ムースエとガンデラ 其の三
「ムースエ……!?」
ぐらぐらと不安定に揺れるムースエの体は、支える膝の力を失って今にも崩れようとしていた。
ガンデラは後ろから抱きとめたが、既にムースエは自分で立つことはおろか、意識を保つことすら困難な状態にあった。
ムースエの右肩から、首にかけて点在する拳大の丸い傷口から、血が滝のように溢れ出てくる。ガンデラは手でそれを押さえようとするが、手遅れだった。ムースエの体を静かに横たえる。目は見開かれ、舌を出したまま固まっていた。既に事切れていたのだ。
「いま、何時?」
女がベッドに腰掛けて靴を履きながら、眠たそうな声を出した。
ガンデラは女には目をくれずにムースエの死因を特定しようと躍起になっていた。傷口は三カ所。いずれも体を貫通し、骨までも砕いている。絶命するまで何らの兆候も察知できなかった。冒険者が怪しい技を使うのは知っていたが、天幕のどこかに潜んでいたのだろうか。鼻と耳を駆使しても襲撃者の気配は辿れなかった。
「せっかく来て貰ったのにごめんなさいね。お酒を呑みすぎて少し休んでたの。お酒弱いの忘れてたー、あはは」
水差しの水をコップに注ぎながら、女は軽薄そうに喋る。
この女が、やったのだ。
ガンデラは立ち上がる。足が震えていた。ようやくムースエを殺された怒りの感情が彼の神経に浸潤してくる。さもなければ、尻尾を巻いて逃げ出していただろう。
「何をした……!」
女が不思議そうな顔を横に傾ける。光の加減で、髪が目もくらむような輝きを帯びていた。
「貴方、ニーベルンデンの人よね? 女王の親書を持ってきてくれたんじゃないの?」
ガンデラが黙っていると、女はあからさまに失望したように肩を落とした。
「なーんだ、使者じゃないの。なら、用はないわ。もう帰って」
教皇代理は、ムースエの遺体を一瞥することすらせずに言い放った。あまつさえガンデラに背中を向ける。
親しげな態度から一変、死者に鞭打つような冷淡な態度を取られたガンデラは命拾いする最後の機会を自分で捨てた。どのみち無事に帰るつもりはなかったのだ。せめて一矢報いるべきと、体が勝手に動いた。
腕を振りあげ、足を踏み出した途端、ガンデラの体にも異変が起こった。腹と左腕が突然抉られ、風穴を開けられた。体に収められていた内蔵が忽然と姿を消した。
「ぬぐっ……!?」
痛みを感じる暇はない。歯を食いしばり、耐える。
腹の傷を押さえながら、ガンデラは憎き敵へと近づいていった。意識が飛びそうになりながらも、敵意だけで体を動かしていった。
手が届きそうな距離まで近づいた時、教皇代理が振り返る。その目には何らの感情も見いだせない。彼女は先ほどガンデラに用はないと言った。その通りだった。靴を脱ぎ、悠長に揃えてからベッドに横になったのだ。
「ふ、くくっ……」
ガンデラは腹を押さえて笑った。空きっ腹にその笑いは堪えた。
「ムースエ、お前は正しかったよ。どのみち俺の居場所はなかったようだ」
ガンデラはベッドに近づかず、天幕の入り口へとゆっくり移動し始めた。
戦に美学を求める時代は既に終わっている。大国ですら、異世界から来た冒険者のために代理戦争を行っている始末だ。末端の兵には弾としての役割しか与えられない。
かといってガンデラはそれが不満ではなかった。弾になれれば本望だったのだ。それすら許されなかった事実に胸が潰れそうだった。
ガンデラはたまらず吠えた。我が身の不遇を嘆くようなか細い遠吠えは、陣営をあます所なく揺さぶった。
結局彼は兵士としての最後の務めを果たそうと、反転した。その瞬間、ガンデラの頭部が潰れたように消え、意識も途絶える。最期だけは、自己犠牲的な満足で占められていたのが彼にとって唯一の救いだった。
アテナはがばっと半身を起こした。目の前の惨状に眠気が吹き飛ぶ。
「いっけなーい! 神威切り忘れてた」
先ほどまで半眠、半覚醒状態でガンデラと会話していたため、何を話していたかすら覚えていなかった。もし死んだのがニーベルンデンの使者だったとしたら、外交問題に発展するのは必至だ。
