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「遺体を……そちらに引き渡せということですか?」


 智香は今にも湯飲みを投げつけようとする右手を必死で抑え込んだ。


 投げつけてもよかったのだ。


 どこの世界にそんな非常識な頼みがあるか。


 死体を持ってきたと思えば、見せるだけ見せて今すぐ持ち帰るだなんて。


 人様の大事に愛情を注ぎこんで育ててきた息子の体を、知らない場所へ持っていこうなど。


「きゃあ!」


 智香は耐えきれず、お湯の入った湯飲みをふぁーなに投げつけた。


 すかさずアリアが止めに入った。


「おばさま! 落ち着いてください!」


「落ち着いていられるわけないでしょう!」

 

 ガラスを割るような金切声に、成人しているはずの『勇者部』男面子は情けなくも体を震わせた。


 酸いも甘いも噛み分けてきた一回り以上年上の、友達の親が、他人に暴力を振るって声を泣かせている。


 その姿に胸が締め付けられて何も言えなかった。


 善吉が背中をさすりながら家族の名前を呼んだ。


「智香。焦らなくていい。お前の気持ちはよくわかる」


「ならわかるでしょ……。あの子は私がお腹を痛めて産んだの!」


「そうだ。私たちの息子だ」


 智香は気の短いように思われがちだが、それは違う。

 彼女は脆いだけなのだ。抱えこんで壊れる前に、怒りでストレスを吐き出そうとする。


 昔、村人が同級生に暴力を振るわれたときも、相手の家の垣根に車を乗りあげて「お話」しに言った。本能がまっすぐ母性に繋がっているからすぐに癇癪を起こす。

 間違いなく、村人の能天気な性格は智香の反面教師だった。


「渡せない。渡したくない! 渡すつもりなんてない!

 さっさと帰りなさい!」


 怒ることが間違っているとは思わないが、世間の大方の問題は話し合いで片が着くようになっている。


 しかし、世間とは何か。


 それは同じ常識を共有する最も大きなコミュニティだ。


 そして異世界とは、その範疇の外にある。


 話し合いで解決できることを望みながら、善吉はふぁーなにタオルを渡した。


「ありがとうございます」


「こちらこそ失礼した。妻のやり過ぎは性分なんだ。

 けれど、私たちの常識に当てはめればあなたの頼み事はそれだけのことを口にしたものだとご理解ください」


「……はい。

 それでも、私も引くわけにはいきません」


 顔を拭き終えたタオルを焼いてしまいそうなほど、ふぁーなの目に強い闘志が宿った。


 どうしても、村人さんの亡骸は必要なんだ。


「村人さんは私たちの英雄なんです」


「英雄……?」


「勇敢な村人さんが魔王を討ってくだされなければ、今頃私たちの世界は生きる希望を胸に抱くことなく、頭は地に落とされ臓物を歯車のように酷使され最後の一人が涙の代わりに血だまりしか残せない世界になっていました。

 村人さんは私たちの世界を救ってくれた勇者なんです!」


 興奮をそのまま体温へと変えて、ふぁーなは村人の栄光を讃えた。


「彼は一週間という短い期間にも関わらず、多くの偉業を成し遂げてくださいました」


「偉業って?」


 口を挟んだ『勇者部』の一人にふぁーなは頷いた。


「はい。村人さんは魔王軍による飽和攻撃が行われていた旧王都に突然現れました。

 城が乗っ取られて負け戦となった旧王都は放棄する手筈でした。撤退作戦の最中に出現した民間人に驚き、正規軍は逃げることもできなくなりました。一人の民間人でさえ死ねばゾンビとなって敵兵となります。ですが、助けようとしたことが正規軍にとっては仇となりました」


