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3 立待月の誓い

 誰にも知られない王宮の奥の間に月明かりが差し込んでくると、透かし模様の障子にふたつの影が映る。

 何もない部屋の中央には寝具が敷かれ、そこに横たわる少女をふたりの人物が見守っている。


 その瞳は慈愛に満ち心から少女を愛しんでいるのが伝わってくる。けれど少女は目覚める気配も無く死んだように眠り続けている。

 艶やかな黒髪を結い上げ、金のかんざしを差した高貴な婦人が、少女の桃色の頬をその白魚のような手の甲で撫でる。


「桜花はよほど酷い目に合っていたのね。私達の知らない虐めが他にも山ほどありそうだわ」


「守ってやれなかったのは全て私のせいだ。だから今度こそ幸せにする」


「でも、桜花はそれを望んではいない様ですよ。渡会尊わたらいみことと関わりになりたくないんですって。今は馬番をしていた肌の黒いあの男がお気に入りなんですってよ」


「論外だ。話しにならん」


「世子様。私も桜花のお蔭で生き延びたひとりです。桜花には幸せになって欲しいと心から願っています。けれどあちらの世界で桜花は平凡な一般庶民に生まれ、容姿も人並みと前世と大して変わらない環境に身をおいているのですよ。しかもあろう事か桜花は男子と性別まで変えてしまった。この差はどのように為さる御つもりですか」


「妃よかの世界は自由恋愛が許されているのだ。案ずることはない。男になろうとも所詮は民間人。国を揺るがす一大事になる事はないのだから安心せよ」


「相変わらず世間を甘く見ていらっしゃいますね。嫉妬の目は弱い立場の人間に集中するものですよ。桜花が望まぬ限り私は世子様にこれ以上協力はしかねます」


「妃---」


「桜花が自ら毒を飲み苦しみにのた打ち回る姿を今でも忘れはしません。世子様をお慕いしながら健気に私に尽くしてくれた桜花を本当に幸せにしてくれるのは誰なのか、この目でしかと確かめたいと思います」


「私以上に桜花を愛する者などいない」


「世子様。私は政略結婚で世子様の妃になりました。あなたからの寵愛を望みましたが、あなたのお心には愛しても傍に置けない身分違いの下女が居た。---それでも私はしあわせです。跡継ぎを儲け、国母となり、世子様の元に死ぬまで寄り添っていられるのです。私たちは愛は無くともお互いを理解する同士でしょう。愛が必ずしも真のしあわせと結びつくとは限らないのではないでしょうか」


「妃。私との約束は果たせぬと言うのか」


「私が約束したのは桜花の幸せです。今度は桜花を不幸にしないと誓ったのです。世子様の望む幸せと勘違いなさらないで下さい」

 横たわる少女の名は桜花おうかと言う。

 この国の王子、尊宮みことのみやの世話をする下女をしていた。王子は何故桜花がこの宮殿で働くようになったのか、詳しい経緯をしらない。けれど気が付けば幼い頃からこの少女は宮殿にいたのだ。誰よりも小さく年端のいかない桜花は右に左に動く度に、尊宮の目を惹いた。自分といくらも違わぬ年齢の幼い娘が休みもなく働いている。その傍らを通り掛かれば親以上に年の離れた女官に従い、雨の日も、風の日も、夏の暑い日差しの中でもその小さな体を折って、尊宮への忠誠の証であるお辞儀をして通り過ぎるのを待っている。下女に気安く声を掛けるのは下品な行為だ。用があればお付の者を通して伝える。世子として教育されてきた尊宮は定めを破る勝手は許されないことを充分に理解していた。

 侍従に対してはひとえに平等であること。

 誰かひとりを特別扱いすれば亀裂が生じる。亀裂から溢れた水筋はやがて大きく本流から逸れて氾濫を起こし、濁流に飲み込まれていく。そんな悲劇を起こしてはいけない。幼くとも己を律する知恵はすでに備わっていた尊宮はそれ故に孤独であった。

 宮殿には魔物が巣食う。

 ものの怪や妖怪であれば腕の立つ武官がいくらでもいたが、相手は人間の姿をし、一見見分けはつかない。それは善人の仮面を付けて近付いてくる。誠実な人間を惑わし、甘い汁を吸わせて悪に手を染めさせてしまうのだ。


「誰も信じてはならぬ」

 父王は言った。

 人は欲深い生き物だ。与えられることにすぐに順応する。茶碗一杯の水を貰えば今度は瓶一杯の水を欲しがる。それが叶えば今度は樽一杯の水。最後は湖丸ごとを我が物にしようと考える。


「物事を表面で捉えるのではない。常に深慮遠謀せよ」

 それは父王の言葉すら信用するなと言う事だ。国と民に全てを捧げ、王家の行く末を案じ、孤独と疑惑の日々は続く。眠れぬ夜をどれだけ数えても誰も助けてくれない。

 床を抜け出せば宦官であるお付の者が常に控えている。

「世子様---」


「眠れぬ。散歩じゃ」

 中庭を抜けて奥の宮殿に入る途中に池がある。満月の夜には水面に月の影が映り、趣のある姿を見せてくれる。季節は丁度桜の花が満開で春の訪れの喜びに満ちている。

 誰もいないはずの池の水面に小さな影が映る。

 雲の隙間から月が顔を出し、辺りを照らせば、其処に現れたのはあの小さな下女の姿だった。驚いたのはお互いさまで、普段なら絶対にすることのない言葉を掛けた。


「こんな真夜中に何をしておる」


「真夜中だからでございます」

 尊宮はその声にはっきりと意志を持った強さを感じた。


「闇はすべてを覆い隠し、私の姿も消えましょう。私は何者でもなく自由の身になって満開の桜を満喫しておりました」


「刺客にしては上手く出来た作り話だな。それで私が納得すると思うか?」


「世子様のお心のままに。斬り捨てても泣く者などひとりとしておりません」


「……では確かめてみよう」

 月明かりに浮かぶその姿は儚い。

 やせ細った品疎な体つき。懐刀さえ握れそうにない紅葉のようなその手を取ってみる。赤く腫れ上がって手の甲がカサついている。


「お前の手は人殺しのそれと違う。この手は、毎日一生懸命働く者の手だ」


「世子様」


「花見となれば団子が必要であろう。急ぎ何か持って参れ」

 宦官が慌てて引き返せば世子と少女はふたりきりになる。


「桜は好みであるか」


「とても見事でございます。桜の花は枝を垂らして人に見てもらおうとしているみたいです」

 

「そなたは名はなんと言う」


「……」

 瞳を伏せて首を振る。

名など必要ない下女は「おい」「ちょっと」「そこのもの」それだけで用事は事足りた。病に倒れたとしても代わりのものが後ろに控えている。路傍の石ころと変わらない存在なのだ。


「では私が名を授けよう。お前は桜花おうか。この桜の生まれ変わりだ」

 寒い冬を越えて春の訪れと共に花を咲かせる強さといじらしさ。親元を離れて必死に働く桜花は桜の花のようだと尊宮は思った。

 こうしてふたりは真夜中に時々池の畔で会うようになった。

 桜花との時間は尊宮にとって唯一の癒しの時間だった。



 それから暫くの後、悲劇は起きてしまった。 

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