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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
あの桜はまだ燃えているか 承前
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何も変わってないね

 

扉が左右に三つずつ見えた。鍵はかけられていないが、開ける気はしなかった。ドアノブは彼の頭の突端に位置しており、開けるには腕を大きく伸ばさなければならない。


廊下の突き当たりの壁には旗がかけられていた。赤地の真ん中に青い炎のシンボル、その右脇に十二の星がちりばめられたニーベルンデンの国旗である。


「行くぞ……」


自分を鼓舞するようにつぶやいたのは、十代前半のまだあどけない少年である。糊のきいた白いシャツと、ベージュのズボン、襟足の伸びた金髪を後ろでくくっている。やわらかそうな頬はバラ色で、ぱっちりした目を通路に向けている。


手に持っている木の桶とタオルから風呂に向かうと途中だとわかる。


彼の名前はショータ。ニーベルンデンの客人で、最高位のS級称号を持つ冒険者だ。


突き当たりの国旗を右に曲がれば浴室がある。足音を立てないように歩き、時々神経質に振り返る。まるで何かにおびえているかのようだ。


そっとガラス戸を開ける。中は脱衣所になっており、籠が一つと、椅子一つ置いてある。両方とも竹を編んで作られていた。


衣服を脱いで籠に入れる。几帳面な性格なのか服を綺麗に折り畳んだ。左肩の部分には包帯が巻かれていたが、そのまま浴室に向かった。


青いタイル張りの浴場は脱衣所の二倍は広く、アニメモ換算で十人以上はゆうに入れる湯船があった。この館は元々軍の士官候補生の寄宿舎だったものを改装したものだとショータは聞いていた。


熱い湯を体にかけてから、湯船に浸かる。足がつかないので、縁に手をかける。左肩の傷がうずいて、頬が痙攣した。城主につけられた怪我は治りが遅い。ニーベルンデンの薬湯でも効き目は薄いようだ。


湯の熱さで血流が活性化、意識がぼやける。筋肉がほぐれ、感覚も麻痺してくる。


 ぴちゃ!


ふいにショータの髪に液体のようなもの垂れてきた。触れてみると水滴と違って嫌な滑りがある。


驚いて見上げるが、天井には何もない。天井についた湯気が、人間の形のように見えたのは気のせいか。


ショータは水風呂に入った時のような寒気を感じ、肩を抱く。脱衣所で雑然とした物音がした。我慢ならず湯船から腰を上げる。


「今度という今度は……!」


憤懣やるかたない様子で、脱衣所の戸を荒々しく開ける。


脱衣所では老アニメモが椅子に座ってうとうとしていた。白い毛並みが目元までも覆っている。彼女はショータのお世話係の一人だ。


「なんだ、おばあちゃんか」


ショータは拍子抜けした様子で息をつくと、タオルで体を拭き始めた。おばあちゃんは間延びした調子で口を開いた。


「あったまったかい。ザクセン」


「うん。体は大分いいよ」


おばあちゃんは、ショータの事をザクセンと呼んで慈しむ。昔、ニーベルンデンにいた冒険者にショータが似ているらしい。


「お前が出て行ってから色々あった。革命、革命、また革命……、ザクロジュースは高いまま」


「それは何も変わってないね」


ショータは話しながらFGのメッセージを確認する。友人からショータの安否を気にかけるメッセージが何度も届いていた。返信内容を吟味する。おばあちゃんの思い出話は二十七回目なので聞き流して問題ない。下着を取ろうとして手が止まる。さっきまで身につけていた下着が見あたらなかった。


「お前にはすまないことをした。一族の問題に巻きこんでしまったのに恨み言一つ言わず、北の地へと落ち延びた。誇り高き騎士、ザクセン、おお……」


おばあちゃんが嗚咽を漏らすタイミングまで同じなのだ。世話になっているため無碍にするわけにもいかないが、ショータも段々疲れてしまった。


「お前に渡したいものがある」


急におばあちゃんが厳しさを含んだ意志を示したので、ショータは戸惑った。ここからは初めて聞く内容になる。


「この古文書を持って私はお前と逃げるつもりだった。父は断じて許してくれなかったが、あの時の約束を果たさせておくれ」


おばあちゃんの割烹着から取り出されたのは、古びた紙の束だった。赤茶けており、紐で綴じただけの代物だ。


ショータは、ためらいがちに手を伸ばす。


「ありがとう。僕がもらってもいいのかな」


「ああ。お前なら安心だ。絶対に王の手に渡してはならんぞ」


ショータは、おばあちゃんの気持ちを汲んで古文書(?)を受け取った。本当に渡したかった相手はかなり前に政争に巻き込まれてこの国を去ったのだろう。アニメモは長寿のため、相手が生きているかも今ではわからない。


おばあちゃんは元の穏やかな口調に戻って言う。


「ザクセン、お腹空かないかい。朝ご飯にしようか」


「うん、お腹空いた。ザクロジュースが飲みたいよ」


ショータはおばあちゃんの前で良い孫のように振る舞っている。彼の実の祖母はショータが生まれる前に亡くなっているので、接し方もおぼつかない。だが、形から入ったおかげで、このおばあちゃんを肉親のように感じるようになっていた。