 善吉は話を聞いている間、懐かしい気持ちでいた。


 そういうおとぎ話を昔は読んだなあ。中学生ぐらいのときだ。


「敵軍に囲まれた状況でいて、街を脱出するように言われていたはずの村人さんは颯爽と前線へと駆け、刃の見えない剣を振り抜きました。

 その一刃が、敵軍のゾンビたちを瞬く間に切り裂いたのです。腐敗した体は霧散し、魂の光が天へと昇っていくのを、私たちは見ていました」


 あーわかる。わかるぞー。主人公設定だ。こういうのをなんていうんだっけな……。よく村人が言ってたんだが……。


「村人さんの活躍により、旧王都に攻め入った大群は全滅。城を私たちに取り返してくれたのです」


 『勇者部』の面々は目を輝かせてしきりに頷いた。まるで紙芝居を見た小学生だ。


「確かにそりゃあ勇者だ。現代に現れた勇者だと話題になっただろう」


「その通りです。村人さんの存在は暗い話題しかなかった世界に射した、一筋の光だったんです。

 旧王都で魔王軍を撃退した情報はすぐさま誰しもの耳に届きました。謙そんとユーモアを忘れない万能の勇者として……。

 旧王都の逆転劇で彼の首を絞められた鶏のような斬新な剣術についてこう答えたそうです」


――いやあ、剣って使ったことなくて。素人でなんかすいません。あ、これですか? この剣、なんかロリ幼女の神様がくれたんですよお。


「……と。

 村人さんはそんないもしない神様を慕うばかりで、自分の実績だとはお認めにならない謙虚なお方でした」


 神様という宗教じみたワードに息を落とした善吉と同様に、『勇者部』の面々もまた、深くため息をついた。


「あー……。神様と会っちゃった系か」

「俺ツエー系チーターになっちまったのか」


 そうだ。チートだ。思い出した。異世界と言えばチートだハーレムだとか言ってたなあ。


「まあ、どうせ村人が現実に即したレベリングなんてできたわけもにしな……はは」

「神様にでも会わなきゃ野垂れ死んでたでしょうから、まあ、よかったのかもね。――それで、村人はそのあとに魔王を倒しに行ったんですか?」


 アリアの問いかけに、ふぁーなは首を振った。


「いいえ。魔王軍を倒して欲しいと亡き王の第一皇女・えんじぇるびっち様に頼まれ、名実共に勇者となった村人さんは、正規軍の指揮を任されました。

 しかし彼は自分を器ではないとまたまたご謙遜なさって」


「たぶん謙遜じゃなくて本当に嫌がってたんだろうなあ」

「サークルの指揮すら取れないからな」


 心酔しきった様子のふぁーなの耳に私語は入っていなかった。


「ご謙遜なさった村人さんは、俺はソロプレイヤーだ! とたったお一人だけで王都を飛び出し、旅を始めたのです」


「憧れたな……小説に」

「やっちゃったな……異世界なのに」

「えんじぇるびっちちゃんはぁはぁ」

「あのバカは本当に……」


 死ぬまでバカは治らないらしい。


 アリアは口を苦々しくして言った。


 善吉は役所勤めで異世界人だと自称するふぁーなの喋るストーリーを、とりあえずは内に留めた。


 異世界なんて突飛な妄想を信じる根拠も理由もないが、嘘だと問い詰めて暴れられても困る。


 最適解は警察を呼ぶことだった。

 そうすれば異世界と村人の死の関係は日本の警察が暴いてくれる。


 しかし携帯電話はなく電話はリビングの外だ。


 部屋から抜けだそうにも、智香を置いていくわけにもいかない。


 智香がふぁーなの話に我慢していることは一目瞭然だ。


 机の下で震わせた握り拳を放置できない。

 私がいない間に殴りかかりそうだ。やってきた警察にしょっぴかれるのが傷害罪の智香では笑い話にもならない。


「それで、村人は魔王を討ち倒しに出たと?」


『勇者部』の一人が問いかけた。ふぁーなはすぐさま首を横に振った。


「そうですが、違います。

 彼の偉業は旧王都の奪還と魔王を倒したことだけではありません。

 村人さんはソロプレイに出てから行き先に迷って魔王軍に従事する魔獣たちのリストを眺めていました。じっと見ていたリストの一段を指さして、ユニコーンに会いたいと仰いました」


「ゆにこーん……?」


 異世界の有名人だろうか? わからなかった村人の両親にアリアが補足説明をする。


「白馬の頭に一角が生えている伝説上の種族です。ユニコーンの見目はとても綺麗ですが、その……処女の生き血だけを啜るなどと言われています。これで合っているかしら?」


「はい。ただ見た目はさほど美しくはあらず、種族の構成率はオスが九割を占めています。

 人の血の安定供給を望んだユニコーンは雇用という形で魔王軍に従属していました。彼らは空を駆け、その角は万病を癒す秘薬となります。ユニコーンという種族が戦争に及ぼす影響力は絶大でした。人の必死の反抗も彼らにとってはかすり傷にすらなりませんでした。

