね」


「兄弟の杯みたいなもんなんだよ。とにかくもう呑まない! 絶対」


  仕事の付き合いで呑むかもとは内心思ったが、口には出さない。今は謝るしかない。


「辞めないんだ、千本桜」


  さらに優柔不断を責められ、顔を上げられない。迷惑をかけている自覚はあるから針のむしろだ。


「別に怒ってるわけじゃないから。この土地になれちゃったし、アテナは別にこのままでいいからね」


  俺の選択を尊重してくれているが、笑顔がなんとなく寒々しい。この埋め合わせは盛大な結婚式しかないか。寝る前に意を決して提案してみた。


「なあ、アテナ。結婚式……」


  アテナは俺に背中を向け、鏡台の前で化粧水をはたいている。なんとなく拒絶に近い空気を感じる。


「兄弟といえば、アテナとショータ君、よく姉弟に間違われるよね」


 以前、八百屋でそんなことを言われたことがあったが、冗談みたいなものだった。アテナが深く気にしていると思わなかった。


「そのうちお母さん。お婆ちゃんなんて言われちゃったりして。上手くやっていけるかな、アテナたち」


 俺たちを隔てる時間の川の問題は、いつまでもついて回る。ここで亀裂を放置すれば結婚はご破算になるだろう。


「俺はお婆ちゃんになったお前が見たいぞ」


「やだ。そんなの見せたくないよ」


 顔を覆うアテナの背中に腕を回した。


「頑張って生きなきゃな。お前とずっと一緒にいるために」


 俺が示せるのは、懸命に前を向く姿だけだ。それがどの程度伝わったのかわからないが、この問題は棚上げとなった。


「話が逸れたけど、今度呑んだらお尻ペンペンだからね」


 赤く腫れた俺の尻を撫でて、アテナは微笑む。一生尻に敷かれるかもしれないが、こいつとなら悪くない。

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