命の水
兵法を用いるのはこちらだけではない。海上の船は陽動だったのだ。この場合、兵は脆道なりといった所か。
「鼠はそっちだろ! 名を名乗れ」
もはやこれまでとばかりに言い返すと、修道服はエレベーターを降りるようにするすると地上に降りてきた。唇にピアスをした青白い顔をした女だ。あと眉がない。
「それもそうですね。私はジゼル。ニーベルンデンに雇われた冒険者です」
奇襲をかけてきた割に、あっさり身元を明かした。だからといって油断はできない。一人で乗り込んできたということは、かなり腕に自信があるのだろう。事実、エチカは謎の技で地に伏している。材木の下敷きになって生死も不明だ。
「リョクメイ国の兵をどこにやった」
女は気だるそうに首を掻いて答えない。屋根につり下げられた糸の塊が風に吹かれて、振り子のように揺れていた。同じような塊は至る所に転がっている。
「まさか……」
「歯応えのない連中でした。貴方は私を楽しませくれるでしょうか!」
ジゼルは、エチカが下敷きになっている丸太を踏み台にし、豹のように飛びかかってきた。
敵は兵を残らず平らげ、エチカをも退けた猛者だ。だが、俺も丸腰で乗り込んだわけではない。この手にはリヒターから貰った太刀がある。
ジゼルをできるだけ引きつけ、鞘から太刀を抜き打ちした。タイミングは完璧だったが、ジゼルは後方に引っ張られるように不可解な動きでかわした。明らかに慣性を無視している。まるで磁石でも体についているようだ。
そして、ジゼルは危うげなく距離を取った。
牽制はひとまず成功したが、やはり付け焼き刃では限界がある。相手の力量は俺をはるかに上回っているだろう。少ない望みではあるが、竜王が戻るまで時間を稼ぐしかない。
「それ、良い刀ですね。もっとよく見せて下さらない?」
不当な要求を呑む理由はなかったが、俺の体は独りでにジゼルの方に引き寄せられていた。伸縮性のある糸が太刀に巻き付いている。少し考えればわかる話だ。相手の自由を奪ったり、驚異的な俊敏性を補佐していたのはこの糸だったのだ。
足を精一杯踏ん張っても、体ごと引きずられる。太刀は渡せない。唯一の反撃手段を失えば、いよいよ命が危うくなる。おかしいな。俺はこんな化け物相手を前にしても、まだ望みを捨てていない。悔しいが、俺はあいつの到来を心から待ちわびていたのだ。
ジゼルの体が突如吹き飛び、砦の壁に叩きつけられた。同時に俺を縛る力が緩んだ。顔を上げると、憎らしいほど燦然と佇む少女がいた。
「こんなところにいたんだ。探したよー」
竜王が、十メートル近くの高さの物見台のてっぺんに立っている。
「おい、竜王! エチカがやられた」
「わかってる。今助け」
竜王の体は、強風に煽られた凧のように滅茶苦茶にぶん回された。ジゼルの糸にからめとられたのだ。竜王ですらこの呪縛からは逃げられないのか。
「きゃははは、何これ何これ」
常人なら首が引っこ抜けそうな無理な動きだが、竜王の笑い声から察するに無事らしい。ひやっとさせられたが、これなら対抗できそうだ。
業を煮やしたジゼルが、竜王を地面に叩きつけた。激突によって生じた土煙が晴れると、無傷の竜王が姿を現した。悠長に埃を払う余裕すら見せつける。
ジゼルは目を細め、地面に降り立った。
「黒髪に櫛の着物……、貴女まさか」
「私のこと知ってるみたいだね。それでもまだ続ける?」
「愚問ですね。これほどの強敵相手に退く理由がありません!」
ジゼルは糸を束ね大鎌を作り出すと、竜王に切りかった。嵐のような斬撃が竜王を襲う。
竜王はよけようとせず、懐から出した櫛の歯を折っていた。
「逆鱗の二、跋難陀」
空はにわかにかき曇り、雨が降り出した。 それと並行して、竜王の足下から杭のようなものがいくつも飛び出してきた。杭に見えたのは、大樹だ。地面に根を張る生命が時間の経過を無視して枝葉を伸ばし、砦に濃い陰を作る。
この樹はどこから来たのだろう。瞬く間に数十メートルの高さに達して、ようやく成長を止めた。
「命の源はみな同じ水」
竜王は一輪の蓮を手に持って、俺の隣に立った。