「ところでおばあちゃん、僕の下着知らない?」


「おや、入ってなかったかい」


おばあちゃんは異変について何も知らなかった。


ぎこちない笑みを浮かべて、ショータは浴場を出た。おばあちゃんが後からついてくる。


リビングルームには長テーブルと、暖炉、正面には湖畔を映す大窓がある。


そこでは、白い毛並みのアニメモが皿を並べていた。おばあちゃんの実の孫で、マルラームという若い娘だ。エプロンに三角きんを付けている。彼女もおばあちゃんも十二ある名家の血を引いている。


「おばあちゃん、ご迷惑じゃありませんでした?」


声を落としてマルラームが訊ねてきた。おばあちゃんの思い出話に困らされていると思ったのだろう。


「とんでもない。いつも助かってます。マルラームさんも食事の準備ご苦労さまです」


マルラームの尻尾がふさふさと揺れている。性格は明るくて世話好きだが、若い娘特有むらっけもあって時々的を外す事がある。


「まー、良い子ね、ほんと」


ショータの髪をごしごし撫でる。マラームは泣く子も黙るS級冒険者の存在を知らなかった。


アニメモの指は、四足獣のそれとは違い、人間に近い精密な動きが可能だ。そのおかげでショータの髪はぼさぼさになった。


「それより、エチカを見ませんでしたか」


「エチカちゃん? ほらそこに」


マラームの指さす先に少女が座っている。年は十代前半、上下スウエットにスリッパを履いていた。彼女はショータが部屋に入った直後、椅子に座ったのだ。


アッシュブロンドの髪をツインテールにし、右目には紫のクマの絵柄の眼帯、何故か口元が膨らんでいる。


「おい、エチカ。口に何入れてる」


ショータがぞんざいな口調で詰問すると、エチカは目をそらす。不審な動きはショータを誘うかのように行われた。


ショータはエチカの背後に立ち、後頭部を掴んで乱暴に揺さぶった。


「おらっ! 吐け!」


エチカの小さな口から、男物の下着が一式出てきた。涎にまみれたそれらの罪状が、皿の上にぶちまけられた。


上目遣いで、卑屈な笑みを浮かべるエチカ。弁明するのかと思いきや、


「喉につっかえたりしないよ。心配しないで。あたし、ショータの身につけたものなら三秒で消化できるから」


ショータはエチカの顔面を陶製の皿に叩きつけた。皿が細かくなるまで、何度も。


「心配なんかするかよ。この変態!」


ショータは叫んだ。エチカは一つ屋根に下にいることをいいことに、風呂を覗いたり、下着の窃盗を繰り返していた。それだけでなく、夜は寝込みを襲ってくるため、ショータは慢性的な寝不足に陥っている。


「ねえ、エチカ。僕は不殺の誓いを立てているけれど、教団は例外なんだ。君も一応教団の人間なんだし、覚悟はできてるよね?」


冷徹な殺意を向けても、エチカは内股をもじもじさせるばかりで効果がない。むしろ桃色吐息で夢見心地を味わっている。


「はぁ~ん……、いっそ殺して。ショータに殺されるならあたし幸せだよぉ♡♡♡」


エチカがテーブルナイフを握り、自分の喉につきつけようとしたので、取り上げる。本当に血の海にされては堪らない。


「ショータさん、エチカさんの気持ちをちゃんと受け入れてあげて下さい」


マラームが口を挟んできた。ショータは動揺し、素の状態で話してしまう。


「え!? どこに目をつけてるんですか。こいつはどうしようもない変態なんです。死んだくらいじゃ治らない。もうお手上げですよ」


マルラームは引き下がらない。エチカの援護射撃を続ける。


「逃げるんですか! 駆け落ち同然でエチカちゃんを連れ出したんでしょ!? 責任とんなさいよ、男なんだから」


マルラームの大きな手がショータを突き飛ばす。謎の熱血ぶりには理由があった。


エチカはマルラームにデタラメな話を吹き込み、ショータと恋仲であると信じ込ませていた。たとえば、グラナダに囚われていたエチカをショータが連れだし、亡命までしたとか、エチカの目はショータをかばって負った名誉の負傷だとか。多くは事実無根だが、誤解を解消するのも面倒だった。


敵が二人になっては、いかにショータといえども勝ち目はない。


「勝手にしろ……、僕は負けないからな」


理不尽な突き上げにショータは顔を歪める。エチカにはそれが快感であり、生き甲斐だった。


(その強がり……、いつまで持つか見物だね。ショータには、なんとしてもあたしの目玉をくり貫いてもらわなきゃ。そして一生面倒を看てもらう。それが男の責任の取り方ってもんでしょ? あたしは絶対に正しいんだ)


エチカの邪悪な計画は着実に、ショータを蝕んでいく。このままこの地に止め置かれれば正気を失うに違いない。


脱走すべきか本気で悩んでいると、どこからか管弦楽の勇壮なメロディーが聞こえてきた。時を置かずして、女性ソプラノが高々と歌唱を始めた。



『我が祖国の繁栄 ザクロジュースが飲めるのは誰のおかげ?』


作詞作曲 チェスカルーヤ=カンザス 



♪ ざ、ざ、ざ、ザクロが熟れている。女王絶対見逃さない。


収穫だ~(復唱)収穫だ~


女王ザクロをすりつぶす。女王の手のひら真っ赤に染まる~ 


同胞たちよ、悲しむな。ザクロがあるのは誰のおかげ?  




監視社会を暗示する一番。以下、女王の偉業を称える歌詞が九番まで続く。

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