「教皇代理! ご無事ですか!」
血相を変えたリヒターが天幕に飛び込んできた。アテナは呆けた顔でベッドに座っている。血の池に横たわる死体を賊と見なせば、事態を飲み込むのはたやすい。
「あ、リヒター危ない」
鉄と鉄がぶつかった時のような不協和音が響く。
アテナの勧告もむなしく、謎の衝撃がリヒターの帽子をはじきとばした。少し遅れてリヒターのこめかみから血が滴った。それでも彼は柔和な笑みを崩すことなくアテナの足下にひざまずいた。
「ご無事で何よりです。寝所に許可なく踏み入った無礼をお許し願いたい。この傷一つで許されるとは思いませんが」
アテナはまだ完全に目が覚めておらず、リヒターに水を持ってくるように命令した。水を飲んで落ち着くと、ようやくリヒターの顔に目を向けた。申し訳なさそうにリヒターの傷口に手を添える。
「わざとじゃないの。ちゃんと寝てないと神威の制御ができなくて。リヒターって結構強いのね」
「恐縮です。ひとまず死体を片づけましょう。それと兵に言って別の寝所を用意させます。では」
リヒターは入ってきた時と同じように慌ただしく外に出ていった。
駐屯地は、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。荷物をまとめて逃げだそうとする者、腰が抜けて動けない者、誰もがアニメモの強さにおののいていた。
敵は少数だったにもかかわらず、グラナダの兵に精神的な打撃を与えた。ニーベルンデンの夜襲はアテナを殺せなかったこと以外はひとまず成功したと言えるかもしれない。だが、対局的に見れば失敗だ。グラナダの陣営を引き締める好機に使えそうだし、ニーベルンデンにつけいる隙も生じた。
「これは釣り合わない。よしよし、いいぞ。その調子」
リヒターは一人言に酔いしれている。彼は陣営にいる侵入者を襲撃前に察知していた。知っていてガンデラ達を泳がせていた。アテナが賊に襲われるのも想定していたが、神官の神威と呼ばれる能力を身を持って味わうとは思いもしなかった。
「天罰が下ったかなあ。僕じゃなきゃ死んでただろうね。こわいこわい」
リヒターがこめかみを撫でると、血の跡も傷口もきれいに消えていた。痛みは残っていたが、足元はしっかりしている。
事務処理をひとまず片付け、往来激しい陣内で脇目も振らずに歩いていると、正面から人にぶつかった。相手は着物をはだけさせた花菱烈華だった。怒鳴るような大声で兵と喋っている。
「わり、便所行って来るわー! ああ? 逃げねえって! 嘘じゃねえよ。また遊ぼうなー」
天幕から出てきたばかりの花菱はだいぶ酔いが回っており、リヒターに気づかず歩こうとしていた。
「花菱君」
リヒターが呼び止めると、花菱は目を細めて立ち止まる。相手が誰だか気づくと酔いが醒めたように固まった。それから着物の前を合わせて口調までもよそよそしく改める。
「副総長、こんばんは」
「こんばんは。酒盛りかい、いいねえ。僕も混ざっていいかな」
「いやいやいや、そんな」
花菱は大げさな身振りで、リヒターの申し出を拒否した。付き合い自体を拒絶しているわけではなく、リヒターに自分の酒癖の悪さを知られたくないのである。しかもさっきまで賭博を行っていたから、後ろめたいのだ。
それを知らないリヒターは上機嫌で絡んでくる。
「飲みたい気分なんだ。付き合って欲しい」
「つ、付き合う!?」
花菱の声が警戒したような響きを帯びる。顔には酒のものではない赤みが差していた。横目でリヒターをにらむ。
「ちょっとなら……、いいけど?」
「よかった。場所を変えよう。僕のコテージでいいかな」
これから密室で二人きりという展開が予想できる。
花菱は猫を被り続ける自信がなくなり断ろうとしたが、リヒターの期待を裏切るのが忍びない。花菱はリヒターが純粋無垢な男だと思い込んでいるため、必要以上に気を遣ってしまうのだ。
常に従えている鬼道丸も置いて、花菱はリヒターの求めに応じている。そこに単なる同志以上の感情がないとは言い切れなかった。




