妹は思う。
あの日以来、
お姉さまは変わってしまわれた。
元々が病弱で、いつも床に臥せっているお人。というのが、私のお姉さまに対する印象でした。
広大なお屋敷、有り余る富、やさしい家族。私達はそういう星の元に生まれました。それは充分に自覚しています。
しかし、お姉さまは、カンパニョーロ家長女という何一つ不自由のない運命の元に生まれながら、”健康”という加護、そのただ一つを与えてはもらえませんでした。
そう。神様は皮肉がお好きなのだなぁ、と子供心に思ってしまったものです。
しかし、お姉さまの成人の儀。その日を境に、お姉さまは変わってしまわれました。
そう。あれからもう四年が経とうとしています。
当時、私は齢十を数える小娘でした。
私は今でも夢に見ます。あの、悪夢のような光景を。
我が家は、先祖代々、光の神を敬愛する信徒だったはずなのです。
しかし、お姉さまの成人の儀は、忌まわしき黒の神殿で執り行われました。
お父様がどのような思惑だったかは、わかりません。その真意を伺うことは、未来永劫ありえないでしょう。
そう。わかりたくないのです。
少なくとも、あの忌むべき場所に踏み入った事実を、
私は決して自覚したくないのです。いくら、右も左もわからぬ小娘だったとはいえ……。
今、姉上は『新報日書』を広げながら、トーストを大きく口を開けガブリと咥えました。
はあ、これがカンパニョーロ家の長女の姿なのでありましょうか?
「お姉さま。なにか興味をそそられる記事でもありましたか?」
私は、努めて冷たく聞いた。
「ん? ああ、いや。そうだなぁ。……ソルダーノ伯爵家の”黒い交際疑惑”とか? やっぱあそこ、なんか怪しいんじゃねーかなーってね」
「ふん! そんな礼も義も持ち合わせないゴロツキが書いた伝聞を、お姉さまは信じると?」
「”火のないところに、煙は立たない……”」
「む、それは、なんですの?」
「ある賢者の言葉だよ」
そう言ってお姉さまはオレンジ・ジュースを飲み干し、またサクサクとトーストを齧る。
パン屑が『新報日書』に散らばっても気にしてはいないようだ。それはそうだろう。あんな眉唾な伝聞をすき好むのはお姉さまくらいだ。
「つまり、ソルダーノ家の黒い噂は本当だと?」
「んお! それよりジョゼッタ。これお前の好きな舞台役者だろ?! なになに、隣国の王家次女と交際か?! だってよ!」
「ええ! ちょ、待ってよ! そんなはずは!」
「ああ! 麦の価格下落だって。うちも損が出なきゃいいけどな……」
「ちょっと! さっきの記事は?!」
「おっと! 翼竜ダービーの結果が出てらあ。これはまた儲けたかな!」
「ねえ! さっきの記事は?!」
お姉さまは変わってしまわれた。
どう変わったかというと、
無頓着で、
ざっくばらんで、
遠慮がなくて、
雑で、
人々を振り回し、
自分以外なんにも興味がない。
あの忌むべき場所での成人の儀のあと、お姉さまは気を失い、一晩と半日を死んだように眠り続けました。
そして、目を覚ましたお姉さまは酷く混乱し、わけのわからないことを叫び続けました。
私は、恐怖しました。お姉さまは悪魔に憑りつかれてしまったんだと。
しかし、次第に落ち着きを取り戻したお姉さまは、それから三日後に、腰まであった美しいブロンドの長髪を、町の床屋でバッサリと切ってしまったのです。
変わり果てた姉の姿を見てお母様は悲鳴を上げ、失神してしまったほどです。
「エリカ! お前、なんということを?!」
もちろんお父様も激高しました。
社交界では、髪を美しく結い上げることも女性の重要なステータス・シンボルです。
しかし、肩より少し上で切りそろえられたその姿は、まるで商人の娘のようなみすぼらしさでした。
それなのに、
「いやあ、なんかうざったかったというか……、髪洗うのも面倒だし」
と、悪びれる様子もなく言い放ちました。
お父様は、お姉さまの髪を切った床屋の店主を絞首台に送ろうとまでしましたが、さすがに公爵の一人といえどもそのようなやっかみを裁定所が受け付けるはずもなく、床屋の店主にとっては、とんだとばっちりだったことでしょう。
今もトーストを咀嚼しながら首をポキリポキリと鳴らし、
「ああ、久々に温泉でもいきてぇなぁ」
と、うなるお姉さまの後頭部には、一つに結われた馬の尻尾のような金髪が揺れています。
公爵令嬢ともあろう者が、それではまるで遊牧民のようではないですか?
本当に恥ずかしい。……と、思っていたのは今は昔。
不思議なことに、王都に住む若い娘達の間で、なんとその髪型が流行りだしたのです。
どうやら、輪郭を露出させるその髪型は、女性ながらに凛々しさを感じる。という理由から、一部の町娘の間で話題となり、今や貴族の娘までも真似する者が出てきたのです。
お姉さま本人は、ポニー・テイルと呼んでいますが、巷ではその髪型のことを”エリカ・スタイル”と呼ばれます。
そして、お父様によって断頭台に送られそうになっていた床屋は、”エリカ・スタイル”の考案者として、今や貴族や王族にも引張りダコの、売れっ子理容師なのですから、世の中は皮肉でいっぱいです。
その件はほんの一例で、兎にも角にも、そんなふうに毎回、良くも悪くも人々を振り回すのが、お姉さまなのです。
しかし、
実をいうと、
私は。
以前のお姉さまよりも。
私は、
今のお姉さまが、
ちょっとだけ、好きだったりする……。
だって、そうだろう。
こんなに楽しい人はいない。
一緒にいて、こんなにも笑える人はいない。
不思議だ。
お姉さまの行動にはいつもイライラさせられる、
なのに、私はお姉さまのことが、……好きなのだ。
「うっわ! もうこんな時間かよ! ……仕事いきたくねぇ」
そう言いながら大きな欠伸と大きな伸びをするお姉さま。
自分で仕事をさせろと行っておきながら、”行きたくねぇ”とはどういうことなのでしょう?!
まったくもう。
「お姉さま! 早く着替えたらどうです? お姉さまがいないと仕事が始まらないのでしょう?」
私は言ってやる。
「わってるよ! ちょいとダリーなぁって思っただけじゃねーか? そんな目くじら立てんなよ……」
本当に、粗野で下品で、我が侭で……。
正直、うらやましい……。
お姉さまのように、思うがままに生きれたら、どんなふうにこの世界が見えるのだろう。
きっと、自分を中心に世界が回っているように感じるのではないか?
それは、きっと素敵な景色だ。
でも、私はお姉さまのようにはなれない。
……だから、私は。お姉さまのことが嫌いで、同時に大好きなのだろう。
私という人間も、案外、皮肉なものなのあかもしれません。




