ユイの調査(後編)
イリエグチソイフォンは、その名の通り入り江の洞窟に生息している。常に雌雄で行動し、どちらかを引き離すと死んでしまう。そのため砂時計型の容器に同時に捕獲しなければならない。
それを聞いたエチカは俺の腕を引いて、熱っぽいため息を吐いた。
「ロマンチックだね。あたしたちにぴったり」
「そうでしょうか。ひどく脆弱な生物だと思います。人間死ぬ時もどうせ一人ですよ」
研究者の卵であるユイは、リアリストらしい死生観で水を差した。
馬車での道中、エチカとユイは真逆の性格だとわかった。その割、本気でいがみ合うわけではないのが人間の妙か。
舗装されていない道なき道を行くため、予期せぬ振動が突発的に体を襲う。平原に沿う森には、切られて間もない切り株が散見される。田畑では農民が低木から青々とした葉を摘んでいた。
「あれは何をやってるんだ?」
「茶葉の収穫です。茶葉と材木は、リョクメイ国の輸出の要ですから。雨乞いの竜王様様ですね」
ユイは物知りだ。竜王のことを訊こうとしたが、その前に目的地の入り江に到着した。
砦から数キロ離れた場所にある入り江には、アーチ型の断崖がかかり、ぽっかり開いた洞穴は、呼吸するように海水を排出しては吸い込んでいる。穴は陽光すらも飲み込み、深部は見通せない。
ユイはエンジン付きのゴムボートを用意していた。それを膨らませている間、エチカはナマコを見つけて弄んでいた。芋虫めいた黒っぽい背中が蠕動している。
「うえー、気持ちわる」
気味悪がりながらも、エチカは枝でつつくのをやめない。ナマコは身をよじって海中に逃げようとする。ユイが颯爽とやってきて、ナマコを手づかみした。そのまま口に放り込む。
「ちょ、何してんの……、ユイ、お腹壊すよ」
「こりこりしてて美味しいですよ。お二人もどうです?」
ユイは平然と飲みくだしながら、岩場にいた別のナマコを手に取る。俺たちは海の恵みを尻目に、ボートに向かった。
ボートは三人で乗ると窮屈で、誰か一人が残るべきだと思うのだが、エチカは俺が乗らないと乗らないと言い張るし、さりとてユイを残しては蝶の捕獲はおぼつかない。俺も蝶が見たいから、自分が残るとも言い出せない。
「つめれば乗れます。エチカさん、エンジン頼めますか」
俺とユイが肩寄せ合って乗り込むと、エチカは渋々後ろに乗り込んだ。軽快なエンジン音と共に、ボートは海面を滑るように進んだ。
洞窟の入り口は狭かったが中に入るにつれ、幅が広くなり、通行が楽になった。外からの光が海面に反射し、天井を神秘的な色に染め上げている。
俺が目を奪われていると、ユイが釘を刺すように囁いた。
「蝶は壁に紛れるように留まっていますから、目を離さないように。見つけたら教えて下さいね」
「どうやって捕まえるんだ」
虫取り網は役に立たないとユイに言われたので、アテナの家に置いてきた。
「ジャンプしてキャッチ」
「はは、なんだそれ」
冗談めいた捕獲方法に笑っていると、湾曲した水路の先に洞窟の出口が見えてきた。このままでは蝶を捕まえる前に外に出てしまう。
「エチカさん、エンジン止めて下さい……」
振り返ったユイが絶句する気配がした。俺も首だけで同じ動きをして目を疑った。
エチカの姿が忽然と消えた。海中に落ちたのだろうか。全く気づかなかった。呼びかけてみたが、俺とユイの声が反響するだけだった。
ユイはエンジンを止め、ボートを岩に係留した。それからこの場所が、いわく付きであることを明かした。
「言い忘れたんですけど、この洞窟は海の主の住処だそうです」
「そういうことは早く言え!」
ユイの姦計を疑う時間が惜しい。
俺は躊躇なく海面に飛び込んだ。水が冷たすぎて、意識が飛びそうになる。息を肺一杯に吸い込み、額を光らせて準備万端。潜水を開始した。
水中は暗く、額の光を最大限活用しても、顔の周りを照らすのがせいぜいだ。とはいえあまりボートから離れたくない。海藻のようなものが目に入った。近づいてみると、それが海藻でないことがわかった。イボのようなものに覆われた太い触手が、海底から無数に伸びている。蛸に似ているが、触手の長さから推察するに俺の知るどんな海洋生物より大きい。これが海の主か。
より深く潜るために足を蹴る。息は苦しいが、まだ我慢できる。気味の悪い触手を押し退けても、すぐに弾力で跳ね返ってきて行く手を阻む。
(いた!)
諦めず探したかいがあった。触手に絡め取られたエチカを発見した。腕を伸ばした姿は人形が沈んでいるように見える。エチカの周りの気泡が少ない。意識を失っているのか。
触手はエチカの胴や足をがっちり締め付けており、俺の腕力では外すことができない。
(おい、起きろ、エチカ)
頬に触れてみたが冷たい…、まだだ。俺は諦めない。額の光を触手に集中。この光は海中でも曲がらなかった。通常なら、水中で光は屈折し、進みが遅くなる。それがないということは、ただごとではない。この世界の物理法則が俺たちの世界とは違う可能性はあったが、俺はアテナを信じる。
「……、ぶはっ!」
水面に上がるとすぐ、肺が破けそうになるほど呼吸を繰り返した。目がチカチカするが、何とか無事だ。
俺がボートに戻るとすぐ、ユイが沈痛な面持ちで手を差し出してきた。
「エチカさんは見つからなかったんですか?」
「バカ言うな……」
俺は不可能を可能にする男だ。無論やってのけたさ。俺の肩に寄りかかっていたエチカを、ユイに見えるように海面から出す。
ボートに仰向けに寝かされたエチカは青白い顔で、目を閉じている。水を飲みすぎたのか。人工呼吸が必要かもしれないと思ったが、エチカの唇がタコのように窄められている。狸寝入りに気づいたユイが岩場を指した。
「あ、ナマコ。気付けに丁度いいかもしれません」
「ナマコはいやあ!」
エチカは飛び起きた。こうして俺たちの洞窟探検は幕を閉じたのだった。




