開戦
国境の街、ディゼルパイアの周りに高さ十数メートルの土壁が出現した。黄土色のその壁は、街の周囲を完全に取り囲み、ネズミ一匹逃げる隙間も残されていない。
ディゼルパイアはかつて鉱山の街として栄えていたが、今では良質な鉱石は取れず寂れている。
住民たちは壁の内側で縮こまるようにしていたが、勇ある者は壁を調べ始めた。壁は相当の厚さで、爪も歯も脱出口を開くには至らなかった。
壁に耳を当てると、振動音が近づいては遠ざかる。
鐘楼にいた者は、壁の上を白い服を着た少年たちが走り回っているのを見た。彼らは紙風船を街の側に投げ入れている。緊急事態を知らせる鐘が街全体に響き渡った。
壁際で遊んでいたアニメモの子供は、土が不自然に盛り上がった箇所を見つけて駆け寄った。モグラがいると思ったのである。
地面に穴が開き、中から人間が出てきた。人間は亀の甲羅とスコップを背負い、大きなゴーグルをかけている。
アニメモの子供は人間を見るのが初めてだったので、好奇心を押さえきれずに不用意に近寄ってしまった。
人間は頭についた土を払っていたが、子供に気づくとそちらに目を向けた。
両者無言で見つめあう。子供は四つ足で歩き、しっぽを丸めている。耳をピンと立て、鐘の音に戸惑っているようだった。
人間はアニメモの脇に手を滑り込ませ、地面に叩き伏せた。アニメモは脳震盪を起こして動けない。その間に人間は子供の口を開いて歯を調べていた。
「あ、乳歯見っけ。カワイイ。念のためサンプリングしときますか」
人間は、子供に理解できない言葉をつぶやくと紙風船を握らせた。子供が最期に見た映像は、赤と青と白で色分けされた潰れかけの紙風船だった。人間は注射器を子供の首に刺し、薬を投与した。子供は口を開いたまま意識を失った。
「あとで剥製にしーようっと♪」
子供の体をFGに収納し、ユイは辺りに目を配る。街並みは遠くで見るより、せせこましかった。煉瓦で組まれた家屋は古色蒼然としており、路地には樽が転がっている。獣のうなり声がそこかしこから聞こえた。
青いタイルで組まれた噴水を見つけ、そこで泥を落とす。
「そこを動くな」
筒の長い銃を構えたアニメモが、ユイから五メートル離れた建物の陰にいた。ユイは悠々とフードを被り警告を無視する。
「グラナダの兵か? おい、動くなと言ったろ!」
放たれた銃弾が噴水の一部を破壊した。ユイは卑屈な笑みと共にアニメモに横顔を向ける。
「口を動かさないと喋れません」
「ん……、それもそうだな。そうじゃない。言葉が通じるな? グラナダの兵か? この壁はなんだ答えろ」
「それを知ってどうするんです。何もできずに死ぬだけなのに」
再び引き金が引かれた。銃口はユイの頭部に向いている。銃声が聞こえると同時に、ユイの体は後ろに傾いだ。
「な……!?」
アニメモは銃を構えた姿勢で固まった。
ユイの口元に光るものがあった。銀色の銃弾を唇で挟んで転がしている。それに飽きると奥歯でガリガリとかみ砕いた。
「貴方は標本に向かないし、コレクションにもならなそうだからもういいや。ご苦労様」
ユイはスコップでアニメモだったものをつついた。つついただけで形が崩れ、砂糖のような白い細かな粒へと変貌する。やがて粒は風に乗って見えなくなった。砂に埋もれていたマスケット銃に似たものをしげしげと観察する。
「面白いですね、ゲーテさん」
「何がだ」
背中の亀の甲羅に話しかけると、すぐに返答があった。
「狼がどうして文明を持ち、道具を持つに至ったのか。気になります」
「自衛のためではないか」
「かもしれません。もしかしたら真似をしたかったのかも。私たちの」
「それを言うなら小生も……、議論はこの辺でよさないか。まずは仕事だ」
二人の目の前には垂直に近い壁がある。街を覆っている壁とは別に、街の一部が隆起し、急な坂に変えられていた。平坦な道だったものが坂になったので、アニメモが家からバラバラと落ちてくる。
ゲーテの甲羅に街の地図が浮かび上がっている。立体図となったそれは絶えず律動していた。