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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
りゅうおうのおしごと
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長い夜


トウキから首都までは鉄道が走っている。ここ数年で、リョクメイ国はだいぶ様変わりした。電気に上下水道、主に冒険者が持ち込んだ技術によって、生活の利便性は飛躍的に向上しつつある。


とはいえ政治を巻き込んだギルド間の闘争は苛烈さを増している。昨年は、ある大名が収賄罪で起訴された。女王蜂が航空利権を狙って近づいたらしい。空港建設の話は俺も酒の席で女王蜂から聞いていたから信憑性はある。


千本桜と国による大規模な調査が開始されたが、証人が失踪するなどの妨害が相次ぎ、決定的な賄賂の証拠は出なかった。面子を潰されるのを嫌ったリヒターが別の談合事件で立件したが、これも証拠不十分でうやむやになる可能性が高い。


攻める側の千本桜は安泰かといえばそうでもない。三年前は三百名あまりいた隊士は、今では百名近くにまで減ってしまった。原因は、リヒターの竜王討伐失敗だ。


リヒターは幕府の要請に従い、悪鬼島に乗り込んだものの、結果は惨敗。リヒターは再起不能の重傷を負った上、共に上陸した隊士は帰ってこなかった。


そこからは坂を転がり落ちるように千本桜の凋落が始まった。評判は地に落ち、港にいたチンピラにまでなめられる始末だ。


元々、リヒターのカリスマ性によって成り立っていた組織だ。求心力を失えば為す術がない。本拠地としていた格式ある寺を追い出され、今では幕府の詰め所を間借りさせてもらっている。


俺は藤ばあの家を出て、市街地から離れた高台に引っ越した。以前の家は、俺が千本桜に所属していると知った何者かが石を投げ込んできたり、嫌がらせを繰り返してきたので住めなくなったのだ。藤ばあに迷惑をかけたくなかったし、アテナがひどく怯えてあの時は始末に困った。


百段近くある石段を登り、帰宅の途につく。途中に畑があり、野良仕事を終えた農夫と挨拶を交わす。素性を隠しているため、彼らは俺が冒険者だとは知らない。


俺の今の住居は、二階建ての木造家屋だ。賃貸で庭は藤ばあの家の方が広いが、こちらは電気と水道が通っている。


広い玄関には高さのある靴箱があり、女物の靴が散見される。入ってすぐの和室には木のテーブルが置かれ、洗い立ての硯と筆が目を引く。部屋の中は墨の匂いが漂っていた。変わらぬ夕映えに一息つくと、同居人の名を呼んだ。


「アテナ! いないのか」


奥の部屋は洋間になっており、絨毯の上にはオルガンが置かれている。返事がないので無断で入ると、アテナは籐椅子に座って手紙を読んでいた。長い睫毛が微かに震える。俺に気づくと手紙を慌てて隠した。


「あ……、おかえりなさい。早かったね」


一つ屋根の下に暮らして長いが、アテナの美しさには時々驚かされる。優しげな双眸に張りのある肌、どれを取っても衰えず、寧ろ輝きを増している。


三年前はあどけなかったが、近頃は言動に落ち着きが出てきた。昼間は私塾を開いて、近所の子供に読み書きを教えている。神官の仕事は、まあ相変わらずだ。


「ただいま。疲れてるなら、俺が夕飯作ろうか」


家事は日替わりで分担している。今日はアテナの担当だが、トウキで新鮮な魚を買ったので俺が腕を振るおうというわけだ。


藤ばあの家にいた頃も、アテナは頻繁に手紙を受け取っていた。藤ばあから、「あの娘はもう子供じゃないんだよ」とからかわれた時は余計なお世話だと憤ったが、俺も人並みに嫉妬心が残っているらしい。タイル張りの台所に行き着くと、叩きつけるように魚を置いた。


台所までついてきたアテナは、俺の上着を手ずから脱がしにかかる。自分でやると言っても聞かない。家に仕事を持ち込ませないという気持ちの現れかもしれないが、黙っていると全身を着替えさせられる。そして、家のしきたりを作って縛ろうとさえしてくる。


「帰ってきたらまず何するの?」


「手洗いうがい」


「それも大事だけど。お帰りのチューを忘れてないかな」


新婚のような歓迎ぶりだが、これは罠だ。俺が酒を呑んでいないか確認したいのだろう。最近も隠していた酒瓶を捨てられたし、アテナは俺の飲酒を喜ばない。


「魚が駄目になってしまう。後にしてくれないか」


「朝はちゃんとしてくれたのに。照れてるのかしら」


アテナは口を窄めて待機している。俺は無視して魚の鱗を取り始めた。


アテナの苛立たしい鼻息は、白身魚の鍋を饗すると幸福なものに取って変わった。せいぜい機嫌を取った所で、本題に入る。


「千本桜をやめようと思う」


アテナは魚の白身をほぐして箸でつまむと、俺の口元に近づけてきた。だしを染み込ませた白米に蒸した魚を載せただけの料理で俺の好物だが、今日は食欲がなく顔を背けた。


「他に何かしたいことでもあるの?」


アテナは俺が食べなかった魚を口に運んでいる。紅の引かれた唇を俺は無心で見守る。


「……、いや。悪いけど」


「謝ることないよ。お勤めご苦労様でした。片づけは、アテナがするね」


そこから話は庭にやってくる猫の話に移り、弱っているので保護して飼い主を探すという結論に落ち着いた。


俺の決断が短慮の結果ではないことも理解してくれているのか、深く追求されることもなかった。アテナは俺の妻ではないし、担当神官が冒険者の判断に口を出すのも妙な話か。


「あっ……、雨」


食後、洗い物をしていたアテナが顔を上げる。俺は寒気を感じ、助けを求めるように抱きついた。酒がない夜は心細いものだ。特にこんな凍えるような雨の降る夜は、竜王が俺を責めているように感じる。


布団に入ってからも、俺はアテナの胴にしがみついていた。


「明日は関係先に挨拶に行こうと思う」


「アテナも付き合うよ。お土産は何がいいかな」


窓を強風が叩くと、話は中断した。木の梢が暴れただけのようだ。


「一人で大丈夫。それよりアテナ、この国を出ないか」


相談もなしに勝手な提案をしていると思う。俺たちは同じ家に暮らしているが、恋人でも夫婦でもない。ただなんとなく一緒にいるだけだ。アテナに随伴する義務はない。


「いいよ」


それでもアテナは快諾した。深い考えはないようだ。まだ目的地も言っていない。


「ショータ君がいいならアテナはそれでいい。側にいさせて」


張りつめていた体の力が抜けていく。見捨てられることを恐れる自分が情けない。それでも、この長い夜が終わることに安らぎを感じて眠った。

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