縁
「ひとまずここを離れるとしよう。ショータ、歩けるかい」
鬼を倒した男は、親身になって俺を介抱してくれた。肩は痛むが、動かないほどではない。肩以外の所は幸い無傷のようだ。
「大丈夫だ。それよりさっきの話だが」
「そう焦るもんじゃないよ。はい、これ」
男が棒つきの飴を差し出した時は、呆れを通り越して笑えてきた。
「最近は菓子を用意するのが流行なのか?」
「僕個人の趣味さ。貰ってくれないとイタズラしちゃうぞ」
食えない男だ。段々本筋から話を逸らそうとしているように思える。
「あー、それと恩人。なんと呼べばいい」
「おっと、そうだ。ハンス=リヒター。よろしくね」
リヒターは白手袋に包まれた手を差し出した。ほっそりとしていて、刀を振るうには不釣り合いな手だが、鬼を瞬殺した手腕は記憶に新しい。
「リヒター、貴方を見込んで頼みがある。俺の師匠になってくれないだろうか」
俺は地面に座り頭を下げた。会って間もない人間に教えを請うなど正気度を疑われても仕方ない。それでもこの男に不思議と惹かれるものがあった。
「僕にできることはなさそうだけど」
足下を見られたか。こいつも、はっちゃんのような商売人だったら、出会って間もないガキの頼みなど引き受けるはずもない。恐る恐る顔を上げてみると、はにかんだような青い目に引き寄せられた。
「僕は見ての通り立派な人間でもないしなあ。大学生だったんだ。頼りにされるのは嬉しいけど」
「知ったことか! いいから俺を弟子にしろ」
「なんで君の方が偉そうなんだよ。はあ、参ったな」
困らせるつもりはなかったが、押し売りに思えわれても仕方ない。前のめりになりすぎた自分を恥じる。
「ほら、もう遅いしさ。帰らないとお家の人も心配するよ?」
今更、長屋に戻るのは気が引ける。竜王たちと揉めたことを思いだし、俺の高揚していた気分はしぼんだ。あいつの声が耳に残っている。
(最低)
俺の顔色を読んだのか、リヒターが理解を示した。
「弟子はともかく、これも縁だ。一晩だけなら寝床を用意しよう」
二つ返事でついて行ったのは言うまでもない。
リヒターは町外れに俺を誘う。石塀に挟まれた道を通り、たどり着いたのは、
「……、寺?」
木造のかなり大きな寺だ。本堂に至る白い砂の上に石灯籠が浮かび上がる。
境内には、俺がすっぽり隠れられる程大きな鐘がつり下げられていた。
「大所帯だからね。ここを使わせてもらっているよ」
他に仲間がいることを匂わせ、リヒターは寺の敷地に足を踏み入れた。俺も後に続く。
本堂の廊下に明かりがちらついている。目を凝らすと、細面の僧が一人、じっとこちらをにらんでいた。
「やあ、ごんばんは」
リヒターは静寂を破るような大声で、僧に呼びかけた。底抜けに陽気な男なのだ。
「見回りご苦労様です。そちら、新米の隊士ですか」
僧は口だけで労って、蛇のように俺をねめまわす。どうにも歓迎されていないようだ。
「夜分にすまない! 俺は」
「彼は僕の小姓ですよ。可愛いでしょう」
リヒターが妙な説明を被せると、僧は小馬鹿にするように笑った。
「侯爵……、お上の信任が厚いのはわかりますが、趣味もほどほどに。寺の品位を汚すことなきようお願いしますよ」
「いやあ、あはは」
リヒターは遜るように笑い、僧の嫌みをかわしている。場所を借りているから逆らえないのだろうか。
俺は寺の一室に通される。書き物机があるだけのさっぱりした部屋。丸窓から苔むした庭が見える。リヒターは何も言わずに二人分の布団を敷いた。
「ここは僕の部屋なんだよ。手狭で悪いけど」
「侯爵と呼ばれていたな? 偉いのか」
「肩書きというのはいつまでもついて回る。厄介なものさ」
自嘲するように言って、リヒターは寝転がった。
俺も横になったが、眠れない。長屋のものより上等な布団だったが、慣れない場所では眠りも浅くなるのだろうか。
「強くなりたいと言ったね。何のためか聞いてもいいかな」
リヒターの鼻息がこそばゆい。布団から身を乗り出し、顔を近づけているらしい。
「ある女のために俺はここに来た。足手まといになるなら来た甲斐がないと思ってな。帰る方法はないか」
「ないね。というより帰るつもりはないんだろう?」
人の心を読むのが達者なのか。答える手間が省けて助かる。
「じゃあ頑張るしかないね。おやすみ……」
寝るのは構わないが、俺を抱き枕代わりにするのはやめてもらいたい。俺を逃がさないつもりか。とんでもないところに迷いこんでしまったようだ。
暁の光が部屋に差し込む。昨夜はあまり眠れなかった。リヒターがしがみついているせいで、寝返りも打てない。一夜を明かせる場所を提供してもらった手前、文句は言うまい。
これからのこと冷静に考えてみた。やはり俺は竜王の側にいたい。竜王は神官を過度に警戒していた。アテナが接近してきたのは見過ごせない。……、あのアテナに大それたことはできないだろうが、用心せねば。
「行くのかい」
リヒターの長い睫がきらきらと光っている。俺の熱意に当てられて起きてしまったか。
「勝手ばかりで言って済まないが、あいつが心配だ。俺が力になれるかわからんが」
俺の弱気を叱咤するように、リヒターが頭を撫でる。
「その気持ちはきっと伝わるよ。そうだ」
何かを思い出したようにリヒターは起きだし、床の間に飾ってあった太刀を持ってきた。白銀の鞘に納められた一メートル弱の刀だ。
「これを持っていくといい」
「いや、そんなの貰えない」
素人目でも、細工の精巧さから希少なものだとわかる。固辞しようとしたが、リヒターはどうしても譲らない。
「この刀は君に持っておいて欲しいんだ。僕にできるのはこのくらいだから」
気が向いたらまたおいでと、リヒターは快く俺を送り出してくれた。なんて器が大きいのだ。この借りは必ず返すぞ。
逸る気持ちを押さえつつ、刀を持って寺の門をくぐる。
「おや、小姓殿。どこに行くのです」
昨夜出会った僧が、門前を掃いていた。俺の抱える刀をうろんげに見やる。
「帰る。世話になった」
「左様で。こちらは一向に構いませんがね。なにせ」
俺は僧の面前をすり抜け、往来へと飛び出した。話の途中ではあったが、一刻を争うのだ。
「これ以上弔いが増えたら、墓の数がいくつあっても足りません」




