ムースエとガンデラ 其の一
国境警備の仕事は主に各部族の若者に均等に割り充てられている。女王の厳命があるため、グラナダ軍に手出しすることはしないが、忸怩たる思いを抱えている者は少なくない。
川を挟んで目と鼻の先に、敵国の兵がいる。いわば鼻先に好物の肉がぶらさげられている状態だ。
橋の上に建てられた検問所には、言葉少ないアニメモたちが、交代で出入りしている。嗅覚を初めとした五感に優れた彼らは本来言葉によるコミュニケーションが苦手だ。特に男子はその傾向が強い。出会っても、拳を突き出すジェスチャーで事足りる、はずだった。
「ムースエ、ちょっといいか」
呼び止められたアニメモは橋の中程で立ち止まる。青白い毛並みで頭部には、トサカのような毛が伸びている。まだあどけない顔つきで体つきもきゃしゃだ。
彼を呼び止めたのは一回り図体が大きい、がっしりとしたアニメモ。厚い胸板には縦横に傷が走り、その傷は顔にも及んでいた。ガンデラという名で、先の大戦で生き延びた猛者だった。
若い雄のアニメモ、ムースエは片手で長槍を握っている。鏃には青みがかったマテリア鉱石が取り付けてあった。警備兵の標準装備だ。マテリア鉱石は、ニーベルンデンの主要産業であり、この物質がないとアニメモも冒険者も、魔物に対処できない。
「何か?」
ムースエは急いている風を装い、顔を正面に向けようとしなかった。尻尾は垂れ下がり話に乗り気ではないことを示している。
闇は、濃い。虫の声が原野のどこからか聞こえてくる。
月は雲に隠されているが、彼らの目はそれを苦にしない。闇夜でも相手の考えが読みとれる。ムースエには休憩への道すがらを阻まれたことによる軽い苛立ち、ガンデラには悲壮感とも呼べるものが漂っている。
「女王の対応をどう思う?」
ガンデラが口にしたのは、これまで何百回と繰り返されてきた不満だった。
「弱腰、じゃないですかね……、グラナダに舐められてる気がしてならないです」
「そう、だよな」
ガンデラは自分自身を納得させるように呟いた。ムースエは足並みを揃えておく。面倒は御免だ。
「だいたい、女に王が務まるとは思えないですよ。暗殺なんて卑劣な手を使うのが何よりの証拠です」
「その通りだ。実力があれば正面から向かい合えばいい。その点、先王は正しかった」
「はい!」
明快な返事とは裏腹に、ムースエは本心とは真逆のことを口にしていた。
彼は女王の政策を陰で支持している。チェスカルーヤが王位に就いてから、経済以外にも国内に変化があった。
政策決定に関わる合議に、首長全員が参加できるようになった(以前は王に近い三家の首長のみが政策を決定していた)。半ば形骸化しているが、ニーベルンデンには憲法がある。それによると、部族は平等の立場を持つ家族も同然であり、合議は広く開かれるべしとある。チェスカはその解釈を利用したのだ。
外国に留学するための奨学金制度も作られ、教育の拡充も計られようとしている。厳しい調練に疲れ、外の世界に憧れを持つ若者は多い。これらの政策により、チェスカルーヤは若者を中心に少しずつ支持層を拡大していた。
現状は以前に比べるとだいぶましになっている。ムースエもそう考える一人だった。
(強い奴が偉いなんて誰が決めた? 前の戦争だって犠牲者が出ただけで何の成果も上げられなかったじゃないか)
真っ当な批判は今のところ胸のうちに秘めておくしかなかった。女王は開かれた国を目指しているが、いつ権力の座から滑り落ちるかわからない。国内ではまだ保守的な考えの持ち主が大多数を占めているのだ。
ムースエがチェスカを支持するのは、新しい政治信条に惹かれただけではなかった。
彼はチェスカと旧知の間柄である。幼い頃は共に野山を駆け回った仲だ。チェスカは昔からおてんばで、男子に混じって戦争ごっこに興じていた。好奇心が旺盛で、誰に対しても物怖じしないチェスカはガキ大将のように振る舞っていた。それと同時に頭の回転が早く、おしゃれにも敏感で、当時下位の家柄だったにもかかわらず彼女は目立つ存在だった。
チェスカが留学してからは音信は途絶え、再びその顔を拝んだのは就位式パレードの時だった。
ムースエはきらびやかな装束に身を包んだ女王が、あのチェスカだと気づかず、女が王になるという前例がほとんどないため不安なだけであった。老人のような考えに取り付かれていたのだ。
首長を次々と暗殺した疑惑がチェスカに付きまとっていたし、負のイメージが少女時代の印象とまるでかけ離れていたのも大きい。
女王チェスカが、おてんばチェスカだと知ったのは、兵学校に入り、視察に訪れたディドルートに声をかけられた時だった。
「お前昔、妹と遊んでいただろう。俺に何かあった時は後を頼む」
「は……!」
ムースエは畏まって頭を下げた。
ディドルートはニーベルンデンの男子としては珍しく威圧感を与えない反面、影がどことなく薄い。子供時代の印象もチェスカに比べると、大分控えめだ。
