老兵と人形遣い 其の一
ニーベルンデンとグラナダの国境を隔てるのは、長さ三十キロにも渡る漆黒の壁である。五百年前の休戦の折りに設置されたものだ。犬猿の仲にもかかわらず、壁の設置費用は両国が折半した。冒険者の異能に強い鉱石で組まれた壁を突破したものは数えるほどしかいない。
壁を越える以外にニーベルンデン領内に侵入するには川にかかる大橋を通るのが唯一の方法だ。橋の中間には要塞のような検問所があり、国境警備隊が昼夜目を光らせている。
過去の戦争において休戦会談が行われたのが、現在検問所として使われているこの建物だと言われている。
花菱烈華は、柘榴が爆ぜたような色の朱の羽織と縞の着物姿で橋に現れた。橋は石で組まれただけの簡素な作りに見えるが、鬼道丸に命じても壊せなかった。橋には神官か、冒険者の加護があると思われる。国の重要な拠点にはそうした仕掛けが付き物なのだ。
「何の用ですかね」
花菱が欄干に寄りかかってキセルをふかしていると、血眼の警備に囲まれた。
鎧で武装し、牙をむき出しにした獣の集団を値踏みし終えると、再び花菱は欄干に目を向ける。
薄黄色の毛並みをした肥満体のアニメモが、腕を組んで花菱の背後に立った。
「姉ちゃん一人か? 一服してえなら余所でやってくれや。ここはお堅い場所だからよ」
へへへと、追従の笑いが漏れる。花菱は上の空で聞いていなかった。
「それとも亡命かな? 亡命はもう間に合ってんだ。お引き取り願おう」
ごろつきのような手つきでアニメモが花菱の体を欄干から引き離そうとする。花菱は一指も触れさせることなく彼らの中央に躍り出た。
「喧嘩」
アニメモたちの尖った耳が一斉にそばだてられる。花菱は挑発するように煙を吐いて続ける。
「だ、か、ら、喧嘩だよ。あたしは馬鹿だからそれしか知らねえ。国境警備でならしてんだ。少しはやれるだろ。遊ぼうぜ」
ほとんどのアニメモたちは花菱の酔狂な発言を本気にしていなかった。丸腰でしかも女一人だ。腕の装置で冒険者であることはわかっていたが、あまりに無謀に思えたのである。
「いるんだよなあ、たまにこういうやつ」
鼻の詰まったような声で肥満体のアニメモがつぶやいた。小さな黄色い目が鈍い光を放っている。
「身の程をわきまえねえ馬鹿は死ぬぜ。まさかとは思うが最近ここいらに陣取ってるナントカ教団の奴らじゃねえだろうな」
「よく知ってるじゃん。のろまそうな図体の癖に」
「体型のことは言うんじゃねえ!」
突き出た腹を叩いて、アニメモは怒鳴る。体型の話は彼にとって地雷だったようだ。
「これは脂肪じゃねえんだ。鎧だ。あらゆる攻撃をはじき返す。試しに殴ってみろ」
自信満々で胸を張るアニメモを前に、花菱は愉快そうに歯を見せる。
「じゃあお言葉に甘えて」
次の瞬間、肥満体のアニメモが仰向けに倒れている。他のアニメモたちは自然と花菱から距離を取った。
花菱の傍には赤い毛髪を垂らした人形兵器、鬼道丸が立ち尽くしていた。亡霊のように一瞬で現れ、肥満アニメモを昏倒させた張本人である。
「確かに殴っていいとは言ったけど……」
肥満アニメモは苦しげに喘ぎながら鬼道丸を指さす。
「他の奴が殴っていいとは言ってないじゃん! 卑怯だろ、常識的に考えて」
「アニメモの常識と冒険者の常識は違うんですー。つうか鬼道丸に殴られてよく生きてんな、おっさん。頑丈なのは認めるよ、うん」
「俺はおっさんじゃねえ……、このクソアマ、ただじゃおかねえ。いてえよ、クソがああ!!! てめえらも見てねえでこいつを取り押さえろ」
残りのアニメモたちが、はじかれたように花菱に飛びかかる。決死の勢いはあったが、鬼道丸に阻まれる。立ち止まった途端に棒のようなもので次々と頭を殴られ、橋の上に倒れた。
鬼道丸は、蠅をたたき落とすように易々とアニメモたちを昏倒させた。
鬼道丸が持っているのは二メートル近い長さの太い金棒だった。アニメモたちは花菱の娘々機構の一端に触れたに過ぎない。花菱は基本的に冒険者以外の命は奪わないと決めている。アニメモたちも気絶しただけで命に別状はなかった。
「ざ、ざ、ザクロが熟れている~♪」
検問所の二階にテラスがあり、そこに白いアニメモが身を乗り出していた。小柄でケムクジャラだ。彼は懸命に声を張り上げ、調子っぱずれの歌を歌っている。
「風呂は覗きに気をつけよ。不審者すぐに通報だ♪」
「誰だ、お前! 何故歌う」
花菱は、橋の上から建物を見上げ怒鳴った。歌がぴたっとやんだ。
「そういう決まりだからだ。お前こそ誰だ」
「あたしは花菱烈華だ。喧嘩しにきた」
「ちょっと待っとれ」
小さいアニメモがテラスから姿を消した。すぐに降りてくるのかと思ったが、なかなか降りてこない。花菱は業を煮やして自分から行こうかと思ったが、約束を破るのが嫌なので我慢した。
五分ほど立ってから、白いアニメモが橋に降りてきた。倒れているアニメモたちに比べて年を経ているのか、歩みが遅い。
「お待た」
アニメモの目にまで白い毛が垂れており、表情は伺えない。毛足が乱れモップのようだった。体つきも小さく中型犬程度の大きさしかない。
「待ったよ。すげー待ったよ。で、誰」
「わし、隊長。いいだろ」
何がいいのか花菱には検討がつかない。地位のこと自慢しているにしても共感は得づらい。
「よかねえだろ。ずっとここにいたら退屈だ」
「確かにやることは少ない。が、国内の危ない動きは避けられる。おかげで長生きできた」
その時点で花菱は老アニメモを臆病者と決めつけ、興味を失う。猛者を求めて一人で検問所に来たことを後悔し始めた。
「なあ、じっちゃん。この国で一番強いの誰?」
「わし」
花菱は茶化されたことで苛立ち、老隊長を冷たくにらんだ。戦場での冗談はとくに神経に触った。
隊長は老体のため、立っているだけで震えが来る。
「う、そ。ディドルート様だろ」
「そいつはどこにいる?」
隊長は震える指先で北の方角を指した。
「女王のお側に」
花菱は一応の収穫に満足し、鬼道丸を引き連れ検問所に向かった。
「ありがとさん。じっちゃんもここから逃げた方がいいぜ。まだまだ長生きしたいだろ?」
花菱が脇を素通りしそうになった時、隊長が鬼道丸に足をかけて転ばせた。重量のある金属が倒れたような音がして、花菱は驚愕した。
「お嬢ちゃん、人形遣いだね?」
鬼道丸が腕でなぎはらおうとした時には、隊長は高く舞い上がり、橋の欄干に片足立ちしていた。
「ここは通さない。たまには仕事せんとチーちゃんに怒られる」
花菱は、認識を改めねばならなかった。隊長は終わった存在ではなく、現役の戦士だったのだ。




