第04話 戦国時代は辛いよ
「戦国時代にタイムスリップ……。そう認めるしか無いのか」
灯明の淡い明かりが揺れる部屋に一人。
障子戸を開けた窓辺に立って、外の景色を眺めながら独り言を呟く。
今、俺は半日前に訪れたばかりの生島足島神社に再び居た。
それも只の参拝客に非ず、賓客として迎えられ、本殿裏に建つ神主さん宅の奥座敷を今夜の宿に借りてだ。
どうして、一般人の俺がこうも高待遇を受けているのか。
それは俺があの戦国時代に甲斐と信濃の二国を支配した英雄『武田信玄』だからである。
お前は何を言っているのか。気でも触れたのかと思われたくないので結論から先に言おう。
川中島古戦場跡地で出会ったあの俺と瓜二つの男こそ、実は『武田信玄』だった。より正確に言うなら、仏門に入ると共に名前を『武田信玄』と改める前の『武田晴信』だった。
俺が想像に抱いていた華々しさなど欠片も無い戦場のど真ん中で嘔吐に苦しんでいたところ。
二枚目の男『武田信繁』に頬を張られて、正気を無理矢理に取り戻させられた後、眼帯の男『山本勘助』に有無を言わさずに武田晴信が身に付けていた着物や鎧を着せられ、その後は全力疾走する馬の背に小一時間ほど激しく揺られた末、この部屋で大人しくしていろと閉じ込められた。
武田信繁と言ったら、武田晴信の弟。山本勘助と言ったら、武田晴信の軍師。
どちらも武田家を代表する武将であり、武田信玄に詳しい者なら誰もが知っている有名な武将である。
何故、その二人が本人だと信じられるのか。
その答えが前方に有る。現代の日本なら必ず何処にもある電線と電柱が存在せず、違和感を覚えるくらいに景色がすっきりとしている。
馬から落とされない様にしがみついていた道中も同様だった。
道は舗装されておらず、背の高い建物は一軒も見当たらない。人が住まう集落の外は田んぼか、畑、森の緑で溢れ、のどかと表現するしかない田舎の中を走ってきた。
それと生島足島神社には二つの大きな特徴が有る。
境内が神池と呼ばれる池に囲まれている点と鳥居や本殿の柱などが稲荷神社の様に朱色で染められている点だ。
そのまるで水堀に守られた平城の様な景観を持った前者に関しては半日前に訪れた生島足島神社と変わらない。
だが、後者が決定的に違う。半日前に訪れた生島足島神社の朱色は実に色鮮やかだったが、ここの生島足島神社の朱色は経年劣化が激しくて、木肌を見せている箇所が到るところに見える。
ところが、四方を取り囲んでいる信濃の山々の姿は半日前の記憶のまま。
要するに人間が営む景色だけが古びて、大自然は姿を変えていない。これはもう過去に来たとしか考えられない。
もし、これが俺一人を驚かせる為のドッキリだとしたら手が込みすぎている。
最初は夢を見ているに違いないと考えたが、夢にしては長すぎるし、この部屋で暇を数時間も持て余して、ただただボーっとしているだけの夢など今まで一度も見た事が無い。
もっとも、その暇のおかげで冷静になれた。
しかし、今はその暇が辛い。つい半日前は暇をスマートフォンで幾らでも潰せたが、今はそれが出来ない。
この後、スマートフォンは重要な役割が有る。
バッテリーの充電ケーブルどころか、コンセントそのものが存在しない今、バッテリーの残量が有限である以上、無駄遣いは絶対に出来ない。
「そりゃぁ~~……。憧れた事は何度も有ったけどさ。
実際にそうなってみるとかなりきついな。これ……。あはははは……。」
神池の向こう側に弛み無く張られた白地に黒い武田菱が描かれた陣幕。
そこに槍を持つ兵士達の影が昼間の如く焚かれた篝火の明かりに照らされて等間隔に列んでいる。
この部屋に閉じ込められてから何度目になるだろうか。
外を見る度に現実感を突き付けられて、乾いた笑みが零れてしまうのは。
恐らくと言うか、明らかにタイムスリップした原因はあの川中島古戦場跡での濃霧だ。
どういう原理かは解る筈も無いが、鳥居を潜るまでは現代だったと確信が出来る。足元が舗装されていない剥き出しの地面に変わったのは鳥居を潜ってからであり、鳥居が現代と戦国時代の境目だったに違いない。
そして、場所が川中島。武田信繁と山本勘助の二人が存命。
この三つの条件から俺がタイムスリップしたタイミングは第四次川中島の戦いの以前と確定が出来る。
では、第一次と第二次と第三次のどれかと言ったら、まず間違いなく第三次だろう。
これは先ほど貴重なバッテリーを使い、スマートフォンで調べた結果だ。昨夜、川中島古戦場跡へ訪れるにあたり、川中島の戦いをネットで調べたウェブのキャッシュがまだ残っていた。
第一次は川中島よりもっと西で行われており、第二次は場所的に最も近いがこの時の戦いは犀川を間に挟んだ対陣戦で終わっている。俺が目の当たりにした様な地獄絵図を作る激戦は行われていない。
