霜月
朝。
トーストとコーヒーの湯気が私の心を落ち着かせてくれる。
カーテンの隙間からは暖かい日差しが射していた。
埃がきらきらと舞うのが見える。
カーテンを開けようか。その光に誘われて思わずカーテンを開ける。
目の前には爽やかで、心が空っぽになってしまいそうな青空が広がっていた。
窓を開けると、ひんやり寒い空気が肌を軽く刺す。
そうか、もう11月なのか。
こんな日は、誰とも話さないで物思いに耽るのが一番いいのかもしれない。
それとも、どこか遠くの街へ行ってみようか。私の知らないような街に。
今日の朝食のお供は、ミケランジェロの画集。
ぱらぱらと捲りながらトーストをほお張る。
私は大学を4日ほど休んでいる。
理由は無い。
ただ、無気力なのだ。十一月は私の生きる力を根こそぎ奪ってしまう、そんな感覚を覚えたのは何時頃からだろうか。
人とも関わりたくない。働きたくない
ただただ、ふわふわと流されていたいのだ。
そんな怠けた思いがぐるぐると渦巻いている。
私は、渦巻きに色をさすようにコーヒーをぐいっと飲み干した。
渦巻きは少しコーヒーの色になった。
最後の審判…か。やっぱいいな。
うん。街に出よう。
メイクもナチュラルでいい。誰にも見られないのだから。
お気に入りのコートとブーツを履いていこう。
今日は堺よりもうんと南に行ってみようかな。
そんな事を考えながらドアを開けた瞬間、空気ががらりと変わるのがわかった。
なんせそこには、ジョジョ君が立っていたのだから。
***
ジョジョ君はあたしと同じ学科で、同じ教授に教わっている。
彼はすらっと背が高く、肩まで伸びきっている髪も変に染めてなくて、凄くナチュラルで清潔感があって、あまり人と話さない。
しかし、その飾り気のなさが女子からだけでなく男子からも人気を集めていて、彼の周りには常に人がいた。
私とジョジョ君の仲は、何回か一緒に昼ご飯を食べた程度だ。いや、厳密に言うと二人でご飯を食べたことは無い。
何かの集会で偶然一緒だったというレベルの話。
私にとってジョジョ君は『人気者』なのだけれど、ジョジョ君にとって私はたくさんの知り合いの中の一人にしか過ぎないのだ。
しかし、そのジョジョ君が私の目の前にいる。
「あー…ごめん。今からどっか行くつもりだった?」
「……。うーん。目的地は決まってないんだけど、どっかに行く予定にしてた。」
「あ、邪魔してごめん。…俺、帰ったほうがいい?」
「いやいやっ!全然じゃっ…邪魔じゃないし…。うん。」
何どぎまぎしてるのよ私…。
「どうして、私の家まで来てくれたの?用事?」
ジョジョはふっと私の顔を見る。
「ん…。白鳥さん、ここ最近ずっと顔出さないからどうしてるかなぁって。様子見に来た。」
「そっか…ありがとう。ってジョジョ君今日、授業は?」
「サボリ。たまには息抜きしなきゃ。」
そう言ってジョジョ君は笑った。
その笑顔は、空気にぱっと花が咲いたようだった。何の花かな?椿とか?
「ね、ここで話すのも何だから家入る?」
家の中は幸いなことに綺麗だ。女として少し気を遣うべきだよ。
「ん。ありがとう。」
私が部屋に入るとジョジョ君も私に続いて部屋の中に入る。
彼はくるりとドアのほうに向き直り、しゃがんで自分の靴を揃えた。
あぁ、こういうきっちりしたとこが女の子にモテるんだろうな。
「ジョジョ君ってコーヒー派?紅茶派?」
「コーヒーかな。」
私はさっき自分が飲んだコーヒーを捨て、新しいコーヒー豆を入れる。
「白鳥さんなかなかセンスいいね。このカーテンとか、凄く素敵。」
ジョジョ君はカーテンをぴらぴらといじり、部屋を見渡した。
カーテンをいじるゴツゴツしているのに繊細な彼の指に私は少し見惚れる。
「ごめんね。凄く生活感アリアリな部屋で…。」
「いいのいいの。生活感が無い部屋なんか落ち着かないよ。お洒落な雰囲気と生活感が何ていうの?共存しているみたいで憧れる。」
輸入雑貨を取り扱うバイトをしてるからなのだろうか。自然とインテリアにこだわっているのかも知れない。
「コーヒー、どうぞ。」
私は2つのコーヒーカップを机に置いた。
「わざわざありがとう。じゃあ、いただきます。」
そう言ってジョジョ君はコーヒーを啜る。
「おいしい。」
彼は再び笑った。
「そうだ。こないだ、バイトしてるって言ってたよね。」
「うん。」
「今度、お店行ってもいいかな?確か、輸入雑貨を扱ってるお店。」
心拍数が上がる。
「白鳥さんのインテリア見てたらちょっと気になって。」
更に心拍数が上がる。
「うん。よっ…よかったら来て。」
私はそう言うのが精一杯だった。
その後のことはあまり覚えていない。
友達の話とか、おいしいイタリアンのお店の話とかしたのだろうけど、『行ってもいいかな?』の一言には及ばなかった。
よくよく考えてみると、あんなに長時間二人っきりで話すということは滅多に無いことだろう。
ジョジョ君はしばらくしてから、午後からの講義に行くからとメールアドレスを書いた紙を置いて帰っていった。
ちょっと嬉しくなって、私はベランダに出て景色を眺めた。
青い空。遠くに見える高層ビル。
今まで空しく見えたそれらが、何だか輝いて見える。
明日から、バイト再開だ。
そう思って、深呼吸をする。
ひんやりした11月の風は、もう痛くなかった。
『また、沢山話そう。』
あの紙に書いてあった、僅か9文字の言葉にも
やはり彼は存在していた。




