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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
あの桜はまだ燃えているか 承前
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教団


グラナダ軍は、ニーベルンデン国境から南に数キロの地点に駐屯している。


国境にもっとも近い村では、軍事演習の砲声が昼夜問わず鳴り響き生活を脅かした。


名目上は単なる軍事演習だが、通告もなしに軍隊を派兵するのは挑発行為と受け取られても仕方ない。


ニーベルンデンは即刻使者を派遣し抗議したが、グラナダが兵を撤退させる事はなかった。


グラナダは、ニーベルンデンに亡命したエチカという少女を引き渡せと要求している。亡命は虚偽であり、グラナダの国民を無理矢理連れ去ったと主張しているのだ。


要求が通らなければ矛を交えるのも厭わないと、グラナダはあくまで強気だ。


大陸の北に位置するニーベルンデンは急峻な山に囲まれ、厳しい自然を相手に戦ってきた国家。グラナダ南部にある、温暖な気候と肥沃な大地を持つ宗教国家だ。


両国の対立の歴史は古く、五百年前の交戦の記録が残っている。粗暴で征服欲の強いニーベルンデンの部族が、グラナダの国境をたびたび侵犯し、それを追い返したとある。


グラナダの国定教科書には、教皇が光を放ち(奇跡のみわざ!)狼を改心させる絵が載っているほどだ。


人食の習慣があったニーベルンデンへの嫌悪感は、グラナダ国民の間で未だに根強い。


国交が断絶しているため、お互い国の情報は全く入らないのだ。グラナダ国民の間では、ニーベルンデンは未だに未開の野生が広がっていると信じられていた。


「いい眺めだ」


鉄血公爵こと、リヒターは高台から対岸の風景を見下ろした。初夏のさわやかな風が乾いた大地を吹き抜ける。


道路が整備され、赤い屋根の家が数千戸ある。村というより町の規模である。グラナダの地図が古く、既に町と呼称を改めていると、クマ子から聞いた。


「動物さんのおうち、うふふ……」


侮蔑するように笑うクマ子の目が血走っている。リヒターは同情からクマ子の肩を抱き、陣地への道を急いだ。懇ろに言葉をかける。


「くれぐれも一人で無理はしないで。僕にできる事があるなら言って欲しい」


「早く寝たい」


クマ子の目の下には青い隈がある。彼女の願いは切実だった。自分でも前にいつ眠ったか覚えていない。明らかな過労である。クマ子にはグラナダにいる総長との連絡係や、ハテナイから輸送物の行方の捜索、ニーベルンデンの諜報など仕事が山積しているのだ。


「僕が見守っていてあげるよ。ゆっくり休むといい」


「それはいいから仕事手伝って」


リヒターは目をそらし、頑なにクマ子を見ようとしない。急によそよしい態度に変わった。


「僕の専門は法律だ。クマ子さんみたいな諜報活動はできない。それにギルド掛け持ちしてるしね」


「それなら人を増やして! このままじゃ仕事に殺される!」


必死に嘆願するクマ子を前に、リヒターは目頭を押さえる。その実、涙は流れない。


「総長に伝えるよ。僕は副総長だからね。君のような貴重な人材を潰すわけにはいかない。安心してお休み」


クマ子はほっとしたように肩をなで下ろした。責任に押しつぶされそうなその姿をリヒターは愛おしく思う。彼は生きとし生けるもの全てを公平に愛しているのだ。


グラナダ陣営には約三千の兵がいる。真っ昼間から天幕の中で酒盛りしたり、カード遊びに興じている兵も多く、士気は低い。彼らは戦争をしにきたという認識はなく緊張感がないのも致し仕方ない。


白い天幕の一つにリヒター達は入った。


天幕の中には大きめのテーブルが一つだけ置いてある。人はいない。テーブルの上に地図と大きな亀が載っていた。亀の甲羅は鼈甲色で年季の入った光彩をまとっている。


「収穫はいかに?」


リクガメが滑らかな人語を口にした。厳格な男性の声だった。


「探りを入れて来たけど、城主は来ないかもしれない。故意か不注意かはわからないけど、あの神官がドジっ子って柄でもなさそうだし、何か狙いがあるのかも」


リヒターは不首尾を詫びるように亀の背中を撫でる。甲良は一見でこぼこだが、表面は意外と滑らかだ。


「さっき、メールが来た」


寝袋を広げながら、クマ子が言った。


「城主は、ユミル方面に移動中。蜂のセキュリティーが全力で守ってるから、手が出せない。私が行けば別だけど、眠いから無理」


「そういえば、イスカの蜂って、クマ子さんの古巣だよね。どう? 裏切った感想は」


「別に。貴方も似たようなものだからわかるでしょ」


突き放すような態度に、リヒターは肩をすくめる。クマ子は手際よく寝袋に入り横になった。もう話しかけるなという意思表示だ。 


亀がリヒターに情報をせがむ。


「城主は熊蜂殿にお任せするにしても、教皇代理はいつ到着するのだ?」


「それなんだけどね」


グラナダ軍が駐屯してから二週間が経過している。指揮権を持つアテナが到着するまでは野営訓練を続けろとのお達しだ。


アテナは象の歩みが遅いだの、兵站線が不安だのと駄々をこねてなかなか進もうとしない。リヒター達も再三ごきげん伺いをしているが、のらりくらりとかわされ続けている。


「まあ、あの総長ですら扱いかねているのだから今更という感じだが、貴殿等でも無駄足だったか」


亀は、寛容な態度でため息をつくと地図を眺め始めた。周囲の地形図だ。リヒターも亀の後ろから地図に目を凝らす。


「攻略は難しそう?」


「我々だけなら行けないこともないだろう。しかし、軍を連れての行軍はお勧めしない」


国境沿いに流れの速い川があり、関所を兼ねた橋を渡る必要がある。迂回して山を登るにしても登山ルートもない危険な行軍となる。ガイドもいないため、斥候の情報を元に安全なルートを探している。交渉が決裂した場合、いつでも急襲する余地を残すためだ。


