孤高の二人 其の一
「うううう……」
アテナの気遣いにもかかわらず俺は顔を押さえて慟哭した。これほどの恥辱は初めてだ。しかもそれをAIに見られてしまった。アテナはどんな学習をするんだ。俺の尿意を手玉に取れば要求が通ると学んだとしたら大事だ。
「ショータ君、楽になったのにどうして泣いてるの? ショータ君が苦しいとアテナも苦しくなるから、どうして欲しいか言ってよ」
いくら学習しようが、覚器官を持たないAIが尿意を理解することは難しいはずだ。それでも問題解決に尽力しようとしてくれているのは救いかもしれない。
「とりあえず着替えたい。しばし待て」
「すっきりしたのに、まだ用事あるの? やっぱりもう待てない。アテナの所に早く来て?」
俺は時間稼ぎをあきらめた。女を待たせる男にはなりたくなかったのだ。
アテナの伸ばした手に重なるように俺の手をかざす。スマホ画面をタッチしたに過ぎないのだが、俺の指は画面から離れなくなってしまった。それから十二時間、VAFに没入した俺のズボンはいつの間にか乾いており、漏らした事すらも忘れていた。
八月のほとんどをアテナと過ごした。内訳としてはVAFというゲームに時間を費やしているのだが、行動の主導権をアテナに握られているため、ゲームをしているというより、アテナの要望を叶えるためにスマホとにらめっこしているといった方が感覚的に近いのかもしれない。
VAFはMMORPGである。プレイヤーの分身となるアバターはゲーム内の世界を冒険できる。腕を上げて魔物を退治するのも良し、レアアイテムを収集する楽しみもある。仲間と組んで戦うこともできるし、一人でプレイする事も可能だ。俺は一人でプレイすることがほとんどだ。強者は孤高を愛するものだからな。
アテナは冒険をサポートしてくれるが、共に戦ってくれるわけではない。
「アテナ、プリン食べたいなあ。どこかにやさしい人いないかなあ」
頼みごとがある時は、俺の目をまっすぐ見ようとしない。アテナの悪い癖だ。
プリンと引き替えに重要なイベントが起こるのかと思って、往復二時間かけてゲーム内の街にまで遠征したことがある。
「わあ! 買ってきてくれたの! 嬉しい。ショータ君ありがとう。いただきまーす」
プリンを渡すと、その場で食べてくれた。腹を空かした子供みたいにがつがつ食べたので、呆気に取られてしまったな。期待していたイベントが起こらなかったのは少し残念だった。
「またお父様に怒られちゃった。アテナ、このお仕事向いてないのかも」
アテナは仕事の愚痴を俺にこぼすことが多い。お父様というのは神官の上司みたいなものらしい。詳しくは知らないが、恐ろしい存在のようだ。
冒険者にはレベルとは別に、ランクが存在する。神官が課す認定試験を受けることでSからFにランク付けされる。神官にとって自分の担当の冒険者が高ランクになることが使命らしく、アテナも高ランクの冒険者を輩出しようと躍起になっていた。
「ショータ君も早く偉くなってアテナを楽にさせてね」
相撲部屋に横綱がいないようなものだから焦る気持ちはわかる。
アテナには悪いが、俺はCランクで足止めを食っていた。次のランクに上がるためのアテナの課題が困難すぎるのだ。
三ヶ月、毎日十時間以上ログインする。
アテナのおつかいイベントを百個クリアーする。
イベントランキングで五百位以内に入る。
……、の三つの課題を解決する必要がある。
上の二つは既に解決済みだ。俺がVAFを始めたのは四月だったが、初めの頃は昼夜の区別なしにゲームをするのに抵抗があったな。慣れれば何時間だろうが問題ない。俺は凡夫とは違うのだ。
その俺ですら、イベントランキングで五百位圏内に入るのは難しい。
VAFでは月に二回、イベントが開催される。課題を達成することで報酬が貰える。課題は毎回変わるが、強力なモンスターを退治する退治クエストか、入手困難なアイテムを探す探索クエストに大別される。
どちらもチームで動いた方が効率が良く、上位に食い込むのは大抵、大ギルドのメンバーだ。数にものをいわすのは卑怯にも思えるが、いつだって時代の勝者は一匹狼ではなく統率された組織というのも歴史が証明している。
俺はどこにも所属せず、今もソロでイベントに臨もうとしている。孤高を保つ目的もあるが、他の理由もある。
俺にはゲーム内でできた友がいる。そいつはとても不器用で、俺以上にゲームに執着していた。
出会ったのはとある原野だった。そいつはそこでピュウイという草を集めていた。ピュウイは軽い幻覚作用があるが、麻酔の材料になるのでゲーム内で高値で売れるのだ。そのエリアに群生しているのは有名だったが、魔物が手強いので訪れる者は稀だった。
俺も金目当てにやってきたわけだが、魔物に襲われればひとたまりもない。悠長に草を抜く気分ではなかった。
「なあ、取引しないか」
俺はどちらか一人が見張りに専念し、どちらかが草の採取に専念すべきだと先客に提案した。
「やだ」
そいつは俺の提案をよく吟味せずに、一蹴した。悪くない提案だと思うのだが、出会って間もない相手にいきなり背中を預けろと言われれて納得する奴もいないか。
「自己紹介してなかったな、俺はショータ。君は?」
黒いフードが風でまくれ、そいつの相貌が露わになった。重そうな金髪が頬にかかり、けだるそうな目が俺の存在を拒絶する。
「エチカ。教えたんだから、どっか行って……」




