孤高の二人 其の三
それからエチカは四六時中俺につきまとうようになった。俺の野望の邪魔をするわけではないので、放置することにした。どの時間にログインしても俺に帯同していることから、まっとうな社会人ではなさそうだ。
イベント時に手持ちぶさたをしているエチカを見かねて誘ってみたこともある。
「一諸に来るか?」
「……うん!」
レスまで一秒かからなかった。よっぽど寂しがりなのだな。エチカの職業はバーサーカー、いわゆる狂戦士だ。コートの中に紐で吊った斧を隠しているという設定らしい。魔法少女か何かかと思っていた。意外と物騒である。
「まるでラスコリーニコフだな」
「ラスコ? 壁画?」
「いや、罪と罰というロシアの小説の主人公がそういうなりをしていたのだ」
その格好で金貸しの老婆を殺しに行くという粗筋は伏せておく。女子に対する配慮としてはなかなか適切だろう。
次の日、エチカは罪と罰を読破して俺の前でそらんじて見せた。分厚い文庫で三冊もある上、古典に分類される小説だ。一夜で消化できる分量とは思えない。
「あたしソーニャみたいな女になるよ」
「そうか頑張ってな」
ソーニャとは罪と罰において、主人公のメンター的な役割を担う女性だ。
エチカの意図が読めないから生返事をした。俺が必要だったのはエチカの戦力だけだったのだ。俺の下心に気づくことなくエチカはがむしゃらに、自分の身を省みず働いてくれた。そのかいあって初めてランキング千百位台に食い込む。
「やったね!」
「エチカのおかげだ」
「ショータが頑張ったからだよ。昇級まであとちょっと頑張ろう」
気軽にエチカを利用したことに今更罪悪感を覚える。こいつは俺の頼みごとなら二つ返事で聞くとわかったからだ。借りがあると勝手に思いこんでいるのか、やさしくされて舞い上がったのか。なんてちょろい奴。きっと現実でも良いように利用されて馬鹿を見ているんだろうな。
こいつは俺の庇護の下に置くと決めた。他の組織に入れば末端として使いつぶされてしまうことが予想できる。
「あたし学校でいじめられてるんだ。ゲームは好き。結果を出す奴が偉いから。現実じゃそうはいかないもん。ショータは一人で頑張ってる。あたしも頑張る」
エチカがいる限り、俺は組織に入らないと勝手に決めた。せめてゲームの中では夢を見させてやりたいじゃないか。
そんなわけで、俺はギルドに所属せず、愚直にイベントに参加している。
真美と別れた直後のイベントでは、序盤の出遅れが響いた上、クエストの難度に阻まれ結果を出せなかった。最終順位五千位を割ったのはこの時が初めてだ。
洞窟にある財宝を入手するイベントだったが、出現する死霊が強力で、返り討ちに遭うプレイヤーが続出した。
エチカに援軍依頼のメッセージを送ったのだが、期間中返信はなかった。仮にエチカがいても結果は大差なかったと思う。運がなかったいう他ない。
次のイベントまで間が空く。俺がするべきは、モチベーションの維持と次のイベントの準備だ。
答えを知りながらも、携帯の電話帳ばかり眺める日々が続いた。真美に連絡したい衝動を抑える。俺の弱さをさらけだせるのはあいつだけだ。この身をVAFに捧げると決めたというのに自分の軟弱さを笑ってしまう。
毎日ログインの課題はクリアー済みだが、VAFにいないと心身が不安になるほどの中毒になっている。
古代遺跡に足を踏み入れる日もあれば、近未来の超高層ビル群に圧倒される日もある。VAFにいる限り、退屈とは無縁でいられた。その上、まだ見ぬ世界が広がっていると思うと、いてもたってもいられなくなるのだ。
少し遠出する気分になり、エチカと初めて会った原野に再び足を踏み入れる。俺がこの原野を踏破した部分はごくわずかに過ぎない。
未踏の地域にはニーベンルデンという獣人たちの国があるという。薄紫色の花が一面に広がっている。ゲーム内の季節は春のようだった。
「花か……、もう少し歩いてみるか」
またトロールが出たら逃げるまでだ。花香るこの場所では血なまぐさい戦いは似合わないからな。
花弁舞うエフェクトに誘われ、俺は奥地へと進んでいった。道が二股に分かれている。そこには以前なかった立て札が置かれていた。
「おいでませ花の里 リョクメイ国」
と書かれており、右に矢印が振ってある。
「行ってみるか」
好奇心にあらがえない。俺は立て札の指示に従った。道は狭い土手に続いており、左右に小川が流れていた。川面に桜の花が積もっていた。花筏だ。結晶のように凝結している自然の宝石に目を奪われていると、進行方向に何か映った。
「エチカ!」
エチカが悠々と俺から距離を取っていくではないか。アバターは唯一無二のものなので見間違えるはずもない。
俺がメッセージを送ると、エチカは猛然と走り出した。俺も後を追う。何かただごとではないことが起こっているのは確かだ。エチカは俺を避けているのか。理由を問いたださなければ気持ちが収まらない。
急に操作が効かなくなった。川の水面が跳ねており、俺のアバターが浮いている。川に落ちたのか。操作を誤ったのかと疑ったが、土手に別のアバターがいてそいつの仕業だと判明した。
「思い知ったか! これ以上、エチカにつきまとうな」
紫色の大きなカタツムリがものすごい早さで画面を横切っていった。俺はスマホを握ったまま一時間ほど硬直して動けなかった。




