中途半端な才覚
俺の生みの親は、俺が三歳の時に事故で亡くなったらしい。養子として引き取られた親戚の家で早い段階からその事実を知らされた。
その家には二つ上の男の子がいたが、俺たちは分け隔てなく育てられ、幸福な子供時代を過ごした。同じものを食べ、同じブランドの服を着て、同じ本を読んで暮らしたはずだ。
俺にとって最大の不幸は、中途半端な才覚を持って生まれたことにある。
十二歳の時に、野球の地区リーグで優勝したことがある。義理の両親はめったに取らない寿司まで注文して祝福してくれた。
廊下で大きな物音がした。兄がトロフィーを床に叩きつけて壊していたのだ。
「指けがする。危ないよ」
俺は兄の身を案じた。トロフィーはただの飾りだ。俺は四番バッターだったが、チームの勝利に違いなく、個人の勝利を誇るつもりはなかった。兄が不快に感じたのなら申し訳ないとすら思った。
「お前は俺のことなんか眼中にないんだな」
俺に負けた人間は、いつも兄と同じ目をしていた。卑屈で情けない目だが、油断ならない光を秘めていた。いつか俺を追い落とすのではないか。そう感じせる怖さがあった。
以来俺は早めに自立し、前だけを見つめるように努めた。世界は広い。俺を完膚なきまでに打ち負かす奴がどこかにいるかもしれない。様々なものに手を出した。VAFはその一つに過ぎなかった。
そして俺は敗北を恐れると同時に、負けることも望んでいた。もし、俺の全てを否定する者が現れたら、俺は許されるのではないか。敗北の味を知り、地にまみれれば、兄の気持ちを本当の意味で理解し、わかりあえるという幻想を抱いていた。
ただの負けでは駄目だ。圧倒的な敗北を俺に与える者を探して、ようやく俺はあいつに巡り合った。
ほこりっぽい辻に、俺は立っている。鈍色の雲が空を覆っていた。忘れかけていた道筋を辿り、長屋に足を向ける。
暗い長屋の中は、黴の臭いと厠の臭いが混在していた。狭い庭には黒ずんだ大根の葉が転がっている。
背後で足音がし、振り返ると屋外へ走り去る影が見えた。後を追う。行く手を遮るような激しい雨が降り注ぐ中、遅れないようについていく。
前方を走る朱色の和傘が、橋の袂で翻った。般若の面を被った女が問いかけてくる。
「……、ねえ、このままでいいの?」
わかってるよ、お前を一人にはしない。
雨が槍のように鋭く尖り、俺の体を貫いた。薄っぺらい俺の精神は散り散りになり、夢から覚めた。
窓枠を風が気だるく叩いている。隣では、アテナが両腕を上げた体勢で寝入っていた。はだけたパジャマに目が吸い寄せられる。
おもむろにアテナの胸をもみしだく。波打つ弾力は俺の手に余る質量をたたえている。何を食べたらこうなるのか。出会った時よりさらに成長している。一度、神官の仕事でグラビアを撮った時は大喧嘩になった。はちきれんばかりのチューブトップと谷間の百合という構図の写真が雑誌に載って流通し、俺は激怒した。何故神官のグラビアが必要なのだろう。理解に苦しむ。千本桜で雑誌を持ってる奴がいたのでぶん殴って取り上げた。アテナの裸を見ていいのは俺だけだ。胸とて所詮は脂肪の塊だが、確かさの証明としては申し分ない。気分が荒むと、つい触ってしまう。
薄目のアテナが、俺の行動を監視していた。
「ショータ君の……、エッチ」
弁解もせず下に降り、顔を洗った。鏡に映る甘ったれた面に嫌気が差す。
俺には性欲がない。そもそも精子を作る機能がないのだ。神格を得る前からそうだったらしく、この世界に来てからそういったこととは無縁の生活を送っている。遊廓では単に酒と歌で気を紛らわせているだけだ。
昨夜は、子供をどうすべきか話し合った。アテナは二人での生活に不満はないと言ったが、腹の底はよくわからない。気が変わることもあるだろう。ゆくゆくは養子をもらうことも検討すべきかもしれない。まだお互いに遠慮があって、将来を見通す段階にない。
「昼はリヒターと食べるから。帰りは遅くならないと思う」
「ずるーい。高いもの食べるんでしょう。アテナも行きたい」
「そこは、あんまり高いものを頼んでリヒターを困らせないでって注意する所だ」
「あ、そうか」
無邪気に照れ笑いするアテナと食卓を囲んだ後、支度を整える。白の隊服は死に装束も兼ねている。アテナはこの服を嫌って羽織りを着せる。結局、脱隊の話もまとまっていない。今回の結婚をリヒターから離れる口実にしていないか。そんな考えがよぎり、恐ろしくなった。
「アテナ、愛してるよ」
「なあに、急に」
俺のアテナへの愛は本物だが、抽象的だ。形式にはそれを具体化する力がある。本来見えないはずのものを可視化する結婚という仕組みは、案外いびつなのかもしれない。
たとえ形がなくなっても、俺の気持ちは変わらない。アテナはどうだろう。怖くて聞きそびれた。