「私は誰かの命を枯らして別のものに作り替えるんだ。怖いでしょ」
しおらしく微笑む竜王の足下には、水に浸かった蓮が流れてきた。ジゼルは花になってしまったのか。
危機は去ったのに、竜王の表情は晴れない。俺は刀を鞘に収め、座り込んだ。
「きれいに咲いたじゃないか。あれほどの戦いがあったとは思えん。兵どもが夢の跡」
「夢だったらいいなあ」
竜王が自分の力を忌避していたと、その時知った。何も言えなかった。口出したくとも、俺の力は明らかに不足していた。
「敵は逃げたみたい。あのくらいの相手ならこの辺りは森になってたと思うし」
怖くないと言えば嘘になる。その怖れが竜王に伝わらないように祈りながら、俺は温い雨に打たれていた。
雨足が弱まると、複数の足音が近づいて来るのが聞こえた。リョクメイ国の援軍が遅れて到着したのかと思いきや、会いたくもない白ランが、ぞろぞろとやってきた。
「あ……、お花が」
彼らは花など見向きもせず、容赦なく踏みにじる。竜王が悲しそうに瞳を揺らすのを見ていられない。俺は一言言ってやった。
「おい! 花を粗末に」
「踏むな! 全員やるか?」
まなじりをつり上げた竜王が、二言で白ラン達を黙らせた。頼もしい限りだ。俺も少しビビった。
あれだけの罵声を浴びたのに、度胸のある者もいたものだ。白ランの中でも一番年若の男が前に進み出た。よく見ると、桜並木で難癖をつけてきた奴の片割れだ。棘のある口調で竜王に詰め寄る。
「……、貴女がいながらなんですか、これは。説明を求めます」
「船は囮で冒険者が陸から攻めてきた。陸上の警備は君たちの仕事でしょ? 言うことがあるんじゃないの」
「そうだとしたら、確かにこちらの落ち度だ。お手を煩わせて申し訳ない。当然、仕留めたんですよね」
「悪い、逃した。でもあの使い手には、心当たりがある。今から封鎖線を張れば捕まるかも」
「その件に関しては手を打ちますが、敵が船から上陸したという可能性も捨て切れません。こちらはどうしようもなかった」
「あー、うっざ。男のくせに細かいな」
責任のなすりつけあいが始まり、竜王はうんざりしている。以前敵対していると言っていたが、国境警備では協力関係を強いられているようだ。
「やあ」
竜王と話していない方の双子が、俺の所に来た。面識がないわけではないので、緊張が緩む。
「お互い大変だな。いつもこうなのか」
「まあね。しょっちゅうさ。君は八重頭神社の関係者なの?」
ここで神社の名前が出る理由に思い至らない。俺が答えに窮していると、双子の片割れは勝手に話を進めた。
「どっちでもいいけどさ。あんまり深入りしない方がいいと思うな。命が惜しいならさ。それはそれとして」
話の最中、彼は俺の持っていた太刀をいきなり引ったくった。
閑話休題とばかりに油断していた。あまつさえ、他の白ランが俺を背後から取り押さえた。
「なんで千本桜所有の宝刀、童子切り安綱がここにあるのかなあ。君が盗人じゃないなら説明できるよね?」
下から顔をのぞき込まれ、冷や汗が出る。この太刀はリヒターにもらったものだ。だが、本当のことを言って信じてもらえる空気ではなさそうだ。
「ちょっと! その子に手出ししないで。話は私が聞く」
「いや、俺が悪いんだ。分不相応なものを貰ってしまったのでな」
怒れる竜王を宥める。リヒターの正体に思い至らなかった俺のミスだ。
俺は両腕を縄で縛られ、連行された。背後で
竜王が必死に何か叫んでいたが、よく聞き取れなかった。
今後の対策を協議するために、竜王も含めた全員がやがて砦から去ると、入れ違うように別の少女が現れた。
大きなゴーグルを頭につけ、背中にはスコップを背負っている。海岸側の崖を登ってきたため気づく者はいなかった。
少女は口元に笑みを浮かべ、大樹に手を触れる。
「これが竜王の雨乞い。とんでもない力です。この枝の一本でも持ち帰れば、良い手みやげになります」
人目を盗み、よからぬ目的を持ってやってきたらしい。樹上で寝ころんでいたエチカが少女の行動を怪しみ、誰何する。
「あんた誰?」