 名将にチェブで引けを取らないと噂だっていた智慧の持ち主である村人さんはそこに目をつけたのでしょう」


 戦争に加担している魔族のなかで、体制を崩しやすいユニコーンという臆病な種族を村人さんは一目で見抜いた、とふぁーなは力説した。


「なにでも変化する少し不思議な細身の剣を片手に、村人さんはユニコーンの巣窟に足を運びました。

 そこで村人さんは敵種族だったユニコーンと人間の同盟を締結しました。

 その場で、です。

 そのおかげでユニコーンは魔王軍から手を引き、しかも治癒薬も山ほどわけてもらったんです。あの薬でいったいどれほどの人が助かったことか」


 ふぁーなは涙ながらに語った。


 彼女は焼け野原となった生まれ故郷を幻視していた。

 緑が豊かで朝露と挨拶だけで幸せだった私の故郷。秘薬があれば私が天涯孤独の身になることはなかったかもしれない。


 次はそういう人が生まれないように使って欲しいと、兵士に薬を渡したことを昨日のように覚えている。


「ユニコーンに何を対価に差し出したのかを聞いても最後まで答えてくれませんでした。ただ一言」


――処女厨は仲間だ。


「……とだけ仰っていました」


「そういえば、アリアが処女がどうかで口論してたときも同じこと言ってたな」

「まさかそれでユニコーンを仲間に引き入れるなんてな」

「……あんたたち、そんなくだらないことで喧嘩してたの……?」


『勇者部』の面々が納得する。


 ふぁーなの言っている村人の言動と、村人の普段の行いが一致する。


 善吉も、息子ならそういうだろうなと心の片隅で頷いていた。


「村人さんがユニコーンと魔王軍との同盟を破棄させたことによって、生き残っていた正規軍や地方の反乱が成果を見せるようになりました。

 しかし、魔王軍に従事する生物は他にもいました」


 アリアが先を読んだとばかりに鬱陶しげな口を出す。


「で。その魔王の手下のなんらかの生き物たちを、村人が懐柔していったわけね」


 お約束、ってやつだ。


 あいつは異世界でマジに主人公をやったらしい。


「はい。武具を大量生産していたドワーフらを圧倒的な力によって解放し、大量のスライムに夜のねちょねちょな仕事を斡旋し、魔王の移動手段でもある竜をも手懐けました」


 『勇者部』の面々がそれぞれに質問をした。


「ドワーフって大量生産できるの? ひとつひとつ真心こめて手作りしないの?」

「産業革命以降は工場生産が主流です。手作りの職人もいますが、工学を取り入れた防具のほうが自明的に強いですから」


「ねちょねちょって何よ……」

「村人さんの悪口を私には言えません」


「竜を手懐けた話を詳しく」

「私も詳細には知りませんが、竜のお世話がかりをさせられていた若い女性を茂みに連れこんで説教していたのだと思います。そのとき女性の悲鳴がしましたから。他人に厳しい村人さんはやるときはやるのでしょう」


「異世界楽しんでんな!」


 ねちょねちょってなんだ……。


 青いドロドロとしたスライムを善吉も想像していた。


 全員がふぁーなの口から紡がれた村人の異世界堪能記に唾を飲んでいたとき、ただ一人だけが黒い眼に刃を隠していた。


「ねえ、質問してもいいかしら」


 智香は冷水を無理やり温めて作った白湯のように湯気も立たない声で、静かにふぁーなに問いかけた。


「私に答えられる範囲でしたら」


 机を間に二人が向き合う。


 智香は問いかける。


「あなたが話したことは真実?」

「紛れもない事実です」


 じゃあ、と智香は口を開く。


「どうしてあなたは村人の行動を正確に、まるで見てきたかのように言うの?

 あなたは言ったわよね。

 村人はたった一人で旅に出たって。

 じゃあ、あの子が一人でいる間に何をしているかはわかるはずないわよね?」


 流れていた空気が音を立てて温度を変えて色を反転させた。


 スノードームのような創り物の異世界が、音を立てて壊れる。


 見えかけていた異世界の情景が、全て紛いものへと変わる。


 言われてみればそうだ。


 だって、今話していたのは全部……。


「だってそれは、物語なんかじゃないんだから」


 村人の人生のはずだ。


 あいつしか知らないことのはずだ。


「村人の生きて成したことを、あなたは伝記よりももっと密接に語る。

 でもそんなこと、あなたにわかるわけがないわよね。

 くだらない異世界やら魔王やらが真実だっていうなら、あの子が一人で行動していたことも真実なんだから。

 誰も傍にいなかったのに、誰が村人の本当の生き様を――死に様を知ることができたの?

 そんなこと、誰にもできないわ」


 人の生き様をどうして説明できようか。


 アリアの胸もまた、強く打たれていた。


 偉人の伝記でも読んでいる気分になっていたのか。


 突然目の前に現れた非現実な異世界に興奮していたのか。


 村人は死んだ。


 私の好きな人は、原因もわからないまま、行方不明になって、死んだんだ。


 私にわかる事実はたった一つだけだ。

 村人の死体を、目の前にいる女性が持っていたということだけだ。


 異世界の存在をどうして信じることができようか。


 私たちは信じていないからこそ、物語を楽しんでいたのに。


 智香は絞めにかかる。うそつきの女の首を。


「誰が、あなたの言葉を証明できるのかしら」


 信用できない人間の話をこれ以上聞いてはいられない。

 何より、村人の人生を口から出まかせの異世界論にねつ造されていくことに耐えられない。


 智香は立ち上がる。

 電話でボタンを三回プッシュするだけで、第三者だが信頼に足る機関が真実を日の下に晒してくれる。


 その場の全員が智香の突き付けた一発に目を覚まし、彼女の通報を止めようとはしなかった。


 腰を上げた智香に、ふぁーなはその場で頭を下げた。


「私は、嘘を申し上げました」



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