第06話 面接は第一印象
「……で、鳥居を抜けた先に我等が居たと?」
「その通りです」
俺が戦国時代にタイムスリップした経緯を離すと、武田信繁はあからさまに胡散臭そうな表情を浮かべた。
当然と言ったら、当然の反応だろう。そう簡単に信じられない話であり、俺も立場が逆だったら同じ反応をしていただろう自信が有る。
遥か未来から訪れたなんて話を誰が信じられるものか。
荒唐無稽が過ぎて、馬鹿馬鹿しい。神の使いと名乗った方がまだ説得力が有る。
しかし、俺には十分な勝算があった。
俺が戦国時代にタイムスリップした経緯を聞いて持つだろう当然の疑問。それを武田信繁か、山本勘助のどちらかが口に出してくれたら、俺の勝ちは決まった様なもの。
「勘助、あの辺りに神社などあったか?」
そして、そのチャンスはすぐに訪れた。
心の中でガッツポーズ。面接開始からハラハラしっぱなしだったが、初めて一息を付けた。
なにしろ、迷信が本気で信じられていた時代。
現代では科学的に、或いは化学的に説明が簡単に出来る現象でさえ、不可解な現象は全てが神仏や妖怪などの仕業とされていた。
それを踏まえると、現代でも解明が出来ない超常現象以外の何ものでもないタイムスリップは、現代の人間よりこの時代の人間の方が信じて貰い易い土壌がある。
但し、信じて貰う為に大前提となる問題が一つ。
あの俺がタイムスリップした場所に、未来の世で川中島古戦場と呼ばれる場所に神社が今も存在していなければならない。
もし、あの場所に神社が存在しないなら二人の説得は困難を極め、この話を出した以上は引っ込める事も出来ず、この場で殺される可能性が出てくる。
「はて? あの時、我々は正に必死でしたからな。
それにあの霧です。例え、あったとしても気付くのは難しいかと……。
ただ、あの辺りは八幡原と呼ばれているのは確かです。八幡様を祀った社があるやも知れません」
だが、その問題に関しても俺には十分な勝算があった。
武田信繁の問いかけに山本勘助が応えた通り、地名とは一旦でも定まってしまったら、そうそう変わるものでは無い。
ましてや、川中島古戦場の神社が祀る八幡大神。その総本社である大分県宇佐市の宇佐神宮が持つ歴史は戦国時代より遥かに古い。
日本各地には神主さん、宮司さんが常駐しない小さな社と鳥居だけの神社は数え切れないほど存在しており、今は川中島古戦場と呼ばれていなくても、その場所に八幡神社だけは小さくても存在している可能性は非常に大きかった。
「恐らく、まだ小さな社なのかと……。
……と言いますのも、川中島古戦場が有名なのは第四次川中島の戦いだからです」
「第四次だと? 我等が長尾勢と北信濃で相対したのはこれまで三度。それを……。」
ここぞと用意していた爆弾の導火線に火を点けると、その効果は抜群だった。
武田信繁が山本勘助に向けていた視線をこちらに素早く戻して、怪訝そうな表情を浮かべる。
「なるほど……。四百年後の世から来たのだから、結果を当然知っているという訳か。
ならば、問おう。この戦国乱世で勝ち鬨を挙げたのは……。我等と長尾、どちらだ?」
片や、山本勘助はさすがに戦国時代を代表する軍師である。
その意味を正確に理解すると、眉間に皺を深く刻みながら鋭い眼差しで問いかけてきた。
最早、犬猿の仲になっている武田家と後の世の上杉家である長尾家。
両家の実力は拮抗しており、東日本の戦国大名の中では頭一つを抜けた存在。どちらかがどちらかを打倒すれば、比類無き力を得て、天下を目指す道のりがはっきりと見えてくる。
だから、武田信玄は上杉謙信と川中島を舞台に五度も刃を交えている。
その未来を知ると語る者が目の前に居る。武田家に仕える忠臣としては問わずにはいられない当然の問いかけだ。
「それを教える前に約束して下さい。
何を言われても絶対に怒ったりしないと……。それと御二人の太刀を部屋の隅に置いて下さい」
しかし、そう簡単に応えられない。
その理由は簡単だ。俺が知る歴史において、武田家は滅んでいる。
上杉家の没落ぶりなら喜んで聞いてくれるかも知れないが、自家が滅亡したと聞いては面白くないどころか、絶対に冷静でいられる筈が無い。
家系の断絶に関して、大らかな考えになったのは戦後の高度成長期を過ぎてから。
誰もが都会に職を求めて集った結果、人々の繋がる縁が薄くなり、お見合い結婚より恋愛結婚が当たり前になった三十年前、四十年前の話だ。
それ以前は庶民だろうと家系の断絶は一大事と考えられ、結婚後三年で子供を身籠らない女性は石女と蔑まれた上に一方的な離婚の理由になったくらい。
それだけに慎重に慎重を重ねなければならない。
太刀を部屋の隅に置いたとしても、二人の内のどちらかがその気になったら俺はどうする事も出来ない。
