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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
あの桜はまだ燃えているか 承前
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狼少年少女

一見した所、子供に怪我はないようだ。騎士は精鋭ぞろいと聞いているから、見かけにだまされるとひどい目に遭う。


それを踏まえ、ユイは顔色一つ変えずに状況の確認を行った。


「また奇襲ですか。こりないですね」


「いいえ。奇襲ではありません」


子供は顔についた血を、服の袖で拭って否定した。


「しかし、狼は来ました。がおー」


子供は目が据わった状態で両手を上げた。狼の真似のようだが迫力は皆無だ。


「はあ……」


ユイは一瞬、子供にからかわれていると錯覚して、鬱憤が溜まる。秘められた意図を先に読み取ったのはゲーテだった。


「ほう、狼少年か」


「はい。閣下の御指示です」


話に置いていかれたユイだが、どちらに説明を求めていいものか迷った。おずおずと助けを請う。


「あのー、察しの悪い私にも何が起きてるか教えてもらえませんか」


「それはだな」


ゲーテが口を開きかけた直後、爆発音が炸裂した。駐屯地内で起こった爆発は大気を震わせ、不吉な残響を人々の脳裏に植え付けた。


「こういうことだ」


ゲーテは無駄な説明が省けて顔を綻ばせた。


「何事ぉ?」


同時刻、アテナの天幕に騎士団の少年少女が現れた。三つ子のような顔だちをした騎士たちに、アテナは爆発の説明を求める。


「狼が来ました。兵を襲いながら火をつけて回っているようです。我が軍の被害は甚大」


「それは大変ね」


鏡台の前で髪を梳く手は止まらない。真偽を禄に確かめずに、アテナは白々しい報告を受け取った。


「つきましては教皇代理には退避していただきます。我々と共に参りましょう」


「わかったわ。荷物をお願いね。壊したら承知しないゾ☆」


焦げ臭い煙が鼻をつく。


アテナは首飾りをかけて立ち上がり、少年たちに荷造りを任せた。開戦の狼煙は、朝食を取る間もない慌ただしい朝から始まった。


 ニ


グラナダ陣営に火の手が上がって間もなく、ニーベルンデン首都、青の宮殿では緊急会議が開かれていた。


通称ドームの間と呼ばれる謁見の間には国政に参与する十二家の首長が集まっていた。それぞれが隆々とした巨体を持ちながらも、一つとして明るい兆しのない苦しい表情の寄せ集めであった。


「面目次第もない」


女王の面前で平伏したのは、昨夜襲撃を行ったガンデラを擁していたアルサーン家の首長、ボルヴァンである。赤い毛並みが頭から背中にかけて伸びているが、顔と腹の部分は白い。年は若く、首長になってまだ間もない。父親は不慮の事故で亡くなった。女王に屈折した感情を抱いておりそれを隠そうともしない。主戦派に属する。


戦で慣らしたものらしく、頭を下げるのも苦渋の気配がつきまとう。尻尾を丸め、膝を曲げた蹲踞のような姿勢で、両の拳を青いタイル床につけている。


揺り椅子にいる女王チェスカは刺繍に夢中なようで、ボルヴァンには目もくれない。


代わって、アナが顎をそらすようにしてボルヴァンを見下ろした。


「面目? 確かにそのようなものは貴方に必要ないでしょう。首長を退くだけでは足りません。領地の減封、おとりつぶしもありうるかと」


「そ、それはあまりに行きすぎた処分では」


慌てて口を挟んだのは、襲撃者の片割れムースエの出身家ギラルクの首長である。グラナダ襲撃の報を知らされたのはつい一時間前のことであり、寝耳に水であった。自身と家にふりかかったこの苦難をどう乗り切るべきか即応できずにいた。


「貴方も他人事ではありませんよ。女王の命に背いた罪は重い。処罰は追って沙汰します。よろしいですね?」


業火に炙られるような屈辱と、部下の反骨心を見抜けなかった後悔とで、二名は歯を食いしばる。


残りの首長は彼らに同情的であった。確かに部下の責任は首長にあるが、女王の弱腰に反発する気持ちは誰しも持っている。義憤に駆られたと肯定的に受けとめこそすれ、恥だと考える者は誰もいない。


「女王は何をお考えなのか」


「もはや猶予はない。防衛力の強化は急務です」


「ガンデラたちの遺体はどうなった。辱められる前に奪還すべきではないか」


「敵はたかだか二千であろう。我らが押しつぶしてくれよう」


「そうだ! 冒険者の手など借りずとも、我らだけで国は守れる。ガンデラたちがそれを証明したではないか」


熱気を帯びる首長を後目に、チェスカはアナに何か囁いた。アナは女王の意を受け、息を大きく吸い込んだ。


「静まれ!」


アナの容赦のない叱責で、決戦の気運は一気に萎む。口にこそ出さないが、国の運営を握っているのはこの女官なのではないかと首長たちは疑っている。そう思わせる程アナの発言には威力があった。