それでも、国のナンバーツーに声をかけられ、舞い上がってしまった。
冷静になってみて、後事を託したというより、新しい体制を支えて欲しいという願いが込められていると気づいた。チェスカを支持すると決めたのもディドルートに声をかけられたあの時が発端だ。
チェスカを支えたいと決めたのに、ムースエは反体制派に追従してばかりだった。情けないと思いつつも我が身の可愛さには代え難い。
保守派のガンデラとはなるべく話さないようにしていたのに、捕まったのがムースエの運の尽きだった。
「おい、聞いてるのか!」
ガンデラが怒鳴り散らしている。ムースエは考えにふけっていて話の筋を忘れていた。自分がここに引き留められている理由に興味が薄かったせいでもある。
「は……、なんでありましょう」
「なんでありましょうじゃない。まったくお前は。いつもぼーっとしているな」
ムースエは自分の短所を否定できなかった。退屈な警備の任務は最近疎かになっており、鳥や自然を眺めている方に精魂を傾けている。それというのも、冒険者の開発した魔物よけが優秀なせいで、魔物の脅威は昔ほどではないためである。今、夜勤に駆り出されているのも冒険者のせいだとしたら不思議と帳尻が合っている気がして笑うに笑えない。
「夜襲をかける。来るか」
ムースエは愕然として槍を地面に落とした。虚ろで大きな音が響いた。
「自分は……」
舌が絡まって言葉が続かない。業を煮やしたようにガンデラが肩を掴んでくる。
「お前、それでいいのか? 武功を立てることこそ男子の誉れ。それ以外のし上がる方法はないのだ」
考えの古い石頭め。戦で雌雄が決する時代はとうに過ぎている。だからこそチェスカはグラナダの言いがかりに、ぐっと耐えているのだ。ムースエにだってそれくらいわかる。
「女王の命令があるではないですか。持ち場を離れれば懲罰の対象になります」
「ふん、あんな奴、王ではない。お前もさっきそう言っていたではないか」
あっちこっちに良い顔をしていたつけが回ってきたらしい。ムースエは困り果てた。
「国を守ろうとして何が悪い。これで強いニーベルンデンは蘇る。外国被れの小娘にこれ以上好きにさせられるか」
過去の栄光に縋るガンデラは見苦しい。女王は国の未来のために我慢しているのとは対照的だ。それを伝えれば、ムースエは袋叩きに合う。まだ死にたくはない。
「自分は、反対です。上官の指示を仰いでからでないと」
矛先をそらすギリギリの抵抗だった。ガンデラの反応をびくびくしながら伺うが、幸い暴力の気配はなかった。
「この腰抜けめ。もういい、俺一人でやる。手柄は独り占めだ」
獰猛な口の動きから、ガンデラが本気であることがわかる。恐らく命を捨てる気だ。止めた方がいいのか。ムースエは優柔不断で決めかねた。
「敵の大将の居所はわかっているのですか?」
「夕刻、敵の陣地に到着したらしい。馬鹿でかい象に乗ってやってきたからすぐわかったそうだ」
わざわざ目立つ移動手段を使ったり、若い女を大将に据えたりと、グラナダの考えていることはわからない。ムースエでなくとも、罠の可能性を疑う所だ。
「陣営が緩んでいる今が好機だ。時間をかければ後続が現れるかもしれない」
「しかし……!」
彼らは歩きながら話を続けている。ふと前を歩いていたガンデラが足を止めた。傷のない方の顔をムースエに向けた。
「お前に俺の気持ちはわからんよ。女王の餌に釣られた狗めが」
ニーベルンデンにおいて、狗という言葉は最大の侮辱とされ、めったに使われない。臆病なムースエですら槍に握る力を込めた。
「気づいていないとでも思ったか? 女王は若い奴に人気だからな」
ムースエは無様なほど震え、自身の道化ぶりが失敗していたことを悟った。
「なあに、今更責めようというわけじゃない。新しい国づくり、新しい未来、大いに結構。惹かれる気持ちはわかる。俺も若ければ同じように被れていたかもしれない」
「だったら! まだ遅くはありません。女王を信じましょう」
取り縋るムースエに、ガンデラはゆっくりと首を振った。
「何もかも遅すぎたんだよ。俺は戦しか知らない。ディドルート様なら俺の気持ちをわかって下さる。侵略民族としての生き方しか知らない俺が、文明民族に鞍替えなどできるはずがない。命の捨て時くらい自分で選びたいのだ」
ムースエは以前からガンデラが嫌いだった。古い考えの持ち主、古いアニメモとして内心軽蔑していた。だが無知だったのは自分の方だった。変革に置き去りにされている者の気持ちを軽視していた。それは女王ですら正視できていないかさぶたを剥ぐような痛みだった。
「兄さん、こらえてはもらえませんか……」
昔に返ったように、ムースエはガンデラに縋る。ガンデラもそれに応えるようにやわらかい声を発した。
「子供だな、お前は。学校からやり直した方が良い。じゃあな」
ガンデラは鼓舞するようにムースエの頭を叩いた。ムースエはそれでも引き下がらず、吠えるように意志を示した。
「自分も行きます。行かせて下さい!」




