傷の舐め合い
リヒターは、雑木林側にある民家の離れで暮らしている。瑞角と瑞鳳が時々様子を見ているそうだが、本人はあまり面会を望んでいないと聞いた。俺もあの上陸作戦の後、数えるほどしか対面していない。
「風が出てきたね」
布団から身を起こしたリヒターが、か細い声を震わせた。唇はひび割れているのに、俺が土産として持ち込んだ柿には手をつけない。
「散歩に出ようと思うんだけど億劫で。近くに静かな林があるんだ。ショータと今度行ってみたいな」
俺は引き戸を閉めて布団の傍らに腰を下ろした。やせたリヒターの首筋から目をそらし、柿をかじった。腐ったような甘さに吐き気がする。
「今から行くか? 俺は構わないぞ」
自分から誘った癖に、リヒターがその話を持ち出すことはその後なかった。リヒターの着物の袖から右手は見えない。隠れているのではなく、肘から下がないのだ。腕を植物に変えられそうになり、自分で切断したと瑞角から聞いた。利き腕を奪われ、剣士としての生命を絶たれてからは、気力も衰えたようだ。
「任務はどう? 君にばかり矢面に立たせて申し訳ない。僕がこんな体じゃなかったら……」
「それは言いっこなしだ。お前がいなかったら、面倒な交渉ができる奴がいなくなるからな。うちが脳筋ばかりなのは知ってるだろ。楽したかったら、もっと賢い面子を揃えろよ」
リヒターが裏方で、俺が最前線で血を流す。二人三脚でなんとか組織は存続してきた。こいつがそれで満足しているとは思えない。内心、俺が顔役を務めているのを苦々しく思っているのではないか。
「君は立派になったね、ショータ。瑞角たちも君を慕っている。安心して後を任せられそうだ」
「心にもないことを言うな。お前がそんなだから俺は……」
リヒターの胸ぐらを揺さぶって、気づいた。不精髭、生気のない目。俺は死人のようなこいつと袂をわかつためにここに来た。なのに、言えない。こいつがこうなったのは俺のせいだから。
結局その日、リヒターに脱退の意思を伝えることはできなかった。瑞角経由で既に耳にしているとは思うが、俺から言い出すのを待っていたのだ。あいつはそういう奴だ。笑顔の下で別の考えを巡らせている。俺が負い目で動けないのを知っていて、ああいう同情を誘うようなことを言うのだ。
「俺があの時、一緒に島に行っていたら」
アテナの膝の上で、俺はどうにもならない後悔を口にする。酒を呑んで帰ったのは深夜だ。門の前で寝ていたのを座敷まで運んでもらった。
「ショータ君は悪くないよ。自分を責めないで」
アテナだけは俺を責めないでいてくれる。泣き言も愚痴も全部受け入れてくれる。申し訳ないと思うが、甘えてしまう。この三年ですっかり立場が入れ替わってしまった。
リヒターが島に乗り込んだ日、俺も一緒に行く予定だった。当日、俺は遊廓で酒を呑んで昼まで寝ていた。他の隊士たちは俺を殺さんばかりに怒り狂ったが、リヒターは仕方のない奴だ、の一言で済ませた。甘い処分が、内部分裂の引き金になったのは否めない。そうなってなお、俺は内心負い目を感じていないような気がする。俺が行った所で死体の花が一輪増えるだけだ。君子危うきに近寄らず。
これはリヒターの奢りが招いた結果なのだ。そう納得できれば楽なのだが、俺という人間は惰弱な奴で、ずるずると千本桜に籍を置いて、傷の舐め合いをしている。
「悪いな、アテナ。出立はもう少しかかりそうだ」
「大丈夫。お茶持ってくるね」
甲斐甲斐しく台所に向かうアテナを見送り、寝ころんで天井を仰いでいると、激しく表戸を叩く音がした。頭の芯に響く。目が回りそうだ。やっとのことで起きると、戸を開けた。訪ねてきたのは血相を変えた瑞凰だった。
「大変だ、ショータ」
瑞鳳は、俺が相棒にしていた瑞角の弟である。今でこそ見分けがつくが、最初の頃はよく間違えて怒られた。瑞鳳はマイペースな奴で、滅多なことでは慌てたりしない。だが、今夜は顔にびっしり汗をかき、青ざめている。ただごとではないのがわかり、家に招き入れた。
「何があった?」
「鬼狩りに出た瑞角が帰ってこないんだ。連絡もつかない」
俺が脱退を宣言した後も、瑞角は単独で任務に向かったらしい。どんな任務も複数であたるのが基本だ。マニュアルを無視している。神経質なあいつらしくない。俺への当てつけのような無謀な行動だ。
アテナが持ってきた熱い茶を流し込み、戸外に出る。厳しい冷え込みで酔いが冷めた。
「俺が行く。お前はここに残れ、瑞鳳」




