第二章ノ四
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どうやら、セトの身体に起こった皮膚が黒く染まる現象は、彼等の中では『戦神』と呼ばれるものらしく、ノアの使う術同様、クラウニン族特有の力であるらしい。黒が深くなればなるほど術の完成度は上がり、無理やり身体能力を引き上げるので身体の負担も大きくなる。結局、ハメルーンとの戦いで負った傷も含めて、セトは一週間は安静にしていないと私生活に支障が出ると言われるほどの怪我を負っていたらしい。自分だけかすり傷で済んだのがなんだか申し訳なく思えて、ノアは数日をセトの看病へと費やした。看病をしながら、ノアは考え続けた。
本当に、セトを旅に同行させて良いものなのだろうか――
「よくやってくれた、皆、お前達を讃えている。今ならば、我が部族を救った英雄として、マークスの冠を与えることができるだろう。だが、一つだけ条件、いや、頼みがある。聞いてもらってもいいだろうか?」
「デカい猿と戦えってこと以外なら」
「よっぽど堪えたか、いいだろう。しかし頼みってものはもしかするとデカい猿と戦ってくれと言ったほうがましかもしれない。ノア、お前の旅にセトを連れて行ってくれ」
旅、と言った。ゼウスにとっては、ノアは腕試しに来たフール族の青年としか映っていないはずなのに。
「あの、俺は――」
「無頼の武者修行だろう?」
何か悟ったような目で微笑むゼウスに、ノアは何も言えなくなった。もう、取り繕うことも意味はなさそうだ。ノアがただの腕試しに来たのでは無いことが、きっともうわかっている。そして、それを何も聞かないでいてくれようとしている。ゼウスは、ノアに「家族として迎えよう」と言ってくれていた。ならばきっと、これが彼なりの家族に対する気遣いというものだろう。甘えておこう。全てが終わるまで、何も口出すこと無く見守ってくれている、新たな父に――
「そうだよ、武者修行だ」
ノアは応えた。父の愛の薄かったノアは、この関係がどういうものなのか分からなかったが、これが受け入れるべきものだということは理解できた。暖かな目が染み入るように見つめてくる。
「でも、どうしてセトを?」
「あいつはまだまだ未熟だ。こんなところで天下を取ったような気になってもらっては、先が思いやられる。あいつはもっと上を目指せるはずなんだ。お前と一緒にいるあいつを見てそう思ったのだ。お前の旅の力にもなってくれるだろう」
「俺は無頼の武者修行に行くんだ、助けはいらないよ」
「そうだったな、すまない」
頭が固いと笑われた。だが、嫌ではなかった。
「お前と行きたいというのは、セト本人の願いでもある。マークスの冠はあいつに渡しておいた。連れていけないというのであれば、直接説得してくれ。あいつもあいつで頭が固い、お前とは気が合うだろう」
セトはここ数日眠りの底にいる。死人のように、ではない。大鼾をかきながら休日の朝のごとく眠っているのである。十分もその場にいれば、心配など必要ないのではないだろうかと思えてくる。
いつもと変わらず鼾をかくセトを見て、ため息を一つ漏らす。病院の主は鳴り止まない鼾に相当頭を痛めている。今日はセトを自宅に連れて行ってくれと依頼を受けているのだった。
セトを担いで家路につく。背に負う重みは自分よりもずいぶん大きい。ハメルーン狩りの帰りも、こんな風に担いで歩いた。
セトを、連れて行ってもいいのだろうか。連れていけば、彼はきっとこうして倒れてしまうまで戦ってくれるだろう。それが大儀あることならばまだしも、ノアの旅は個人的な、大義などとはどうやっても結びつかない独善的なものだ。そんなものに、巻き込んでいいのだろうか。今回のように、下手をすれば命に関わることが、この先にもまだまだあるだろう。その時になって、セトに命を懸けてもらっていいのだろうか。
家に着き、戸を開けた。
「よし、そろそろ行くか」
背中のセトが目を覚まし、ノアの背から飛び降りた。そして近くにあった動物の皮で作った袋を担いで颯爽と外に出ようとする。
「お、おい、セト、大丈夫なのかよ!」
「もう治った」
「まだ四日しか経ってないんだぞ? 大人しくしとけよ」
「何のためにずっと寝てたと思ってんだよ。もう大丈夫なんだ」
「わかったよ、それでいい。でも、一体どこに行くんだ?」
「それはお前が決めることだろう」
「待て待て、俺はお前を連れて行くとは言ってない」
「言ってない? そりゃそうだ、聞いてない。でも行くぜ、俺は行く」
「それについては話があるんだ。やっぱり、俺の個人的な旅に巻き込むのは――」
「連れて行かねえってなら冠は渡さねえ、何が何でも渡さねえ、命を懸けて渡さねえ」
「あのなぁ――」
「迷惑なんかじゃない。迷惑にもならない、絶対に。連れて行ってくれ」
「なんでそんなに行きたいんだ?」
「なんか、いい予感がするんだよ。お前と一緒に行けば、もっといろんな奴と闘えそうだ。それと、悪い予感もする。あの黒鎧の集団、あいつらが頭から離れねえ。見たこともない鎧に、武器。どうも臭いんだよ。たちの悪い野郎共の臭いがしやがるんだ」
家族を守りたい、とセトは言った。
そう言われると、弱い。ノアも妹を守ってきた。そして今は蘇らせようと命を懸けている。そんな事を言われては、自分と重ねてしまうではないか。
「もちろん家族にはお前も入ってるぜ。俺達と一緒に戦ったやつはみんな家族だからな」
セトの言葉が嬉しかった。天涯孤独となったノアには、たまらなく響いた。胸の辺りから水が揺れるように喜びが波打つ。目の底が熱くなって、息が止まる。
「わかった、一緒に行こう」
下を向いて、笑みを殺す。こんな情けない顔を見られるわけにはいかない。
「そうこなくっちゃな! さぁ、行こう」
セトは走りだした。戸を蹴り開け、村へ飛び出し、柵を超え、荒野へ飛び出した。
新しい旅が始まる。シティを旅立った時とは違い、晴れやかな気分で荒野を歩む事ができるだろう。仲間がいるとは、これほどまでに頼もしいものなのか。
残る武具は三つ、フェルマーの腕輪、ゲーニスの盾、アルカトの鎧。不可能に近い旅も、少しずつ光明が見え始めた。
荒野は朝日に晴れ渡り、旅路に華をと風が歌う。
さぁ、まずはセトに追いつく所から始めよう。
第二章が終わりました。
次は第三章『美しき芸術家』の始まりです。
ドキッ男だらけの闘技大会編は終わり、ようやくヒロインが登場します。
ヒロインは美しき芸術家、アルル族の一人です。
ノアとセトの旅路は、彼女とアルル族との邂逅により、彩りを増していくことでしょう。
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