手札
女王が帰ってから、ショータは日がな一日ベットに横になっていた。窓から伸びる影の形が刻々と変わっても、彼の気持ちは沈み込んだまま動かない。長いトンネルに入ったように時間の進みが遅かった。部屋に誰も入れるなとマルラームに頼んであるので、エチカも入ってこない。
以前にも味わった精神が死んだような浮遊感。やはり自分には一人がお似合いだ。孤独に酔っている場合ではないのに、安全地帯から動く気がしない。誰かに手を取られないと動けない。
何もしないまま夜が更ける。階下の物音もぐっと少なくなった。皆、休んだのだろう。
廊下を歩く足音が一端ショータの部屋の前を通過した。立ち去ったと見せかけて、今度は足音を殺して近づいてくる。野生動物のような動きに心当たりがある。
ショータの部屋の扉が断りもなしに開けられ、暖かい光が差してくる。鍵はかかっていなかったが、歓迎する気もない。
「エチカ? どうしたの」
「うん……、あのね」
エチカはキャミソール姿でトレーのようなものを持って現れた。わずかに開いた扉の前で様子を伺っている。
「今夜は帰ってよ。というかずっと来ないでよ」
率直な言葉をぶつけると、エチカは何か言いたそうに踵を上げ下げしている。
「食べないと、だから」
「何?」
ショータが言葉を聞きとろうと身を起こすと、エチカは食器を鳴らしながら接近してきた。真剣な顔でショータの前に立つ。
「体壊したら、いざという時戦えないっしょ。だからちゃんと、食べるといいよ」
エチカの不器用なやさしさが、傷口に染みるようでショータはシーツを握って涙していた。
「ちょ! 何で泣くし。あたし何かした?」
「いや、いつものに比べたら何でもないよ。エチカはそういう子だよね」
エチカはベッドに腰掛け、ショータの食事する間黙っていた。
ニーベルンデンは肉料理が多い。パクチーに似た野菜が添え物になっているだけで、後は骨付き肉、カルビ、タン、あらゆる肉の部位が食卓に上る。牛が多いようだが、肉は硬く、脂身が多い。量もかなりのものだ。
「今日のショータ、やさしい」
ショータが肉料理を平らげると、エチカが静かに笑った。
「僕がやさしい? 多分、単なる気まぐれだよ。今だけさ」
「えー、じゃあ甘えちゃおうかな」
エチカが肩に寄りかかると、ショータはさりげなく距離を取った。
「……、だよね。そういう感じでもないか。あたしに出来る事あったら話して」
エチカの好意に甘えるのは初めてだ。自分も落ちぶれたと思いながら、友人にメッセージが届かなかったことを話した。
「簡単だよ。忘れればいい。そいつきっと死んでる」
エチカはそっけなく、事実だけを取り上げる。メッセージ先のアドレスが存在しないというのは、相手のFGが存在しない事を意味する。VAFでよく使われる冒険者の死亡確認方法だ。
「大事な人なんだ」
「あたしより?」
エチカは髪をいじりながら、ショータを試す。意に沿わない答えが返ってくると、エチカはベッドの上で大きく跳ねた。
「つまんね。側にいるあたしより気になるなんてどんな女? 冒険者ってことは、乳デカ神官じゃないんでしょ」
「男だよ。君も会ってる」
エチカは男と聞いて安穏とした。
「別に誰でもいいけどー、そんな弱っちい奴早く忘れちゃえば。あ、あたしは、しぶといし、悪運も強いから、ショータを残して死ぬなんてことしないからね」
エチカの遠回しの励ましに、ショータは苦笑する。真偽もわからないのに、エチカに当たるのは筋違いだ。話を変えてエチカの足に目を転じた。
「足の具合、どう?」
エチカの両足の太股には包帯が巻かれている。ショータに気遣われると、エチカは自慢げに足を組んだ。
「傷は残んないって。元の美脚に戻ったら舐めても切り刻んでも好きにしていいよ。戦闘の方はまだ時間要りそう。”柱”を持つのもやっとって、感じ」