「僕らだけでエチカちゃんに挨拶に行っちゃおうか」


リヒターの気楽な態度を亀は理解しかねる。


「それは許されんだろう。総長の目的は超転移した城主の実戦投入。あくまでも小娘の救出は建前だ。お忘れなきよう」


釘を刺されなくても理解はしている。ニーベルンデンに亡命したエチカは教団のメンバーで、惚れた男に目玉をくり抜かれて喜んでいる変態少女だ。リヒターはあまり交流がないが、大人しそうな子だったと記憶している。


彼女は、男にそそのかされ新型機雷の設計図を持って逃亡した。そのデータの回収も任務に含まれているが優先度は低い。


城主とは魔物の上位種で、高い知能と殺戮能力を有している。その正体は魔物ではなく、リヒター達のような冒険者を改造して作るまがい物の創造物だ。


冒険者から城主を創ることはできても、逆に城主から冒険者を創ることはできないとされていた。


その不可逆構造が一ヶ月程前にひっくり返った。城主から冒険者に超転移した非常に貴重なサンプル、箱船の神子が誕生したのだ。


リヒターたちはその神子を待っているが、クマ子によると別組織にかすめ取られたようだ。神子はグラナダの同盟国が保護していたが、何らかの事情から逃亡を許したらしい。


「無理に行くというなら小生は止めんが。そんなに小娘が気になるのか? 心やさしい副総長殿」


リヒターの浮き足だった空気が伝わったらしく、亀は皮肉混じりに真意を訊ねた。


「エチカちゃんは大事な仲間だし、助けたいとは思うんだ。でも僕には他に目的がある。会いたい人がいるんだよね」


リヒターが鼻をかき、照れたように笑った。裏表のない清らかな人物のように見える。


普段、誰にでもわけへだてなく接するリヒターが執着する様を、亀は初めて目撃した。呆気に取られていると、天幕の一部がめくれ上がり光が差し込む。


荷物で膨れたリュックを背負った少女が入ってきた。顔は土ほこりにまみれているが、快活な表情が見て取れた。


「ああ、おかえり、ユイ」


亀が斥候の労を労うと、ユイは手に何かを捧げ持ち騒いでいる。


「見てください! このイモリ」


ユイの手に乾いたイモリの死骸が握られていた。リヒターも亀もその意味を計りかねている。


「チュウグウイモリっていって、マニアすいぜんの」


そこまで言った所でユイはつまずいた。地面に寝ていたクマ子に足を取られたのだ。


転ぶようなヘマはしなかったが、ユイは自分の手元がおろそかになっていることに気づいた。


「あ、あれ……イモリがない!」


ユイの泣きそうな声がイモリの希少度を表している。


躓いた拍子に落としたのだろう。地面を這い蹲って探すが見つからない。リヒターも手を貸すが、薄暗く見つけるのは至難の業だ。


「あれ一匹で十万フラーですよ。値段より学術的な価値の方が勝るんですけどね。この地方に関する論文は少ないので、なくすわけにはいかないのです」


ユイの研究者としての真摯さに打たれて、リヒターにも熱が入る。


クマ子が寝返りを打ちそうになり、慌てて二人で取り押さえた。


「副総長! 私が押さえてますからクマ子さんの周囲を探って下さい」


「了解だ!」


クマ子の体の下に手を入れまさぐってみると、土にまみれたイモリのミイラを見つけた。壊さないようにそっと手袋で包む。


「あったよ」


「わあ! よかったぁ。ありがとうございます。お騒がせしました」


ユイは、ぺこりと頭を下げた。器量は悪くないが、鼻の頭に泥をつけており、あか抜けない少女だ。


「気持ちはわかるがフィールドワークもほどほどにな、ユイ」


「はい、すみません、ゲーテさん」


ユイは亀のゲーテに頭が上がらない。師匠と弟子のように見えることもある。ゲーテは好奇心に任せて突っ走るユイを止める良いストッパーなのだ。


本来、副総長のリヒターが注意するのが筋だが、ゲーテの説教の方が効果があるようで、ユイは素直に耳を傾けていた。


「山の方はどうだった?」


リヒターがユイに花を持たせようと水を向けると、待ってましたとばかりに自信たっぷりに答えた。


「ルート確立できました。資材が届けばいつでも作戦決行可能です」


ユイが斥候の任務を立派に果たしたので、リヒターは袖からお菓子を出した。


「働きものの良い子だ。マカロンをあげよう」


「わー、すごい。副総長はいつもお菓子持ってて良い匂いがするから好きです」


「前から疑問なのだが、貴殿はどこからお菓子を出しているのだ?」


ゲーテに訊ねられてもウインクして取り合わない。


「内緒。もっと仲良くなったら教えてあげるよ」


ユイが手を洗いに出ていくと、クマ子の腕時計型タブレット、FG(Fronteir Geirの略。冒険者は強制的に付けられる)が振動した。眠りを妨げられたが、メッセージを無視するわけにはいかない。



ミョコン港に停泊中のユミル船籍の貨物船に偽装の疑いがあり。グラナダ国内に武器と思しきものを運び込んでいる。


教皇の親族の一部に怪しい動きあり。


ハテナイ陸軍、グラナダ首都に向けて出発。同時刻、魔導研究所からトレーラーが発車。コンテナの中身は不明。

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