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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
りゅうおうのおしごと
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損して得とれ


アテナは編み物に目を落とし、俺の言葉を待っている。赤い毛糸のショールを作っていると、この間話していたな。その方向に話を進めればいい。まだ間に合う。


「い、いや、今のは冗談だ。こういう冗談が遊廓ではやってて……、それ暖かそうだな」


「ここは遊廓じゃありませんから。お帰りください!」


怒らせてしまい、部屋から閉め出されてしまった。俺は慌てて畳に手をついて謝った。


「すまん! あながち冗談じゃないというか、冗談にしておきたくない話題というか」


襖を少しだけ開け、アテナが見下ろしている。鬼のように怖い目だ。


「どっちなの? はっきりして」


「はい。俺と結婚してください」


アテナが俺のいる部屋に来て、向かい合うように正座した。塾で子供を叱る時も同じ対応をしているのを見たことがある。


「こういうのはもっと雰囲気を大切にするものだと思うな」


「そう、だな」


「こちらにも心の準備があるんだから」


「うん」


俺の手をアテナの手が包み込んだ。


「お酒止めるって約束できる?」


「する」


「信用できない。やっぱやーめた」


約束を反故にしてアテナが寝ころぶと、急に心許なくなり、居場所を失ったように感じた。目を上げると、アテナが舌を出していた。 


「うそ。さっきの仕返し。いいよ、結婚しよう」


俺たちは、子犬のようにじゃれあった。髪をまさぐり、肌に歯を立て笑い合った。束の間の幸せを味わいつつも、心の中で俺はずっと謝っていた。アテナを傷つける結果しか生まないのに、ままごとを続けて何になる。どうして俺はこんなに弱いんだろう。


「アテナのこと、恨んでない?」


出し抜けに訊かれ、不安の払拭に努める。


「恨んでるよ。でもそれ以上のものをもらった。これからもっともらうから覚悟しろ」


残り時間は少ない。俺ができるのは、アテナの罪を軽くしてやることだけだ。


朝早くに家を出た。


詰め所の壁には、隊士の所在を知らせるボードがある。俺は名札を見回りの所に置いた。見回りは交代制だが、俺はほとんどやったことがない。これまで見回りと称して遊んでいたからだ。


今日ばかりは真面目に巡回して昼に戻ってくると、他の隊士たちは複雑な表情をしていた。


「珍しいですね。昼行灯が真面目に仕事をしている」


「雨でも降るのかなあ。やだやだ」


瑞角と瑞鳳だけは遠慮がない。こいつらに一泡吹かせたい。自慢するつもりはなかったが、つい口が滑った。


「俺だってやる時はやるのさ。なにせ結婚するんだからな」


皆、驚いたのは言うまでもない。大げさに倒れた奴もいた。アテナのファンだったらしい。ご愁傷様。


日付が変わる頃に家に戻ると、何故か女王蜂がいた。


「おお、邪魔してるぜえ。色男君」


酒と肴を堪能して、既に出来上がっているらしい。赤い顔で俺を出迎えてくれた。アテナは早く帰らせろと目で合図を送ってくる。


「来るなとは言わないが、時間を考えてくれないか。親しき仲にも礼儀ありだ」


「君がそれを言うかね。結婚のことなんで黙ってたあ!」


深夜に大声を出されて気が気でない。アテナはガチャガチャと不快な音を立て皿を片づけている。当然、女王蜂はその程度ではめげないが、俺は焦りで汗を流していた。


「さ、さすが耳が早いな。きちんとしたことが決まってから話そうと思ってたんだ。あんたも忙しそうだったし」


「くっそー……、なんでみんなあたしより先に結婚しちゃうんだよぉ。どうしてあたしの前には王子様がやってこないんだよぉ。こんな世界絶対間違ってる。そうだよね!?」


「そうですよ。はっちゃんさんの良さをわかってくれる人が、きっとそのうち現れますよ(ニコッ)」


歯がみする女王蜂を慰めるように、台所のアテナが合いの手を入れた。けれど優越感が滲み出ていたので、火に油を注ぐことになった。


「うるせえ! 美人の慰めの言葉ほど残酷なものはないよ。この乳で青少年を誑かしたのか。条例違反だ。逮捕する」


ずっとこの調子でからんでいたのだろう。アテナに少し同情する。ともかく近所迷惑だし、お帰り願う。玄関先で女王蜂は急に背筋を伸ばして俺に詰め寄った。


「結婚式はどうすんだい」


気持ちばかりが盛り上がって今後のことはまったく考えていなかった。婚姻届けは出すつもりだが、式をやるお金の余裕はない。


「ほらこれ」


女王蜂はアテナから見えないところで書類を握らせてきた。改めると土地と建物の権利書だった。


「これは貰えない」


「いいっていいって。ご祝儀がわり。国を出るなら売り払っていいから。アテナちゃんは結婚式やりたいみたいだよ。今日は色々相談乗ってたの。じゃ、また」


固辞しようとしたが、また大きな借りができてしまった。女王蜂を見送った後、アテナに向き直る。


「結婚式したいのか」


「う、うーん……」


アテナは曖昧な受け答えをしたが、本心ではかなり前向きなのがわかった。寝る前には女王蜂が残していったパンフレットを熱心に広げて目を輝かせている。


「やっぱり一生に一度だし、憧れちゃうなあ。それにリョクメイ国の結婚式って神前なんだよ。世界でもここだけ。あー、でもドレスも捨てがたい。はっちゃんさんが、割安でやれるっていうから見に行ってみない? 見るだけ」


目移りするのはわかるが、神官の宗旨としてはどうなのだろう。アテナにとっては、女性としての幸せの方が優先されるらしい。


パンフレットによると、この国の結婚式も結構金がかかる。具体的に言うと、この家の評価額とそう変わらない。


損して得とれ、か。さすが商売人の鑑だ。

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