足手まといにはならないが、隣で戦うのは不安が残る。
敵はエチカを直接狙ってくる可能性もあるし、ニーベルンデンがグラナダにエチカを引き渡し、早期決着を計る場合もある。
エチカはショータにとっても切り札なのだ。簡単に倒れられては困る。念を押すのも忘れない。
「エチカ、例のデータ持ってるよな。女王に渡したら絶対駄目だぞ」
「あー、あれね……」
エチカの持つデータが欲しいからこそ、今は客人としてもてなしている国も、データが手には入ればエチカを匿う意味はなくなる。
歯切れの悪いエチカを問いただすと、データの所在が明らかになった。
「はあ? ユミルの企業に売り払った?」
ショータは盗聴を気にしていたが、それでも大声を出しそうになった。
「クジンスキーやっぱマジ天才。クッソ高く売れたよ。二人の結婚資金にしようと思って」
ショータは脳天気なエチカの頭をげんこつでこずくと、疲れたように横になった。
「もういいよ……、エチカ。どこかに身を隠してくれ」
「なんでなんで!?」
エチカは理由がわからずショータの頭の上でわめく。
「もうエチカに人質としての価値はないってことさ。そんなこともわからないのか」
感情的な叱責となった。
エチカはショータの腕に顔を埋め、ごめんと、許しをこうた。大局的な視野を持てない自分に嫌気が差している。
「あたし、馬鹿だから、ショータの考えてることわかんない。目先のことばっかりで、嫌になっちゃうな……」
次善の策を考える。エチカに手札として価値はなくなった。ニーベルンデンから脱出させた方がショータとしては動きやすくなる。
エチカを教団に突き出す振りをして奇襲をかける手も考えられた。エチカは失敗を挽回しようとして、死ぬ気で暴れるだろう。裏で手を引くカトーを引っ張り出せるかもしれない。そんな展開を期待して、エチカを亡命させたのではなかったか。
そこまで考えて、後ろめたい感情に襲われる。どの策を選んでも、高い確率でエチカの命は危険に晒される。エチカを取引の材料に使っておいて、さらなるリスクに晒すのはためらわれた。
「あたし、特攻する。それしかできないもん。どうせあっちの言い分はあたしがいないと成立しない。あたしが死ねば……」
ショータはエチカの肩を押して、ベッドに倒した。青ざめた月の光が、エチカの隻眼に当たって光を跳ね返す。
「ショータ……、大胆」
羞恥に顔を背けるエチカの耳に、唇を寄せる。
「盗聴されてるかもしれない。今から言うことをちゃんと聞いて」
ショータはこれからの段取りを手短に伝えた。女王にデータが流出したことを悟らせない、本格的な戦争が始まったらエチカが生き残ることを優先させる。
「ショータ、なんかやさしい」
「それさっきも聞いたよ」
エチカは泣き笑いに近い表情で首を振る。
「そのやさしさがちょっぴり怖いんだ。ショータはあたしにやさしくしないでいい。マゾだから、あたし」
エチカに自分の弱みを指摘されたようで、おもしろくない。わざと露悪的に振る舞ってみる。
「物覚えの悪いエチカにはこのくらいで十分なのさ。わかったらとっとと部屋に戻って寝ろ」
「あんっ……、そういうの、ちゅき♡」
刺激に身もだえしつつも、エチカは大人しく部屋の出口まで下がった。すぐに出ていかずにぐずぐずしている。
「前から聞きたかったんだけど、あたしがこの国に亡命できたのって誰のつて?」
「僕だよ。僕が女王にお願いした。その見返りにこうして抑止力に数えられてるってわけさ」
エチカは円満な回答に納得して、部屋を出た。ショータは嘘をついていないが、真に尽力したのは別の人物だ。エチカがそれを知れば、怒り狂うだろう。つくづく外交カードに神経を使う夜だった。
エチカはカードの一つに過ぎないし、連絡の取れなくなった彼も似たようなものだ。
帯同する仲間は必要ない。そう自分に言い聞かせ、きつく目を瞑った。




