私の公爵さま(後編)
ポワレとリヒターはこの戦線が初対面というわけではない。
ポワレの家は代々、判事を輩出してきた家系だ。ポワレの父とリヒターは法曹関係者のパーティーで知り合った。その後、ポワレの父はリヒターを家に招き、その際にポワレと顔を合わせた。一年以上前である。
父や兄から冒険者の脱税がいかに巧妙に行われるのかという話を繰り返し聞かされていたたため、冒険者全てが暴利を貪る守銭奴だと信じ込んでいたポワレは、当初リヒターに良い印象を持たなかった。精々、生きた教材として観察してやろうというような下世話な好奇心を芽吹かせ初対面を終えた。
それから何度かリヒターはポワレの家に足を運び、冒険者がいかにこの世界に益するべきかを常々考えていると述べた。弁舌滑らかに公共投資の重要性を説き、ポワレの父親はリヒターの鉄道会社に喜んで出資をした。
リヒターのパトロン作りの上手さは有名で、それを見込んでカトーが教団に迎え入れた程だった。無論、ポワレはそのような下心を見抜けるはずもなく、感心するばかりであった。
(この人は大人だ。社会に貢献しようとしている)
ポワレの世界はそれまで家と女子校の往復に限られていた。クロヴィス聖教会に所属していたが、教皇の奇跡は全く信じていなかった。信仰は義務と強制からは生まれない。姿を見たことのない教皇より、具体性を伴った実務派に目移りするのも無理はなかった。
ところが、リヒターに対する尊敬はすぐにうっとおしさに変わった。リヒターはポワレを子供扱いしてはばからない。お菓子を与え、膝の上に座らせ、生活態度にまで口を出す。口うるさい兄が一人増えたようなものだ。そのうちポワレもそのような待遇を受け入れざるを得なくなった。どんなに背伸びをしても、対等には扱ってもらえないという悔しさから、リヒターが冒険者であることの弱みにつけこもうとするようになってしまった。
「リヒターはどこで法律の知識と実務を覚えたの?」
「法学部の学生だったんだ。実務はこっちに来てから覚えた。なんとかなるものだね」
あちらの世界の学生という意味だ。ポワレはそれを聞いて色めきだった。
「じゃあほとんど素人同然じゃない。そんな人が法廷に立っていいわけないわ。ねえどうなの」
「ポワレ、しゃべり通しで疲れたろう。お菓子でもどう?」
「話をそらしてはダメよ。ろくに経験のない人が人を裁くなんて、恐ろしい世の中だこと」
リヒターの牙城の一角を崩せてポワレは満足した。これだけで遠出をした甲斐があったというものだ。
「確かに恐ろしい世の中になったよね。令嬢が興味本位で戦場に顔を出す。狼に食べられてしまっても不思議じゃない」
リヒターも負けじとポワレの弱点をつく。狼という言葉を聞いただけで、寒気が走った。
「貴方はいつも好奇心を持てとおっしゃってたじゃない。私の行動は貴方の浅学の結果だわ」
ポワレの応酬にリヒターはその通りだと言って楽しげに笑った。
「それもそうか。浅学もたまには役に立つ。グラナダにいたら今頃大変なことになっていた」
「え?」
リヒターが放った不穏な発言に、ポワレの顔色が変わった。
「ねえ? グラナダは負けないわよね。教団は強いんでしょ?」
リヒターはポワレの頭を撫でたり、さっき騎士団が歌っていた歌を口ずさんだ。ポワレはその手を払いのけもう一度強い口調で問いただす。
「貴方、とても強い冒険者なんですってね。負けたら承知しないから。どうなのよ」
リヒターは鉄血公爵と呼ばれる凄腕冒険者だと聞かされているポワレは、ちょっとした仄めかしにも敏感になっていた。
リヒターはポワレを落ち着かせようとしたが、彼女の震えは収まらない。悪ふざけが過ぎたと思い、魔法をかける。
「大丈夫、僕は負けない」
自信に満ちた声を聞き、ポワレは本当に? と何度も確認する。リヒターはそのたびに辛抱強く答える。段々、根拠もないのにリヒターなら大丈夫という気がしてくる。
「心臓に悪いからそういう冗談は金輪際やめること。でないとパパから教皇様に言ってリヒターを遠くにやっちゃうから」
