表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
りゅうおうのおしごと
70/147

ユイの調査(後編)


イリエグチソイフォンは、その名の通り入り江の洞窟に生息している。常に雌雄で行動し、どちらかを引き離すと死んでしまう。そのため砂時計型の容器に同時に捕獲しなければならない。


それを聞いたエチカは俺の腕を引いて、熱っぽいため息を吐いた。


「ロマンチックだね。あたしたちにぴったり」


「そうでしょうか。ひどく脆弱な生物だと思います。人間死ぬ時もどうせ一人ですよ」


研究者の卵であるユイは、リアリストらしい死生観で水を差した。


馬車での道中、エチカとユイは真逆の性格だとわかった。その割、本気でいがみ合うわけではないのが人間の妙か。


舗装されていない道なき道を行くため、予期せぬ振動が突発的に体を襲う。平原に沿う森には、切られて間もない切り株が散見される。田畑では農民が低木から青々とした葉を摘んでいた。


「あれは何をやってるんだ?」


「茶葉の収穫です。茶葉と材木は、リョクメイ国の輸出の要ですから。雨乞いの竜王様様ですね」


ユイは物知りだ。竜王のことを訊こうとしたが、その前に目的地の入り江に到着した。


砦から数キロ離れた場所にある入り江には、アーチ型の断崖がかかり、ぽっかり開いた洞穴は、呼吸するように海水を排出しては吸い込んでいる。穴は陽光すらも飲み込み、深部は見通せない。


ユイはエンジン付きのゴムボートを用意していた。それを膨らませている間、エチカはナマコを見つけて弄んでいた。芋虫めいた黒っぽい背中が蠕動している。


「うえー、気持ちわる」


気味悪がりながらも、エチカは枝でつつくのをやめない。ナマコは身をよじって海中に逃げようとする。ユイが颯爽とやってきて、ナマコを手づかみした。そのまま口に放り込む。 


「ちょ、何してんの……、ユイ、お腹壊すよ」


「こりこりしてて美味しいですよ。お二人もどうです?」


ユイは平然と飲みくだしながら、岩場にいた別のナマコを手に取る。俺たちは海の恵みを尻目に、ボートに向かった。


ボートは三人で乗ると窮屈で、誰か一人が残るべきだと思うのだが、エチカは俺が乗らないと乗らないと言い張るし、さりとてユイを残しては蝶の捕獲はおぼつかない。俺も蝶が見たいから、自分が残るとも言い出せない。


「つめれば乗れます。エチカさん、エンジン頼めますか」


俺とユイが肩寄せ合って乗り込むと、エチカは渋々後ろに乗り込んだ。軽快なエンジン音と共に、ボートは海面を滑るように進んだ。


洞窟の入り口は狭かったが中に入るにつれ、幅が広くなり、通行が楽になった。外からの光が海面に反射し、天井を神秘的な色に染め上げている。


俺が目を奪われていると、ユイが釘を刺すように囁いた。


「蝶は壁に紛れるように留まっていますから、目を離さないように。見つけたら教えて下さいね」


「どうやって捕まえるんだ」


虫取り網は役に立たないとユイに言われたので、アテナの家に置いてきた。


「ジャンプしてキャッチ」


「はは、なんだそれ」


冗談めいた捕獲方法に笑っていると、湾曲した水路の先に洞窟の出口が見えてきた。このままでは蝶を捕まえる前に外に出てしまう。


「エチカさん、エンジン止めて下さい……」


振り返ったユイが絶句する気配がした。俺も首だけで同じ動きをして目を疑った。


エチカの姿が忽然と消えた。海中に落ちたのだろうか。全く気づかなかった。呼びかけてみたが、俺とユイの声が反響するだけだった。


ユイはエンジンを止め、ボートを岩に係留した。それからこの場所が、いわく付きであることを明かした。


「言い忘れたんですけど、この洞窟は海の主の住処だそうです」


「そういうことは早く言え!」


ユイの姦計を疑う時間が惜しい。

俺は躊躇なく海面に飛び込んだ。水が冷たすぎて、意識が飛びそうになる。息を肺一杯に吸い込み、額を光らせて準備万端。潜水を開始した。


水中は暗く、額の光を最大限活用しても、顔の周りを照らすのがせいぜいだ。とはいえあまりボートから離れたくない。海藻のようなものが目に入った。近づいてみると、それが海藻でないことがわかった。イボのようなものに覆われた太い触手が、海底から無数に伸びている。蛸に似ているが、触手の長さから推察するに俺の知るどんな海洋生物より大きい。これが海の主か。


より深く潜るために足を蹴る。息は苦しいが、まだ我慢できる。気味の悪い触手を押し退けても、すぐに弾力で跳ね返ってきて行く手を阻む。


(いた!)


諦めず探したかいがあった。触手に絡め取られたエチカを発見した。腕を伸ばした姿は人形が沈んでいるように見える。エチカの周りの気泡が少ない。意識を失っているのか。


触手はエチカの胴や足をがっちり締め付けており、俺の腕力では外すことができない。


(おい、起きろ、エチカ)


頬に触れてみたが冷たい…、まだだ。俺は諦めない。額の光を触手に集中。この光は海中でも曲がらなかった。通常なら、水中で光は屈折し、進みが遅くなる。それがないということは、ただごとではない。この世界の物理法則が俺たちの世界とは違う可能性はあったが、俺はアテナを信じる。



「……、ぶはっ!」


水面に上がるとすぐ、肺が破けそうになるほど呼吸を繰り返した。目がチカチカするが、何とか無事だ。


俺がボートに戻るとすぐ、ユイが沈痛な面持ちで手を差し出してきた。


「エチカさんは見つからなかったんですか?」


「バカ言うな……」


俺は不可能を可能にする男だ。無論やってのけたさ。俺の肩に寄りかかっていたエチカを、ユイに見えるように海面から出す。


ボートに仰向けに寝かされたエチカは青白い顔で、目を閉じている。水を飲みすぎたのか。人工呼吸が必要かもしれないと思ったが、エチカの唇がタコのように窄められている。狸寝入りに気づいたユイが岩場を指した。


「あ、ナマコ。気付けに丁度いいかもしれません」


「ナマコはいやあ!」


エチカは飛び起きた。こうして俺たちの洞窟探検は幕を閉じたのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