本番
帰り道は無言だった。
馬車で揺られなら屋敷に戻る途中、ずっと頭からダーリュの顔が離れない。
あれは、私が怒らせたんだ。紛れもなく、私の軽はずみな言葉で。ダーリュは私の事を心配してくれたのに、そんなダーリュの思いやりを無下にしてしまったのだ。
ガタガタと音とともに揺れる馬車は、馬の鳴き声で終わりを告げた。
「あの、ダーリュ…」
馬車からダーリュが先に降りた時、私はとっさに彼の名前を呼んだ。
緊張して、長めのワンピースの裾を握りしめる。
「さっきは、ごめんなさい。」
帰りの馬車で何度も言おうとした言葉だ。けど、ヘタレな私は馬車の中で言えなかった。
「いや、アーリーはこちらに来たばかりで知らなくて当然なんだ。こちらこそ怒鳴ってしまってすまない。」
苦笑しながらダーリュはまだ馬車の中にいる私に手を差し伸ばす。
「そんな顔するな。もう怒ってないから」
ーーーー優しいんだから。
涙が落ちそうになるのをこらえ、一気にダーリュの首に飛びついた。
ダーリュはびっくりしていたが、突然の私を笑顔で迎える。
「…ダーリュってお兄ちゃんみたい。」
私がそう言うと、頭をポンポンと優しく撫でられた。
ダーリュはいつも何かを買ってくる。
きっかけはダーリュとぶつかってしまってからだ。
街のお菓子だとか、ケーキだとか、しまいにはドレスまで買ってきたりしてきた。……ドレスを買ってきたときは本当に焦ったが。
「アーリー、最近人気らしいのクッキーだ。」
玄関ホールでお迎えすると箱に入ったクッキーを手渡される。
「ありがとう!…けど、毎日じゃなくてもいいよ?わざわざ寄るの大変でしょ?」
昨日は人気のパウンドケーキとか言って買って帰って来たし、一昨日はフィナンシェだった。
まぁ、それらは私が美味しくいただきましたけれども。
「いつも暇だろう、すまないな。」
廊下を歩きながらダーリュは上着を脱ぐ。
それに私は犬のように後ろをついていく。
「ううん。リーナがいてくれるし、ここの人達と仲良くやってる」
今回のクッキーは何が入ってるのかなーと軽く探った。
程よく焼けたクッキーが丁寧に並べられている。
……はむっと1つだけ口に入れる。さくさくとした食感が絶妙な甘さをいい感じに引き立てている。
「んー!美味しい」
そう言うと、ダーリュは「それは良かった」と言い残し、私の部屋の前まで送ってくれた。
そんな幸せな日々が何十日と続き、私は自分が聖女だという事を少し忘れかけていた。むしろ、こんな日が続けばいいのにと思っていたぐらいだ。
理想から現実に引き戻されたのは、ジェノア王と謁見してからまるまる1ヶ月立った頃だった。
ダーリュと休日のお茶をしている頃、屋敷に金騎士団の人がやってきた。
「王の命令より、今すぐ王室に来られたしとの伝言です」
金騎士団の人はダーリュにある紙を渡すと、すぐに帰って行った。
「…なんて書いてあるの?」
ダーリュの横から覗いてみるものの、生憎字が読めず結局なんて書いてあるのかがわからない。
「雨の予測ができたそうだ。今すぐ来いとのご命令だ。」
「分かった、着替えてくる。」
部屋に戻り、動きやすい服装に着替える。通気性がよく、少し裾が短いワンピースだ。足を守るため長いブーツに履き替え、セミロングの髪は後ろにまとめた。
「おまたせ」
私とダーリュはお互いに頷き合うと馬に乗った。私は乗れないのでダーリュに乗せてもらう。そして、屋敷の人に見送られながら王城へ向かったのだった。
「団長!」
王城につき馬から降りた時、副団長のミーズがこちらに走ってくる。
「王様から、早く出発せよとのことです。」
「そんなに時間が無いのか」
「はい、王都から近いアクバーナです。」
アクバーナはここから半日で行ける距離である。
「アクバーナの住民はすでに避難済みですが、王都に近いという事なので急いで欲しいとの伝言がありました。」
「ああ、分かった。出発の準備は整っているか?」
「はい、いつでも行けます。」
「よし、アクバーナに出発だ」
ダーリュを先頭に銀騎士団が列をつくりアクバーナに向かっていく。もうすぐ雨と対面する。役に立てるという嬉しさや、死ぬかもしれないという恐怖が混ざり合う。そのせいか、心臓がバクバクと鳴り止まない。
「怖いか」
馬を走らせていると、緊張が伝わったのかダーリュが尋ねてきた。掌は微かに震えている。今は馬の背に座っているからわからないものの、立ったら足まで震えていそうだ。
「大丈夫だって。武者震いよ、武者震いだって。」
半ば自分に言い聞かせながら気を立たせようとまっすぐ前を向く。
「……ここだ」
騎士団が止まると遠くの方に黒ずんだ雲が見えている。怪し気な雰囲気はまさしく“雨”を指していた。
まっすぐ続く道を進み、町につくと慎重に馬を進めて雨との距離を詰めていく。そして、ダーリュは一部の騎士に住民がまだ残っていないかの確認を指示し、私と残りの騎士は馬を降りた。私を取り囲むように騎士が円になった。
「いけるか?」
横にいるダーリュはしっかり私の両手を握り、顔を覗き込むように私を見た。
相変わらず、手は震えている。
「い、いける。」
片方の手を離すと雨と向き合う。
ものすごいスピードでこちらへ来る雨はどんどん家を壊しながらやってきた。
そんな中、私は筋肉がいう通りに動かすことができず十分に息を吸えないまま歌い始めた。
周りの騒音のせいで自分の声も聞こえないし、前からの突風が私の歌を邪魔する。
ーーー響け、響け、私の歌。
気づけば夢中になっていた私は目を開けると雨はなく、まっさらな青空と両端にある民家が立っていた。
風で無傷ともいかなかったが、全壊するよりはマシだろう。
周りの騎士からパチパチと拍手が聞こえる。
「おつかれ」
「私、ちゃんと歌えてた?」
ダーリュは微笑みながら「ああ」と言った。そして、繋いでいない右手で私の頭をポンポンとする。
「さ、帰ろう」
私はあまりはっきりしない意識の中、騎士団一行と王都へと帰って行った。