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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
あの桜はまだ燃えているか 承前
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大事なホウレンソウ

 

 部下からの報告は、どれも良いニュースとは言えなかった。


 だが城主を乗せていると見せかけてコンテナは空だろうし、小国のハテナイの軍に冒険者が遅れを取ることもないとわかっている。


  とはいえ、クーデターに繋がりそうな不安要素ではある。


 しかし不安要素は不安要素に過ぎず、具体的な脅威ではない。グラナダには総長のカトーが残っている。たとえ、ハテナイが反教皇派を担いで内乱を画策しても、用意に叩きつぶせるはずだ。念のため報告しようとしたが、睡魔に勝てず総長への連絡を断念した。ホウレンソウは大事だと女王蜂に教わったのに。


 クマ子はそれから三十六時間眠った。


 目を開けると、ちぎれ雲のかかった青空が広がっている。天幕は残らず取り払われ、置き去りにされた食器や武器がそこらに散らばっている。


 眼鏡をかけて時刻を確認すると愕然とした。一日以上眠っていて、その間に大量にメッセージが貯まっていた。気が動転して操作を何度も間違えた。


 送り主のほとんどはカトーだ。しかもどの文面も切羽詰まった勢いを感じさせる。


「大変なことになった! すぐそっちに行く!!!!」


 クマ子は総長の怒濤のメッセージ一つずつ既読にしてから辺りを確認した。異様に静かだ。川を挟んだ町からの喧噪も届かないのはおかしい。


  「焦げ臭い……」


 クマ子は頼りない足取りで臭いの元を辿った。


 街があった場所は焦土と化していた。炭化した建物の残骸から黒い煙が伸びている。


「クソやべえ」


 川にはグラナダ軍とおぼしき兵士の遺体が浮いている。


 メッセージを詳しく辿るまでもなく不測の事態が起きたことが理解できた。


 リヒターはしきりに侵攻を提案していた。総長の許可もアテナの許可もないまま専行した可能性は高い。


 リヒターにメッセージを送ると、


  「今お楽しみ中♪」


  と、すぐに返信が来た。死亡してはいないが、係争中であることは伺えた。


 リヒターが好き勝手しても、総長に叱責されるのは結局クマ子だ。


  リヒターは教団に籍を置くだけではなく、血盟騎士公国ブラッドナイトラウンズというギルドの代表もしている。立場としては、教団の同盟者というのが近い。今回もラウンズからそれなりの人員を割いてもらう代わりに自由にさせよというのが方針として決まっていた。単なる引き抜きのクマ子とは待遇が違って当たり前なのだ。


「ほらね、だから言ったじゃない」


  頭の中に別の声が響く。底意地が悪く、心を抉る。


  「クマ、お前は何も決められない。さっき食べた食事を思い出せないお前は、いつしか食事に対する興味を失った。あたしが何を食べるか決めないときっと餓死する。でもあたしはお前を見捨てない。強いだけが取り柄のお前を一番上手く扱えるのはあたしだけ。これからずっと支配してあげる。結婚相手も、住む家も、植える花の種類も全部あたしが決めてあげる。どうせ結婚したって男にハンドルを渡すだけなんだ。あたしの方が上手くお前を操れる。だからずっと働き蜂でいるんだよ」


 頭を振って迷いを振り切る。もう女王蜂の所には帰りたくない。奴隷として生きるより、自分の意志で生きようと選んだ道だ。


 ところが激務の割に待遇は大して変わらず、むしろひどくなった。睡眠時間もろくにとれない。茨の道だと覚悟していても、自分に限界を感じ始めていた。


  「鬱だ。死のう」


  川に飛び込み、死体に混じって浮いていた。どうせ失敗の責任を取らされて殺される。強いだけのクマ子ではカトーにはかなわない。現実逃避をしていても状況は好転しないが、考える気力も奪われていた。


  大地が揺れる。それに合わせて川の死体も水中に飲み込まれてしまった。


「水浴び? 気持ちよさそう。アテナも混ざっちゃおうかな」


  象の鼻先に乗っていたアテナが、川に飛び込んできた。


「教皇代理、遅いですよ。戦争が……始まってしまいました」


「そうみたいねえ。教団がいくら強くても、世界中を敵に回して勝てるかしら」


  アテナはクマ子と並んで暢気に川に浮かんだ。うっとりするような美しい髪が水面に大きく広がった。


  「貴女は、初めからこうなるのを望んでいたのではないのですか?」


  徒らに行軍を遅らせたせいで、リヒターに独断専行を許すきっかになった。城主を取り逃がしたのも、ハテナイが怪しい動きをしているのも、アテナの計画だとしたら全て説明がつく。クマ子は自分の連絡の不備が事態を引き起こしたと認めたくないのだ。あわよくば責任を押しつけようとしている。


  アテナは薄く目を閉じ、顔だけを水面に出している。穏やかな表情はまるで聖母のようだった。


  「アテナは教皇様に全権を任されてるのよ。それを疎かにするわけないじゃない」


  アテナが事態の元凶かどうかはクマ子にとってはもはやどうでもいいし、起こってしまった事は仕方ないと諦めた。クマ子は次の指示をアテナに仰ぐ。


  「クマ子さんって指示待ち人間なのね」


  ぐさりと突き刺さる言葉だ。過去にも様々な人間に同じ事を言われてきた。マニュアルに沿った行動なら誰にも負けない自信がある。諜報に関するマニュアルも女王蜂に作ってもらったから今があるのだ。


  「でも嫌いじゃない。アテナもそういうところあるから」


  「教皇代理が?」


  我が道を行くタイプに見えるアテナと自分は正反対のタイプだと思っていたクマ子は驚く。


  「アテナも自信がないから理屈に頼るの。筋が通れば一応は安心できるわ」


  クマ子を懐柔しようという意図はあからさまだったが、理解して貰えた気がして、嬉しかった。


  「クマ子さん、アテナと似てる。放っておけないのよね」


  「それは、私に神官の側につけという事ですか?」


  アテナの誘いを受ければ、今よりさらに死地に近づくことになる。クマ子は本能的に言葉を選んで断ろうとした。


  「私は、貴女たちの背後にいるものを知っています。でもあれはもう」


  アテナは現実を突きつけられても頑強に抵抗した。クマ子にはそれがまた理解できなかった。


  「クマ子さんは、カトーが恐いのね。でも恐れる必要はないわ。だって」


  アテナはクマ子の耳に唇を寄せた。赤い舌先が耳の内部に侵入する。まるで心の扉をこじ開けようとするみたいに乱暴に蠢いた。


 拒否感よりも告げられた内容に、衝撃を受ける。魂を吹き込まれたようにクマ子は素早く川を泳ぎきり、ニーベルンデンの首都に向かって駆けた。


 アテナは死体の川の中に留まり続けた。胸に手を合わせ死を悼む文言を唱える。象が、鼻先で作った花輪を川に投げ込んだ。


 

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