リヒターが負けないという事実と、グラナダの国家存亡は無関係だが、ポワレは一緒くたにして精神を支えようとしていたのだった。
「ほんとに戦争するんだ」
「怖いですか」
ポワレはためらいがちに頷く。
「怖いっていうか、何で? って感じ。リヒターの仲間を助けるために国家を挙げて戦争をするなんて。ニーベルンデンが先に手を出したのは悪いけれど、あんな目と鼻の先で挑発されたら誰だって怒るわよ」
ポワレは自分の発言がリヒターの方針に逆らっていると思われるのを恐れ、釈明した。
「……、別にリヒターが悪いって言ってるわけじゃないから」
「いいんだ。その通りだから。僕も疑問を感じている」
リヒターの上には総長がいて、彼はその指示に従っている。リヒターは組織のしがらみから逃れられないと言っていたのに、自分は浅はかだったとポワレは反省した。
「リヒターは何のために戦うの? 仲間を助けたいから? それとも総長が怖いから?」
ポワレには、そのどちらでもない気がした。果たして予感は的中した。
「会いたい人がいる。そのためならどんな犠牲も厭わない」
(やっぱりそうか)
ポワレは胸に針で刺すような痛みを感じた。生きるために偽りの弁護をしたことは許せても、戦う理由は許せなかった。余人が立ち入れない連帯を感じさせ、リヒターを一層遠いものにした。偶像であれ、口うるさい兄であれ、リヒターの存在を受け入れていればこんなことにはならなかった。ポワレはそれができなかったからここにいる。だが、ようやく吹っ切れた。
「会えるといいね。祈っててあげる」
上品な笑いを心がけたが、目から一筋の涙が伝った。リヒターはそれに気づかなかったように、淡々と手を差し出した。
「行こうか。途中まで送るよ」
言われるがまま馬のいる場所まで引き返すと、リヒターはそこで別れを切り出した。
「ポワレ、ここでお別れだ。駐屯地に戻ってはいけないよ」
「はい?」
馬の鐙に足をかけていたポワレは、怪訝そうに聞き返した。
「冗談でしょ。戻ってはいけないって、どこに行けばいいの? グラナダ? 遠すぎる」
グラナダからこの国境付近にたどり着くまで十日を要した。それも一人ではなく、二百人規模の部隊と一緒だったのだ。何の用意もなく放り出されては気が気でない。
「グラナダもやめた方がいい。そうだな、ハテナイなら安全だろう」
ハテナイはグラナダからさらに南にある国だが、馬を飛ばしても一ヶ月以上はかかる。
リヒターたちが、ニーベルンデンに報復するためにポワレを逃がすならわかる。だがグラナダも安全ではないというのはどういうことだろう。ポワレにはいくら考えても答えが出せなかった。
「私に死ねとおっしゃる」
「そんなつもりはない。君なら生き残る。大丈夫」
リヒターに太鼓判を押されると、羽が生えたように動きが軽くなる。ポワレは馬の手綱を握った。
「私、もうすぐ結婚する予定だったの」
「おめでとう。相手はどんな人?」
リヒターは心動かされることなく祝辞を述べる。それでもポワレは冷静な仮面を被ったままだ。
「親が決めた相手。豚みたいな人。でも私は馬の方が好きだから、この子と運命を共にするのも悪くない」
ポワレは馬の首筋に鼻をつけ、リヒターを見下ろした。
「また会えるって約束して下さる? 公爵さま」
「確約はできないな。ポワレ、お菓子を持っていくといい。道中少しずつ食べるんだよ」
リヒターはずっしりとした白い袋をポワレに持たせて送り出す。
地図も持たずに、ポワレは軽快に馬を走らせる。堂々たる騎乗。貴族の娘であると示すかのように風を切っていた。
「馬鹿な娘だ」
遠ざかる馬の尻を見送ってから、リヒターは駐屯地の方角に歩きだした。近くの町まで、馬が持つかどうか。道中、魔物に襲われる危険もある。
ポワレもその無謀が薄々わかっていたが、リヒターを責めなかった。リヒターにはそれが物足りない。釣り合わない感情のやり場に困ってしまう。
駐屯地から黒々とした煙が伸びている。いよいよリヒターの企図した戦端が開かれようとしていた。




