表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/41

第03話 滑って転んだ




「変だ……。」


 鳥居を潜り抜けて、すぐにおかしいと気づいた。

 駐車場から鳥居までの間はアスファルトで舗装されていた筈が足元は剥き出しの大地。雨に濡れて少し泥濘んでいる。

 それに俺がバイクを置いた場所から鳥居まで五十メートルほどの距離だったにも関わらず、既にその倍は感覚的に走っており、他に停っていた数台の車も見当たらない。


 しかし、視界は一寸先は闇ならぬ、一寸先は霧である。

 ひょっとしたら、真っ直ぐに進んでいたつもりが実は斜めに進んでいたのかも知れない。

 駆けていた足を止めて、ここは来た道を戻るべきかと右足を下がらせて、回れ右を行おうとしたその時だった。


「んっ!? ……何だ?」


 右手側から二つの声が聞こえてきた。

 はっきりと聞こえないが、誰かの名前を何度も、何度も呼びかけて切羽詰まっており、涙に濡れている様にも感じる。


 もしや、この濃霧が原因で川中島古戦場前を通る国道で事故が起こったのだろうか。

 もし、そうだとするなら一大事だ。交通事故において、初動の応急処置が明暗を大きく分ける。

 患者が頭を打っている様なら下手に動かしてはならず、出血が酷い様なら迅速な止血が必要であり、呼吸が止まっている様なら正確な人工呼吸を行わなければならない。


 だが、大抵の当事者と遭遇者はパニックに陥って何も出来ない。

 その昔、凄惨な交通事故を目の前で目の当たりにした経験を持つ俺が言うのだから間違いない。冷静な判断を下せる第三者の一刻も早い到着が重要になる。


「待ってろ! 今、行くぞ!」


 俺は考えるよりも早く、二つの声が聞こえてくる方角へ向かって走り出した。




 ******




「へっ!?」


 俺は走った。全速力で走った。息が上がっても、顎が上がっても、濃い霧の中を懸命に走った。

 その叫び声が聞こえてくる先に俺の助けを待っている者が居るとするなら立ち止まる事はおろか、歩いてなどいられなかった。

 しかし、叫び声が近づいて、はっきりと聞こえる様になり、その現場へと到着した時、思わず茫然と間抜けな声を発して立ち止まった。


「兄上、しっかりして下さい! 今、医者が来ます!」

「殿、心を緩めてはなりませぬ! 生きる事を諦めてはなりませぬ!」


 大きく広がった血溜まりの中、三人の男が居た。

 一人は仰向けになって血溜まりの中心に倒れ、その両脇を二人が膝を突いて、倒れている男の身体を懸命に揺すり、今にも輝きが失われそうな男の目に光を再び灯そうと必死に呼びかけている。


 一目で解る一大事な光景。一刻の猶予も無い。

 救急車を今すぐ呼び、応急処置を施す必要が有るが、そのどちらも必要は無かった。


 なにしろ、三人の格好は所謂『当世具足』と呼ばれる戦国時代以降に流行った鎧姿。

 目の前の光景がお芝居であるのは一目瞭然。きっと川中島の戦いを模したイベントの真っ最中なのだろう。


 観光客が少なかったのも、このイベントを見学する為にこちらへ集まっていたせいに違いない。

 そうとは知らずに勘違いして、ここまで慌てて走ってきた俺はとんだ間抜け者だが、今はそんな事よりもこの場を一刻も早く去らねばならない。


 現代の服を着た俺がここに居たら興冷めが甚だしい。

 この霧の中、俺という乱入者のハプニングが有りながらも寸劇を止めなかった三人の役者魂を讃えつつ足音を立てない様にゆっくりと後退る。


「えっ!? お、俺っ!?」


 だが、倒れている男の顔を良く見て、ビックリ仰天。

 そっくりさんのレベルを超えて、双子と言ってもおかしくないくらいに俺と瓜二つであり、思わず声をあげてしまう


「なっ!?」

「むっ!?」

「ぬっ!?」


 そして、それは向こう側も同様だった。

 俺の声に反応して、こちらに視線を向けるなり、ビックリ仰天。

 特に倒れている俺と瓜二つの男に至っては今さっきまで閉じかけていた目をこれ以上ないくらいに見開かせて、全身をブルブルと震わせてさえもいる。


「す、すいません! お、俺、交通事故で御朱印帳が!

