私の公爵さま(前編)
「大の大人が馬鹿みたい。狼が入り込んだくらいで大騒ぎするなんて」
白いローブのフードを力強く脱ぎ捨て、少女は憤懣を口にした。年は十代前半、赤毛を三つ編みにし、つり上げた目はふがいない兵に対する怒りに燃えている。
駐屯地から馬を十分ほど走らせた場所にある森につれてきてもらった。太い幹を下ろす木々はグラナダにあるものと似ているが、発する気配は違うように思える。国境が近いため、余計にそう感じるのかもしれない。冷静になると少女は少し心細くなった。
「アニメモは単なる狼とは違います。言葉も話すし、文化もちゃんとあるんですよ」
白馬を木に繋ぎながら、リヒターは兄のようにやさしく少女を諭す。彼は長身の優男だが、兵と違って昨夜の騒動に全く動じていなかった。
「なおさら許せないじゃない。言葉があるならきちんと対話するべきだわ」
鼻息荒くニーベルンデンの野蛮さを批判する少女を、リヒターは冷めた目で眺めた。少女の名はポワレという。グラナダのさる名家のご令嬢だ。何故令嬢が前線にいるのかというと、修道士の友達に替え玉を頼んで潜り込んだのだった。並外れた度胸と向こう見ずな性格は貴族らしいといえばらしいが、両親は気をもんでいるに違いない。
「ごめんなさい」
威勢のよかったポワレが急にうなだれた。リヒターは隣に立ち、寄り添った。
「女が生意気言ってと思ってるんでしょう」
グラナダでは男尊女卑の傾向が未だに根強い。女性が就けない職業もあるくらいだ。ポワレも抑圧された生活を送っていた。
「僕は君の先生ではありませんからね。気にすることはないよ」
無関心さから来る上辺のやさしさが、多感な少女の反感を買う。それでもいじらしいプライドが感情の暴発を防いだ。気軽な口調を装って反撃する。
「冒険者はいいわよね。自由なんだから」
「どうかなあ。組織のしがらみからは逃れられませんよ。好きでやってることだけどね」
二人は並んで森を逍遙した。狼はおろか生物の影すら見えない。ポワレは段々退屈してきた。
倒木の側を通りかかった時、リヒターがポワレに止まるように指示した。
「え……? 狼?」
気が動転したポワレはリヒターにぴたりと身を寄せた。リヒターの白手袋に包まれた指先は、木の上部に穿たれた小さな穴を指している。穴から焦げ茶色の尻尾が垂れていると思ったら、リスが素早く飛び出し木の枝を伝って消えた。
ポワレは正体を知って胸をなで下ろした。
「なんだあ、リスか。びっくりさせないでよ」
「リス、見たことがあるんですか」
リヒターが意外そうに目を丸くした。
ポワレは恐怖が去って逆上し、リヒターの腕を打った。この時ばかりは自制がきかなかった。
「馬鹿にしないで。冒険者風情が」
「珍しいから教えて差し上げようとしたのです。グラナダにもリスはいるんですね」
ポワレを侮辱する意図はなかったと詫びた。些細なことに感情を動かす自分が恥ずかしくなり、ポワレは顔を赤くしてうつむいた。これでは狼を恐れる兵士と大差ない。
人の手の入っていないこぼこした道を無理して歩いたせいで、足が痛んだ。だが悪いことばかりではない。白い小さな花の咲き誇る窪地を見つけた。そこにある岩に座って休むことにした。
「ねえ、リヒター。貴方、冒険者のくせに侯爵と呼ばれてるらしいけど、どうして?」
主に話を振るのはいつもポワレからで、リヒターはそれに答えるだけである。リヒターが戦争の準備に忙しいのは理解しているが、邪険にもされないのでポワレの質問責めはなかなか終わらない。
「よく知ってるなあ。とある国で王族の弁護を引き受けたんですよ。被告人となった王子は殺人の嫌疑をかけられていました」
「どうなったの?」
ポワレは興味を押さえきれずに身を乗り出した。
「無罪になりましたよ。その功績が認められて僕に爵位が与えられたというわけです」
余所ものである冒険者に貴族の爵位が与えられるのは極めて希だ。多くの貴族は血統を重視する。大金を積めば手に入る代物ではない。
ポワレは当然彼が誇らしい表情をしていると思ったが、ずっと不本意な顔をしていたのが気になった。
「その人、本当に無罪だったの?」
「いいえ。彼は金を借りていた友人を手に掛け、その妻も殺害しました。証拠もあります」
闇に葬られた真実を聞いても、恐怖よりも怒りが先だった。不義を非難するのは当然のこととばかりに食い下がる。
「どうして、そんな人の弁護を引き受けたのよ」
「お金が必要だったから。利害の一致さ。釣り合いはとれている」
ポワレは、貴族よりも貴族然と振る舞っていた男の俗な面を見た。侮蔑の色を隠そうとせず、言葉をぶつける。
「なんて浅ましい……! そんな人とは思わなかった」
「当時はその日暮らしがやっとでね。君には想像しづらいかもしれないけど」
リヒターは帽子を深く被り直した。まるでポワレに直視されたくないように見えた。
冒険者は神官によって異世界から呼び出されると、ポワレは聞いている。全く未知の環境に順応できずに、反社会的な行動を取る者も少なくない。それに比べれば、リヒターの行動はまだ情状酌量の余地があるのかもしれない。
(この人後悔してるじゃない。貴族であることを自慢しようとしないもの)
ポワレは勝手に彼を許したが、別の点で腹立たしい気持ちは収まらない。
「あーもうっ! 何でそんな話したのよ。私みたいな世間知らずの小娘、適当に丸め込んじゃえば良かったでしょ。法廷の美談を語るとか。私もそういうの期待してたのに」
リヒターはうっかりした様子で目を上げた。
「ポワレ、君は本当に聡明だな。かなわないよ」