「女王は全ての首長の代表です。それを蔑ろにして貴殿等は何をしておいでなのですか? 遠足の相談ならよそでやってもらいたい」


アナの居丈高な言動はこのところ目に余る。

 

首長たちの間に無言の苛立ちが募っていた。アナは女王の側近として出仕しているが、デルコス家の首長ではない。当然、この場にいる首長より格下だ。本来なら許されない振る舞いである。


身分差があるにもかかわらず、反論しようとする者はいなかった。もしアナが女王にどこそこの首長に謀反の疑いありと吹き込んだら一巻の終わりだ。即位する直前の粛正は反乱を防ぐのに一定の効果を上げている。


ニーベルンデンは血を分けた部族の連合体だが、権力が移り変わる時には必ずといっていいほど粛正の嵐が吹き荒れる。親兄弟を殺した相手を父よ、母よと呼ばなければならない矛盾を常に抱える運命にあった。


王政の不安定さを良しとしない王もかつてはいた。横の繋がりを尊重し、平等を謳ったのである。しかし、その王も他の首長に権力の座から追い落とされた。彼らは権力の固定化を本能で嫌っているのかもしれない。どの家も機会があれば王位への道筋がある。それがニーベルンデンにおける公平な前途であると今の所納得せざるを得ない。


本来なら首長の不満が高まれば、王を廃する動きが出てもおかしくはない。武力によるクーデター以外にも、六名以上の首長の決議があれば、王を解任するリコール権を発動できる。合法的に王政を転覆させられるが、未だかつて行われた例はない。王が情報を察知した段階で報復の危険が避けらなくなるためだ。なおかつ女王蜂の薫陶を受けたチェスカなら早い段階で手を打つだろう。


首長たちは、自分たちの立場と国の命運を秤にかけ、逡巡している。さらにチェスカを弑するためには、兄のディドルートが最大の障害として立ちふさがる。どの首長もディドルートを敵に回すのを恐れて行動に移せずにいた。


今もディドルートは部屋の半分を埋め尽くすほどの巨体を丸めてチェスカの周りを守っている。狼というよりまるで古のおとぎ話に出てくる龍のようだ。アニメモの祖先は龍の血が混じっていたという伝承がある。ディドルートをその伝承になぞらえ神格化し、畏怖する者は後を絶たない。


「ぐうぐう」


ディドルートは有事の際でも深く寝入り、いびきをかいていた。アナも首長達も毒気を抜かれ、激しい口論には発展しなかった。


勅使の派遣と国境警備の強化が決定された他は概ね現状維持を言い渡された。首長たちの不満は晴れないが、外交問題に関して門外漢の彼らには口を挟む余地はなかった。


「陛下、会議が終わりました。休憩にいたしましょう」


意気消沈した首長たちが退出した後、アナは女王にザクロジュースを献上しようとして、異変に気づいた。


チェスカの手にある刺繍の糸は乱れ、無軌道に折れ曲がっている。まるで目をつむって針を通したような仕上がりだ。


それを見たアナは、崩れるように座り込んだ。アナが休憩を申し出たのは、チェスカのためばかりではなかった。彼女の本来の気性は穏やかで、詩を朗読するのが好きな繊細な少女である。首長たちから女王を守る楯としての役割で神経をすり減らしていた。


チェスカもまた女王とは別の顔を持っている。震える指の隙間から針が落ちた。


「これで良かったのか……」


迷いを口にしたチェスカの手を握り、アナは激を飛ばす。


「もちろんです、チー様。貴女は貴女の務めを果たす。私は私の役目を果たす。約束したではないですか」


幼なじみの顔に戻ったアナとの対話に、チェスカの目から大粒の涙がこぼれる。


「できておるか、わらわは。これからも血が流れる」


「歴代の王に比べれば可愛いものです。大事の前の小事。批判は私が引き受けます。チー様はお好きなようになさいませ」


チェスカがアナに支えられなければ政務を行えないという推察は半ば当たっている。チェスカは女王になるにはまだ若く、誰かの助けなしには歴史の重みに潰されてしまうだろう。


アナがチェスカの頭を抱えてを宥めていると、国家安全保障局の職員が飛び込んできた。アナは自然に距離を取る。弱い女王を知られてはまずい。


緊急の報らせは二つ届いていた。一つは、グラナダの駐屯地から火の手が上がったという報らせ。もう一つは国外にいる女王蜂からのものだった。水面下で行われていた工作がようやく実ったと知り、チェスカは立ち上がる。兄の硬い毛に触れた。


「兄上、ようやく王家の力を見せつける時が来たぞ」


物憂そうに手足を伸ばすディドルートは戦の前とは思えないほど落ち着いている。


チェスカもアナも大きな船に乗るような頼もしさを感じていた。 

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