ウェブの解説によると、第三次川中島の戦いは善光寺北の上野原で行われたが、武田晴信は決戦を避けて決着は付けなかったとある。
なら、これは俺の勝手な予想になるが、武田晴信が退却した後、それを後の上杉謙信である『長尾景虎』は逆に決着を着けようと追撃。あの川中島の濃霧の中、遂に武田晴信の打倒に成功したのではなかろうか。
「はぁぁ~~~……。」
大地に叩き付けられる水音が止まり、窓の外に差し出していた花瓶を戻す。
人間、数時間も経てば、催すのが自然の摂理。今、捨てていた花瓶の中身は言うまでもないだろう。
最初は激しく悩んだ。
賓客が泊まる奥座敷の床の間に桔梗を挿して飾られていた花瓶だけにいかにも価値が有りそうで。
だが、部屋の外へ出る事は許されておらず、部屋の隅に開放する事もまさか出来ない。この花瓶しか無かったのである。
既に三回目。慣れたものだ。
障子戸を閉めて、床の間に置いてある桔梗を花瓶に再び挿してから、用を足す前に居た場所へ戻って座る。
「はぁぁ~~~……。」
二度も連続で溜息が漏れた。
目の前には夕飯の膳が置かれており、まだ半分以上を残しているが食べる気がしない。
食が異常事態に細くなっているのも理由の一つだが、それ以上に不味い。
山盛りを超えた富士山盛りの白米は甘みが薄く、その反対に味噌汁と大根の漬物はこれでもかと塩辛い。
どうしても川魚特有の臭みが苦手な俺はメインデッシュのニジマスっぽい川魚は三口目でギブアップ。箸を口元に運ぶのさえも身体が拒んでいる。
しかし、これが戦国時代における最高の御馳走だと俺は知っている。
食事一つを取ってもこれだ。この先、不便な事、不都合な事が多々有る筈であり、それを考えると不安になってくる。
唯一の幸運材料は俺が武田晴信と瓜二つの容姿を持っている点だ。
武田信繁と山本勘助の二人は俺を武田晴信の影武者に仕立て上げようとしているのは間違いない。
だから、武田晴信が着ていた甲冑を俺に着せた。
ここまでの道中、口を絶対に開くなと厳命して、この生島足島神社へ到着するなり、この奥座敷に閉じ込めたのもその思惑が有ったからに他ならない。
事実、武田晴信が討ち死にした事実が公表されていない。
障子戸を開ければ、酒盛りをしているだろう兵士達の陽気な声が聞こえてくる。もし、公表されているなら、そんな余裕は許されない。
つまり、武田晴信の影武者として、俺は殿様の待遇が今後は許される筈だ。
ここまでの道中で実感したが、この時代に生きる人々は日常の不便さの中で体力が自然と培われて、足腰が丈夫なのだろう。
この生島足島神社から川中島古戦場までの距離はバイクでも小一時間はかかる上、前哨戦が行われた場所を考えたら更に倍の距離は走っているにも関わらず、兵士達は息を切らしながらも走りきっている。
その姿を目の当たりにして、戦国時代だからと立身出世の野望を抱くほど俺は馬鹿じゃない。
剣や槍はおろか、スポーツすらも苦手だった俺が武勲なんて立てられる筈が無い。戦場へ辿り着く前に体力が尽きて、脱落するのが目に見えている。
現代の文明社会に生きてきた俺にとって、戦国時代は辛すぎる。
殿様の待遇でさえ、最低限の環境だと断言が出来る。まず間違いなく、これ以下は耐えられない。
だが、殿様の待遇が許されたからと言って、油断は出来ない。
その待遇に期限が付いているかも知れない。用事が済み次第、後ろからブスリと暗殺されては堪らない。
なにせ、武田家は平安時代から続いている由緒正しき清和源氏の末裔である。
その当主が一時でも実は偽物でしたと知られでもしたら、数百年に渡って受け継がれてきた血の重みは薄れて、権威もまた失われる。
この部屋で待っていたら、武田信繁と山本勘助の二人が必ず訪れるだろう。
その時、交渉をしっかりと行い、約束を取り付けて、将来の自分を守る必要が有る。
俺は大それた野心は持っていないし、持つつもりもない。
殿様の待遇と命の保証。この二点を約束して貰えたら、二人の立派な傀儡になってみせる。
それともう一つ、俺は天寿を全うしたい。
俺の記憶が確かなら、武田信玄は五十歳くらいで病死した筈だが、俺は第一に健康を心掛けるつもりでいる。
刀傷などの治療に馬糞を患部に塗ったり、水に溶いた馬糞汁を飲む様な現代医学では考えられない医療は真っ平御免だ。
その為にも最大の障害となる武田家の滅亡は絶対に阻止する。
どこまで通用するかは解らないが、未来の知識を用いるのを俺は躊躇わない。
「うん? この頃の武田信玄って、もう結構な歳の筈……。
高校の頃から老け顔、老け顔って言われてきたけどさ。そんなに老けてるかなぁ~~?」
そんな事を考えていたら、板張りの廊下をドスドスと歩く音がこちらへと近づいてきた。
俺の将来を決める面接がいよいよ始まる。胡座から正座に座り直して、頭を出入口の引き戸に向かって深々と下げた。