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あの桜はまだ燃えているか  作者: 濱野乱
あの桜はまだ燃えているか 承前
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亡霊(前編)


天井から釣り下げられた調理器具の多くは、肉を捌くために使われる。


鋸や、鉈のように長大なものも混じっており、拷問器具の展示場のような様相を呈している。


調理場の中央には煉瓦で組まれた台がある。その上に二メートル大の鉄板があり、肉を焼く用途に使われる。


鉄板の向こうにエチカが突っ立っている。激しい運動した後のように肩で息をしていた。彼女の真横では窓ガラスが蜘蛛の巣状に割れている。


予想通りの結果にショータは落胆し、肉をなめすための棒でエチカの頭を叩いた。


 「いたっ!」


不意の殴打を浴びたエチカは、頭を押さえてうずくまる。よけることもできたはずだが、あえて殴られた。


「暴れるなって言っただろ。何度言えばわかるんだ」


ショータが頭ごなしに叱ると、エチカは腕を振って弁明した。


「ちが、泥棒。泥棒見つけた!」


ショータは疑ぐり深く目を走らせる。エチカの正面に、修道服のような露出の少ない格好の人物が倒れていた。トマトのような色の赤い髪はぼさぼさで、体格はやや大柄。うつ伏せなので正確な性別はわからない。ガラスが内側に散っているため、この人物が侵入者と見て間違いない。


「誰これ」


「だから泥棒。薫製肉を漁ってたから、始末しちゃった」


ショータたちのいる館は首都から離れており、偶然立ち寄ったとは考えにくい。刺客にしては手際が悪いし、単に運の悪い遭難者というのも説得力に欠ける。


「しちゃったって……、殺すのはやりすぎだよ。マルラームさんたちに何て説明しよう」


「だって、ショータいなかったから怖かったんだもん。あたし、正当防衛を主張しまーす」


倒れている人物には激しい殴打の痕跡がある。


柄にもない主張を唱えてショータにしなだれかかるエチカの首に、光るものがあった。


一センチにも満たない細く黒い糸が、何重にもエチカの首を覆っていた。


「エチカ。動くな」


厳命し、ショータは手近にあった包丁を天井の一角に投げた。黒い影のようなものが一瞬で、部屋の入り口に移動した。独りでに扉が閉まる。


「何、あれ。キモ」


エチカの首から糸が消えていた。それを見計らい、ショータは刃物を扉に向かって投擲。投げられるものを見境いなく投げていく。 


木の扉は木片をまき散らし、刃物を飲み込み続ける。投げるものがなくなったので、様子を伺う。


細心の注意で敵の襲撃に備えるショータに対して、エチカは隙だらけだ。ショータの横顔に見とれて、動きが鈍い。


(これだよ、これこれ。やっとあたしにヒロインのポジションが回ってきたんだ。でもこれって死亡フラグじゃ)


がくんと、エチカの上体が持ち上がる。糸は消えていなかった。首に巻かれた糸が、彼女の首ごと宙づりにしようとしていた。気道を確保しようと指で首をかきむしるが、糸にかかる力は強まるばかりだ。足でボウルを蹴った音でショータが異変に気づく。


扉から目を離したために、隙が生じた。扉が部屋の内側に倒れ、刃物が飛来する。ショータが投げた以上の速度で圧倒的な物量が殺到した。


刃物の陰を縫うように動く襲撃者を、ショータの胴体視力は捕らえている。刃物をよけ、鉄板を回り込んで敵の首を落とすまで一秒もかからない。それが最善手だ。


ところが、ショータの選んだのは次善手だった。


エチカの首に巻かれた糸を歯で噛みちぎり、彼女の体をガラス窓に向かって投げ飛ばす。


弾丸のようにうなる刃物の群れが、ショータの頬をかすめる。姿勢を低くしやり過ごすと、鉄板を飛び越えようとしていた敵に向かって跳躍。旋回するように体をしならせ、蹴りを放つ。敵は両腕を上げてガードするが、部屋の入り口まではじき飛ばされた。体勢を整える前にショータは敵の背後に立ち、包丁を相手の首筋に当てていた。


はやい……」


敵は賛嘆するように両手を上げた。ショータは軽く刀を押し当てる。


「それほど疾く動いたつもりはないけどね。君がどこの工作員か僕には興味がない。このまま退けば見逃すよ。死体の処理はコストがかかるからやりたくないんだ」


ショータは頬から垂れた血を手の甲で拭う。外からエチカの悪態が聞こえてきた。エチカを切り捨てるのは後でもできる。利用価値があるうちは生かしておくべきだ。


脅しに屈するなら、それで良し。そうでないならエチカの出番だ。教団地込みの死体処理法を利用させてもらう。


「こわいこわい。跡形もなく消されてしまいそうですね」


敵は部屋で倒れているもう一人と同じような修道服姿の女だった。痩せ気味で青白い顔に広い額、目が病人のように大きく不気味だった。


「それも悪くないかもしれません。元より我らは亡霊のようなもの。貴方もそうではありませんか? 紗那王」


女の唇についたピアスが歪な戦利品のように光っていた。

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