それ故、これは武田信繁と山本勘助の二人に心構えを作って貰う為の警告だ。
これが理論より感情を優先する猛将なら効かないだろうが、二人は逆のタイプと俺は知っている。この警告そのものがワンクッションとなる。
「ああ……。解った。勘助」
「御意」
案の定、二人は眉をピクリと跳ねさせると、表情を真顔に変えた。
二人にとって、これから話す内容が面白くないものだと察してくれたに違いない。
「この神社の二柱、生島大神と足島大神に誓って下さい」
「良いだろう。二柱様に誓おう」
「山本様もお願いします」
「解った。儂も誓おう……。何なら誓紙も用意するか?」
その上、二人が部屋の隅に太刀を置くのを待って、しつこいほどの念押し。
先ほども言ったが、今は迷信がまかり通り、誰もが神仏を本気で信じていた時代。神仏に対する誓いは絶大な効果を持つ。
これで駄目ならお手上げと言うしかない。
それにしても、たった半日前まで自分の生き死にを本気で考えるなんて思ってもみなかった。
今、俺は問われてばかりだが、俺の方が問いたい。
どうして、俺はこんな所に居るのか。俺がこんな所に居るのは何らかの目的が有ってなのかを。
「いえ、そこまでする必要は有りません」
「なら、教えてくれ。兄上が亡き今、これからの武田はどうなる?」
しかし、今は目の前の関門を突破する事に集中だ。
まるで俺を射殺さんとする二人の鋭すぎる眼差しに全身が粟立ち、心臓が痛いくらいにドキリと跳ねた。
「では、最初におかしな話になりますが……。
私が知っている歴史において、武田晴信様がお亡くなりになるのは今よりもずっと先。
先ほど言った第四次川中島の戦いにて、信繁様と山本様が討ち死にされた後の出来事になります」
もしかしたら、自分を守る為の要求の代償として、二人から遠慮を取り除かせたのかも知れない。
このままでは駄目だ。もうワンクッションを入れる必要性を感じて、武田家の未来を語る前に二人の未来を語りながら竦み上がっている心を奮い立たせる。
「な、何っ!?」
まさか、自分の死を明確に予言されるとは思っていなかったに違いない。
武田信繁と山本勘助の二人は揃って腰を勢い良く浮かせて膝立ち、目をこれ以上無く見開いて固まった。
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「俄には信じられん。だが、しかし……。
城を海津に築き、景虎をそこへ惹き付けて、本陣は茶臼山に布陣。
景虎の軍勢を東西から挟撃するという策は儂が考えていた策と見事に一致する。
ただ、この策は今回の戦いに間に合わず……。信繁様、この策に関して、殿から何かを聞き及んでいますでしょか?」
目論見通り、武田信繁と山本勘助の二人は見事に喰い付いてきた。
当然と言えば、当然だろう。自分の死を聞かされて、気にならない筈が無い。
第四次川中島の戦いに関して、戦いが起こった背景や経緯なども含めて知っている限りを説明してゆくと、武田信繁は腕を組んで真剣に聞き入り、それはまるで子供が母親に知らない昔話をせがむ様であり、楽しんでいる様子が見て取れたが、山本勘助は違った。
山本勘助は話の途中から目を見開きっ放しにして驚き、最後は身体を微かにブルブルと震わせて、顔色を真っ青に変えていた。
どうしたのだろうかと不思議に思っていたが、今の言葉を聞いて納得である。自身が胸に秘めていた将来の作戦を隅々までズバリと言い当てられては驚きを通り越して恐ろしくもなる。
それに第四次川中島の戦いは武田信玄が開戦当初から決戦を積極的に仕掛けた唯一の戦い。
他の四戦は決戦を嫌がって退いている事実を考えたら、それだけ勝てる自信が有ったに違いない。
そして、武田信玄の自信は作戦を立案した山本勘助の自信でもある。
それが試す前に駄目だと解ってしまったのだから、その衝撃たるや計り知れないモノがある。
「いや、知らん。初めて聞いた」
「……でしょうな。この策は秘策中の秘策、景虎に知られては城を築くどころでは有りません。
敵を欺くにはまず味方からと知るのは私と殿の二人のみ。策は景虎の留守を狙って行う予定でしたから」
その一方、俺の言葉の信憑性はこれでグンと増した。
武田信繁と山本勘助の二人が泡を喰っている今こそが攻め時だ。立ち直る暇を与えてはならない。
「さて、先ほどの山本様の質問。武田家の行く末に関してですが……。」
「お、おう」
半ば強引に二人の会話に割り込み、勝利を確信する。
慌てて俺に戻ってきた二人の視線に先ほどまでの鋭さは見当たらず、逆に動揺の上に動揺を重ねた畏れの色が微かに見て取れる。
「ずばり、武田家は庶家を残して滅んでいます」
気は抜けないが遠慮は要らない。
膝に置いた両手に力を込めて、俺の今後の全てを賭けた渾身の一撃を放った。