 い、いや、それは勘違いで声がしたから! ま、間違っていたんです! だ、だから、えっと……。ええっと……。」


 寸劇を中断してしまった失態を慌てて謝罪するも焦るばかりで言葉が上手く出てこない。

 挙げ句の果て、言葉を詰まらせて喘ぎ、俺と三者の間に沈黙が漂いかけるが、それを俺と瓜二つの男がこちらを指差して打ち破る。


「さ、三年……。わ、我が死を隠せ……。」


 思わず顔を左右に素早く向けた後、背後も振り向くが誰も居ない。

 その震える指先は明らかに俺を指していたが、意味が解らない。焦りを通り越して混乱する。


「なんとっ!? いや、しかし……。珍妙な身なりはしているが……。

 見れば、見るほど……。顔も、背丈も、体格も……。声まで似ているとなれば……。」


 しかし、俺と瓜二つの男の両脇に膝を突く二人の片方、眼帯を左目に着けた男は意味を悟ったらしい。

 健在の右目をこちらに向けると、俺を上から下へ、下から上へと眺めて、何やら何度もウンウンと頷きまくり。


 その遠慮が無い品定めする視線に憤りを感じるが、それが俺に余裕を生む結果となって、はたと気付く。

 これは勘違いから寸劇に乱入してしまった愚かな俺に対するフォローであり、寸劇を続行する為のアドリブだ。


 素人参加型のイベントと思いきや、この冷静な対応力はプロに違いない。

 良く観察してみれば、三人が身に纏っている衣装や当世具足、小物に至るまでの全てがリアリティーに溢れており、とても模造品とは思えない出来栄えだ。


「まさかっ!? 兄上、それは真ですか?」


 続いて、もう片方の二枚目の男もアドリブに乗ってきた。

 胸が早鐘をバクバクと打ち始め、全身の毛穴という毛穴が一斉に開いて冷や汗が溢れてくる。


 自分の不始末を己で拭くのは当然だが、俺に出来るのかと不安が先立つ。

 だが、演劇の経験を持たない俺にですら確実に解る。次に求められているのは俺のアドリブだ。

 その証拠に三人が揃って視線をこちらに向け、俺の一言を今か、今かと期待して待ちわびている。


 喉が勝手に音をゴクリと鳴らす。

 幸いにして、話の前後は解らなくても合戦の最中に誰かが討ち死に寸前というシチュエーションは推測が出来る。


 気の利いたセリフを無理に作る必要は無い。

 今まで観た、読んだ漫画で、小説で、ゲームで、映画で似た様なシチュエーションは幾らでも有った筈だと頭を必死に巡らす。


「て、て、敵は本能寺に有り!」


 そして、永遠にも感じた一瞬後に解き放った言葉がこれだった。

 戦国時代を知る者なら誰もが知っている有名な言葉だが、本能寺は京都に在った寺。ここは長野県の川中島古戦場跡であり、場違いが過ぎる。


 やっちまった感が半端ない。

 リアクションをどう取ったら良いのかが解らないのだろう。三人共に茫然と言葉を失い、目をパチパチと瞬きさせている。


 冷や汗がますます噴き出して止まらない。

 せっかく土砂降りの雨をやり過ごしたにも関わらず、Tシャツがべっとりと濡れ張り付いて気持ちが悪い。

 恥も外聞も捨てて、大声をわんわんと挙げて泣きなくなってきた。それが駄目なら頭を抱えてのたうち回りたい。


「ぐぼはっ!?」

「あ、兄上ぇぇ~~~っ!?」

「と、殿ぉぉ~~~っ!?」


 しかし、プロの三人は心優しかった。とても優しかった。

 まるで何事も無かったかの様に寸劇を続行してくれ、胸をほっと撫で下ろす。


 これで俺の役目は終わった筈だ。

 あとはこっそりと気付かれない様に去るだけ。


「うわわっ!?」


 そう考えて、静かに一歩、二歩、三歩と後退するが、四歩目に足を何かに躓かせて尻餅を付いてしまう。

 プロの三人がいかに心優しくても『仏の顔も三度まで』だ。四度目の失態となったら許してはくれないだろう。


 それでも、謝らずにはいられない。

 すぐさま謝罪をしようと立ち上がりかけるが、大地へ突いている右手にぬるりとした生温かい感触を感じて、思わず動きを止める。


「えっ!? ……えっ!?」


 一拍の間の後、右手を目の前に持ってきてみれば、手首まで真っ赤に濡れていた。

 人間としての本能が一目で理解した。それがペンキや絵の具を溶いたモノに非ず、本物の血だと。


 胸が今まで以上に早鐘を打ちまくる。

 そんな馬鹿なと呟いて、これはプロ仕様の擬似的な血だと自分自身に言い聞かせながらも確かめずにはおれず、右手を突いている場所へ視線を恐る恐る向ける。


「えっ!?」


 プロの三人が身に纏う立派な当世具足と違った粗末な胴鎧を着けた死体が転がっていた。

 それも只の死体では無い。今もおびただしい鮮血を斬り裂かれた肩口から溢れさせて、重量が有る何かに踏み付けられて潰されたのか、顔を歪に凹ませながらピンク色した謎の物体を頭から飛び散らせている。


 作り物にしてはリアリティが有り過ぎた。

 生まれてきてから今日まで培ってきた常識と正反対の光景に理解が追いつかず、気が遠くなりかけた次の瞬間。


「ひぃっ!?」


 一陣の風が吹いた。

 自分を取り囲んでいた濃霧が浚われてゆくと共にむせ返る様な血臭が鼻を擽り、地獄絵図が間もなくして周囲に広がった。


 死体、死体、死体、何処を向いても死体が転がっている。

 先ほどまで霧の中に居ると思っていた観客の全てが死体であり、そのどれもが無残な死に方をしており、綺麗な死体は一つとして無かった。 


「おげえええええええええええええっ!?」


 心が限界を突破して、自分の中の何かがブチリと断ち切れる様な音が聞こえた気がした。

 今度こそ、気を完全に失って倒れるが、その直後にこみ上げてきた猛烈な嘔吐に喉が詰まり、呼吸困難の苦しさが意識を強制的に覚醒させた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